〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

「それでも、生きてゆく」、そして『最高の離婚』

 一昨日(20日)の夜は、日手紙書き終えてから、DVD「それでも、生きてゆく」の6~8話まで見て、「Hulu」で久しぶりに「LOST」(シーズン3)の14・15話を見て、朝5時頃就寝。

LOST シーズン3 COMPLETE BOX [DVD]

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 昨日は、昼過ぎに起きて、なんやかんやとダラダラ過ごし、夜、トーキョー時代の仕事の後輩・Nくんと会うことになっていたので、ネット(HOT PEPPER)でお店を探して、特段の理由はなく「」に決めて、電話して予約して、17時すぎに支度して出発。
 京阪守口市駅まで歩いて、TSUTAYAでDVD「それでも、生きてゆく」のvol.1~4までを返却し、vol.5・6を借りて急行に乗って京橋まで、京橋からJR環状線大阪駅まで。待ち合わせ時間にはまだはやい時間に着いたので、ICOCAをチャージしたり、大阪駅にあるbook studioでブラブラしたり(気になった本は、川上未映子安心毛布』)してから、Heart-Inで「ウコンの力」買って、飲みながら、待ち合わせ場所であった御堂筋南口の改札に向かうと、すでにNくんが立っていて、「ウコンの力」を口に含んだまま手を上げて挨拶して、ゴクリと飲み込んだ。
 昨日は、少し肌寒い日だったのだけれど、Nくんはスーツだけで上着を着ていなかった。Nくんとは、去年の6月に会っていたので、それほど「久しぶり」という感覚はなかったけれど、ぼくが記憶にあるのは、やっぱりいっしょに働いていたときの約10年前の彼の印象であり、オトナになったな、と思ったり。

安心毛布

安心毛布

 梅田の地下街の人の多さにうんざりしながらも、「泉の広場」まで向かい、そこで地上に上がって、少し東に行ったところに「」の看板を見つけ、店内に入ると、カウンター席に通されて、「予約までしたのに、座敷じゃないんだ」とは思ったけど、今のぼくには、誰かと向き合って話すより、隣に並んで話す方がいいかもと思い直しもして、さっそく、iPhoneで「ドリンク全品50%OFF」のクーポンを見せ、ザ・プレミアムモルツで乾杯。
 「」は、滋賀県産の野菜を中心とした素材、お酒を出してくれる店で、メニューは、「アイスプラント愛彩菜とオレンジトマトとクレソンの黒酢サラダ」とか、よくある長ったらしいものだったけど、おいしく食べた。
 Nくんとは、まず近況報告よりも先に「鉄道話」に花を咲かせる。鉄道の「音」好き(とくにモーター音が好きらしい)であるNくん。ここ最近、息子とよく電車に乗っていて、交通科学博物館に行った*1とか、京阪特急に乗って梅小路蒸気機関車館に行ったけど休館日だった*2とか、大阪モノレールに乗った*3とか、最近の関西の交通事情とか、Nくんも、東急東横線渋谷駅の話とか、小田急線の下北沢駅が地下化するとか、そんな報告をしてくれたり。
 飲み物が、ビールから、ふたりとも焼酎ロック(「無名不語(なもなくかたらず)」→「緑の地球(朝堀り芋仕込み)」→「琵琶の誉びわのほまれ)」など)に移ってから、お互いの近況報告に。
 ぼくは、8月に仕事を辞めてからの話、主夫業のこと、五部林のこと、ママ友のこと、それから年明けから「うつ」になったことも話した。これまで、この日手紙ではもちろん、facebookTwitter、メールで誰かに報告したことはあったけど、そうやって、直接誰かに「うつ」のことを話すのは、Nくんが初めてだったので、少し緊張したけれど。Nくんも、仕事のこと(Nくんは、ビルやスーパーなどの業務用清掃機を扱ってる会社で働いてる)、結婚願望のこと、家族のこと(お父さんがこの春で定年退職するらしい)など、長く、いろんな話をした。
 ぼくも38才、Nくんも36才になっていた。10年前とは、話す内容が違って(そもそもいっしょに働いているときは、ふたりで呑みに行くということはなかったと思うけど)、ふたりとも「ひとりっ子」であることが、その夜のキーワードだった。Nくんの場合、長く関係が続いている友人というのは、皆「ひとりっ子」らしかった。
 最後に、珍しいピーマンの焼酎「ぴめんと」を飲んで店を出た。匂いも、味も、まさにピーマンだった、おいしかった。

http://instagr.am/p/XHqbBjPXs2/

 「」を出たのは、もう23時すぎだったけれど、「もう一軒だけ行こう」ということになり、阪急東通商店街に行って、どこの店でも良かったので、客引きの兄ちゃんに声をかけ、雑居ビルの4Fにある居酒屋(名前忘れた)に入り、今度は、座敷で向き合って、また焼酎を呑み続けた。
 ぼくも、ほんとに、そんなにたくさんお酒を呑むのはかなり久しぶりだったけど、最近、偏頭痛がひどくてお酒を控えていたらしいNくんもそんなに呑むのは久しぶりだったらしく、でも、とてもいいお酒だった。2軒目のお店では、ひたすら「結婚について」ということをお互いに話していて、月末に「婚活パーティー」に参加するらしいNくんと、女性に声をかけるロールプレイとかしたりして、楽しかった。「鉄道好き」だということを、どのタイミングで明かすか、とか。
 1時半すぎに店を出て、Nくんはタクシーに乗って、宿泊先である野田駅近くのビジネスホテルに帰った。「また5月に来阪する予定なので、ぜひ会いましょう」と言ってくれた。
 その後、ぼくは、しばらく商店街をブラブラして、客引きのおじさんや、お姉さんからの声かけに、ふらふら呼び込まれそうになったりして、1軒だけ寄って、2時すぎにタクシーに乗って、運転手さんとWBCプロ野球の話とかして、3時頃帰宅。

 帰宅して、かなり眠かったけど、TSUTAYAで借りたDVD「それでも、生きてゆく」(公式サイト)を最終話まで見た。
 このドラマ、第1話を見たときに

ぼくはてっきり、犯罪被害者の家族(瑛太)と加害者の家族(満島ひかり)が、お互いが知らないで恋仲になってしまう、という話だと思っていたのに、「知っていて、なお」(1話では、まだ恋仲にはなっていない)なんだと思って、驚いた。

 と、ぼくは書いていたけれど*4、単純に「恋仲になる」なんていう作品ではなく、じぶんの浅い「読み」にじぶんで失望したし、ここには、犯罪被害者家族と加害者家族の「希望」に焦点を置いているけれど、ここにはあらゆる「生き難さ」を抱える人々(「生まれてこない方がよかった」「なぜ生まれてきたのかわからない」と思ってる人)への「希望」にも手を差し伸べられていた作品だった。
 最終話に至っても、救いという救いはなかった。けれど、「まじめに生きる」ということはどういうことか? といったテーマにも挑んでいて、登場人物たちの「まじめさ」が印象に残った作品だった。
 見終えたのは、もう朝5時前で、かなり頭はボンヤリしていたけれど、この作品の題名である「それでも、生きてゆく」というときの「それでも」というのは、以前、ぼくが、この日手紙を書き始めたときに、ぼくが生きる仕方としてずっと用いてきて、もうすでに通用しなくなって途方に暮れていた、あの『<あえて>ツール*5』にも通じるものがあると、見終えて初めて気づいた。
 ぼくは、宇野常寛ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)』を読んで、その『<あえて>ツール』が、ぼくにも、時代にも、もう通用しなくなっているということを宇野常寛の指摘でかなり同意し、新しいぼくのなかの「倫理」をまたつくり始めなければならないと痛感したわけだけれども、この「それでも、生きてゆく」というドラマを見て、やはり、これまで生きてきたなかで「損なわれた」自覚がある人にとっては、その「それでも」という言い方・生きる仕方、『<あえて>ツール』が「有用なステップ」である時期はあって、そのままそれを使い続けていると、宇野が『ゼロ年代の想像力』のなかで指摘するとおり、「安全に痛い」倫理性は「終わりのない試行錯誤」に陥り、今のぼくのように「機能不全化」するのだろうけれど、それでも、やはり、必要な人、必要な時期、というのはある。
 ただ、ドラマに話を戻すと、登場人物、とくに、満島ひかり演じる、加害者の妹である双葉が、被害者の兄である洋貴(瑛太)に会いに行ったのは、<あえて>会いに行く、というよりは、ただ無償に、ひたすらに、まじめに、謝罪をするため、また、会うことによってじぶんが、家族が変われるという直感に近い予感に支えられて会いに行ったわけであり、最終的に、お互いの気持ちを確認した後も、双葉は洋貴とともに生きることを(こちらは)<あえて>選ばず、第二の被害者である草間家に向かい、こん睡状態が続く真岐(佐藤江梨子)の娘、悠里(原涼子)の「母」となることを、<あえて>ではなく、まじめに、素直に自らの「希望」として決める。
 その、無償さ、ひたすらさ、まじめさ、素直さ、ということを、それが「損なわれる」結果を生むとしても、決める「潔(いさぎよ)さ」は、とてもうつくしいとさえ思えた。
 満島ひかり、いい女優さんだと思った。

 ドラマを見終えた後、iPhoneにAくんからメールが届いていることに気づく。とてもうれしい「ハゲマシ」メールだった。ありがとう、Aくん。
 Aくんに返事を送ってから、6時頃就寝。

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

 きょう、目覚めたのは、11時すぎ。
 テレビを点けると「ひるおび!」が放送されていて、「堺雅人&菅野美穂、来月結婚」というニュースにびっくり。
 その後、二日酔いというほどではなかったけれど、頭がグラグラしていて、睡眠時間が足りていない感じで、すぐにまた寝ようと思ったけれど、きょうは、15:30から、マンションの図書ボランティアの当番に当たっていたので、申し訳ないけれど、休ませてもらうことにして、担当のOさんに電話しようと思ったのに、iPhoneで連絡先を調べてもOさんが登録されていないことに気づき、仕方がないから、直接Oさんのお宅に行こうと思って着替えていたら、もう一人の担当者であるKさんの電話番号が書かれたメモを見つけて、Kさんに電話したら、娘さんが出て「今、おかあさんはちょっと仕事に出てます」と言うので、「実は、図書ボランティアをさせてもらってる○○ですけど」と事情を話すと、「では、おかあさんに電話して伝えておきます」と言ってくれたのでお願いして、それから、nasneに録画していたWBC準決勝「日本-プエルトリコ」(3/18)を結果はわかっていたけど、当日は最初から見ていなかったので、最初から見ながら、また眠った。

 何度か寝たり起きたりを繰り返しながら、結局、きちんと目覚めたのは、19時すぎで、宇野常寛リトル・ピープルの時代』を第1章の「6 『壁抜け』とレイプ・ファンタジィ」まで読んで、それから、nasneに録画しておいた、先週(3/15)放送分の『夜行観覧車』(第9話)と、昨日放送分の『最高の離婚』(第11話・最終話)を続けて見た。
 『夜行観覧車』は、ほんとはもうすでにほとんど興味を失っているのだけど、父親を殺した犯人が気になるだけで、たぶん、きょう放送の最終話でそれが判明するのだろうとは思いながらも、一応見てみたけれど、それはぼくが、この数ヶ月間、ずっと身を寄せ、「家族」というものについて、いろいろと考えるきっかけを与えてくれていた『最高の離婚』の最終話を見るのがこわかったから、その「前ならし」だった。

 んで、『最高の離婚』(最終話)を見た感想。
 「それでも、生きてゆく」に加害者の父親役で出ていた時任三郎たこ焼き屋さんで出ていたことに驚いた。どうやら、光生(瑛太)と結夏(尾野真千子)が出会う東日本大震災の夜のエピソードである1話にも出演していたらしい(1話と2話をぼくは見ていない)。洋貴=光生(瑛太)にしても、三崎駿輔=たこ焼き屋さん(時任三郎)にしても、なぜか『最高の離婚』は、「それでも、生きてゆく」のその後の彼らを見ているようだった。
 このドラマを見始めたのは、2/12にDVDに録画していた1/24放送分の第3話を見てからで*6、光生の元カノである灯里(真木よう子)が過去の体験を話すシーン*7がとてもよく、それから、圧倒的に賞賛した第4話の結夏の激白シーン*8で、ぜったいに毎週欠かさず見ようと思い始めたのがきっかけだった。
 「それでも、生きてゆく」でも思ったけど、坂元裕二という脚本家は、とても登場人物たちの生活のディテールにこだわる人なんではないか? と思ったこと、そして頻出する「(どーでもいい)エピソード」や「(まわりくどい)例え話」も、登場人物たちの人物像を見ているぼくらに伝えるのにとても役立っていて、1クールが短い今のドラマでは、その手法がとても効果的だ。
 最終的には、離婚した光生と結夏は、復縁することになるのだけど、その復縁の後押しが、富士宮の結夏の実家での親類一同が集まった(光生の父と母が初めて登場した、いや、1・2話でも登場していたのかな)宴会での、お互いの父母がケンカをしながらも仲睦まじくやってる光景を見て、という、少しベタな感じではあったものの、夜の駅で、列車に乗った光生が、ホームからお土産を渡そうと伸ばした結夏の手をそのまま引き込んでしまうシーンは、さらにベタで、それはそれでとてもよかった。

 このドラマのDVDが発売予定であり(7/17)、さっそくぼくは楽天ブックスで予約注文してしまったけれど、そのDVDを見る度に、ぼくは、今の、そして、これまでの「家族像」「父親像」を模索し続けているじぶんを思い出すのだろうと思う。そして、いつか、そのDVDの箱を見て、「なんでこんなドラマのDVDなんて買っちゃったんだろう? 売ろ」とか思うのが理想。そのとき、ぼくにはきっと今、そして、これまで模索し続けてきた「家族像」「父親像」をなんとなく手に入れているんではないか、と、そう思うから。
 宇野常寛が言うところの「リトル・ピープルの時代」の現代において、すでに「壊死した」あるべき「家族像」「父親像」を模索するのは無意味かもしれないし、それを模索することは一歩間違えると、ぼくが抗いたいと願っている「<システム>に回収されてしまう」危険性も秘めているとは思う。けれど、やはり、ぼくは、この『最高の離婚』というドラマを通じて、じぶんの「家族像」「父親像」を追い求めていたし、これからも、「辛い…」(光生の口癖)と言いながらも、なんらかの方法で、<あえて>ではなく、無償さ、ひたすらさ、まじめさ、素直さをもって、当事者として、Cと五部林とともに、「家族」に、「父親」になりたいと思った。
 わからないものはわかりたい、知らないものは知りたい、欲しいものは欲しいんだよね、やっぱり。

リトル・ピープルの時代

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最高の離婚 DVD-BOX

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