〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

切符を買って

 昨日、創刊六十周年記念 「母の友」表紙・原画展恵文社一乗寺店ギャラリーアンフェール、に行って来た。

 約二十年ほど前、恵文社一乗寺店という書店は、ぼくにとって特別な書店だった。まだ携帯もインターネットもなかったころのこと。
 当時、東京(正確には神奈川・座間)在住の大学生だったぼくは、トーキョーという、可能性が秘められているような街に憧れて上京したはいいものの、結局、やりたいこと・やれることが見つからず、すぐにじぶんのことは棚に上げて、その街を「嘘くさく、でも、人と物と情報だけしかない」と諦め、じぶんの諦めと怠惰を、その場所の空気のせいにしていた。
 そんな折、京都の大学に進学した予備校時代の友人が住んでいる叡山電鉄沿線の一乗寺という街を訪ね、彼に「やっぱ、トーキョーは、もう終わってる」なんて軽口を叩きながら、独りごちていたとき、出会ったのが、彼のアパートから徒歩五分ほどのところにあった恵文社一乗寺店だった。
 彼が恵文社一乗寺店の斜め向かいにある「エルスポーツ」というスポーツクラブに通っており、時間を潰すため、商店街を歩いていたとき、その書店に出会った。
 そのときの、ぼくの驚きったら、なかった。
 トーキョーではない、地方の、それも、主要な駅の駅前でも、オサレな地域でもない不便なその場所に、トーキョーの書店にもない品揃え、しっかりとしたコンセプトが感じられる店構え、…ひっそりとじぶんだけの宝の山を見つけた、そんな感じだった。
 当時、手紙が、ほとんど唯一のぼくの他人とのコミュニケーションツールだったから、ポストカードの品揃えも半端じゃなかったことも、かなり良かった。

 でも、それから、間もなく、恵文社一乗寺店は、全国に知れわたるセレクト書店になってしまう。
 そして、東京にも、大阪にも、その他、たぶん、いろんなところに、恵文社一乗寺店の二番煎じのようなセレクト書店(古書店含む)が乱立することになる。

 「じぶんだけの宝の山がじぶんだけの宝じゃなくなった」、ぼくが、本好きの人と会って話をするとき、「ケイブンシャはあまり好きではない、苦手だ」と、ほとんどいつも言うようになったのは、ただそれだけのことかもしれない(ほんとうは、もう少し、真っ当な理由もあるつもり)。

 そんなわけで、十年前に、トーキョーから故郷の大阪に「出戻り」、京阪電車叡山電鉄に乗れば、一時間もかけずに行けるにもかかわらず、その後、ケイブンシャに足を運ぶことはなかった(一度だけ、結婚前、比叡山にドライブに行った帰り、妻・Cを連れて行ってあげたことはあったかもしれない)。

 でも、二年前に息子・五部林が生まれ、敬愛することになる雑誌「母の友」(福音館書店)の表紙・原画展が、今回、そこで開催されることを知り、単にその展示を見たい、という理由とともに「ケイブンシャ」を、今のぼくが訪れたら、今のぼくはどんなふうに感じるだろうという思いもあって、きょう、七条の「ひと・まち交流館」で行われた父親支援関連のイベントに参加した帰り、立ち寄ってみた。

(前置きが長くなったけれど、ぼくの文章は、前置きこそ命なのです)

 表紙・原画展の感想。
 ひと言、「ショボい」(ごめんなさい)。
 「母の友」六十年の歴史を、あの展示スペースで紹介するのは、無理だろうと予想はしていたけれど、原画は、堀内誠一長新太長沢節佐藤忠良南伸坊の、五名五点のみで、あとは、すべて小さな表紙画のパネル展示。
 もちろん、その小ささが、逆に六十年の歴史を物語っていたとはいえる。
 また、大好きな西村繁男さんが表紙画を担当していたことがあり、その画を見れたことは嬉しかったし、その画は、やはり素晴らしかった。元永定正さんの表紙画も良かった。長さんの原画も、やはり力があった。
 でも、その表紙画のパネルの印刷の仕方が、展示スペースの照明に反射して、ほんとに見えづらく、荒かったのがとても残念だった。

 次に、約十年ぶりに訪れた恵文社一乗寺店の感想。
 二才の息子・五部林を連れて訪れたので、正直、児童書コーナー以外の書店の方の品揃えを見ることはできなかった。
 店内に入る前、五部林は、商店街の向こうに走る叡山電車の姿を目にしてしまい、「ちんちんでんしゃー、のりたいー!」と、展示を見始めようとするときから、大声で泣き叫び続け、挙句の果てには、パネルの前で地団駄を踏み、寝転び、バタバタ、バタバタ…。
 彼を抱き上げ、「お父さんの、これからにとっても、大事な時間やねん、お願い、ちょっと見せて」と言い聞かせ、それで、児童書コーナーにまず連れて行き、落ち着かせてから、「ルンバ」なら欠陥商品だと言われるぐらいにしか店内を廻れなかった。
 ただ、不思議と、そのときのぼくは、その状況に苛立ちはしていなかった。

 目にしたことのない新刊、きっと他の書店では出会うことのない既刊、それらを、五部林を抱いて走り抜けるぼくの目の片隅に残像ぐらいには残っていたのだけど、立ち止まったのは、夏葉社『本屋図鑑』の得地直美さんの原画(?)のコーナーだけだった。
そのうち、「ちんちんー、ちんちんー」と、「ちんちんでんしゃ」を略し、オサレな男子女子が集まる店内で、卑猥な単語を叫ぶ息子を、「はやく叡山電鉄に乗せてあげたい(「乗せなければ」、ではなく)」と思うぼくしかいなかった。

 恵文社一乗寺店について考えること、また、恵文社一乗寺店に並ぶ本(その他雑貨など)について考えることは、今のぼくにとっては重要で、いつかきちんと向き合わなければいけないことなのだけれど(たぶん、それは、これからの書店について、これからの本[というメディア]について、考えることと同意だ)、でも、きょうのぼくが、決してやせ我慢したわけではなく、「ケイブンシャの棚を通り過ぎること」ができ、それほどの躊躇なく、「店のドアを開いて立ち去ること」ができ、「五部林を叡山電鉄に乗せてあげたいと一心に思えたこと」は、二十年前、初めて恵文社一乗寺店のドアを開き、足を踏み入れたときのじぶんと比べると、良い悪いではなく、「健康的になった」のではないか。

 そんなふうなことを、店を出て、叡山電車一乗寺駅で、ICOCAICカード)が使えないので、久しぶりに券売機にお金を入れて切符を買っていたときに、思っていた。
 ぼくは、きょう、五部林といっしょに、恵文社一乗寺店という場所を訪れることができたことがとても嬉しかった。

※店内の写真は許可を得て撮影しています。