〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

受け身

 やっと、追いつけた、日手紙。
 四月二十六日から昨日までの更新していなかった分を、とりあえず、思い出せる限り、きょうの午前中~五部林のお迎えに行く夕方までの間に書いた。とてもヘトヘトになりながら、夕食の支度して、それからお迎え。
 きょうは、担任の先生の手が空いていたようだったので、五部林のトイレトレーニングの話を少し訊けた。ともかく、時間ときっかけを決めて、オマルに座らせてみると、知らないうちにタイミングが合ってきて、オマルでオシッコ&ウンチができるようになってくるみたい。ほんとは、それよりも、トレーニングパンツでの過ごし方、注意点を訊きたかったのだけど、忙しそうだったので、それ以上訊けず。
 買い物をしようとベビーカーを持って家を出たので、保育所を出てすぐに五部林をベビーカーに乗せ、まずは、太子橋東公園へ。
 ブランコ、それから、よく滑る「すべり台」で遊んでいると、五部林よりも、少し大きなお兄ちゃん、お姉ちゃんがふたり、母親らしき人といっしょにやってきて、砂場で遊ぶ。お兄ちゃんが持ってきたおもちゃ(ダンプカー、ショベルカー)を見て、五部林はとても遊びたそうにしており、いつもなら、黙って奪って遊び始めるのに、なぜか伏し目がちになって、手を伸ばさない。「お父さんが、『貸して』って言うたろか?」と言っても、どんどん後ずさりしていく五部林。それを見ていたその子の母親が「○○ちゃん、お兄ちゃんなんだから、貸してあげ」と言ってくれ、その子も、たぶんそのおもちゃで遊びたかったみたいで、イヤそうに貸してくれる。
 それから、父親らしき人に連れられた女の子もやってきて、ぼくは、平日の昼間に、そうやって、父親らしき人が公園に遊びに来ているのを初めて見たので、ほんとはもっと話したかったけど、他に三人も母親らしき人もいたので、なんだかズケズケと話しかけられず(五部林といっしょだ)、その父親らしき人が、娘につくってあげていたアンパンマンの型に砂を入れて固めたものがどんどんできあがるのを眺めていて、途中で、ふと我に返って「五部林、あんなにアンパンマンがおるよ、見に行こか」と誘ったのだけど、五部林、その光景がおぞましすぎたのか、またしても後ずさり。父子で後ずさりした夕方。

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 昨日、 先日、徒然舎さんで購入した高階杞一早く家へ帰りたい』(挿画は望月通陽)を読んだ。一九九五年、偕成社より刊行された夏葉社さんが復刊した。
 予想は付いていたけれど、最初、最後まで読むことができなかった。
 この本の存在を知ったのは、恵文社一乗寺店ページで、そこには、こんな紹介文が添えられていた。

難病を持って生まれ、たった四歳で人生を終えたわが子。その面影を慕い、詩人である父親が想いのたけを綴った優しくも切ない詩集が夏葉社から復刊されました。その小さな体、その小さな命を精一杯いつくしんだ心といつまでも変わらない愛情が、言葉のひとつひとつ、行間や余白からも強く伝わってくる、哀しみと美しさをたたえた一冊です。個人的なことを題材にした詩集ではありますが、あとがきにもあるように、なにか命の意味そのものを問う普遍性を持った静かな詩の世界が広がり、深い余韻を読む者の心に残すのではないでしょうか。そんな、かけがえのない詩集がまた一冊生まれ変わりました。

 もうこの紹介文を読んだだけで、涙が出てきそうだったけど、「父親として」ぼくは読んでみようと思った。「父親として」こういうものを読んだら、ぼくは、どんなふうに思うんだろう、やっぱりかなしいのだろうか、かなしさの種類はこれまでのものとは違うのだろうか、と。
 本といっしょに徒然舎のHさんからの手紙も入っていて、そのなかに「お子さんをもつすべからくさんには響きすぎるのでは、と思っています」ともあった。
 読んだ感想は、もちろん、広く一般的な意味でとてもかなしく、切ない思いになった。幼くして逝ってしまった息子へのことばは、やはり、著者自身も紹介文にもあるように普遍性をもつ。でも、そのかなしさや、切なさといったものは、ぼくが父親として読んでなくともきっと感じられただろうと思う。
 その一方で、というか、同時に、ぼくは、息子・五部林の「かけがえのなさ」、今まさに生きている、生き続けている「偶然性」、誰でもなく、ぼくを父親として生まれてきた「きせき」(大変不幸かもしれないけれど)について思い、「もし、五部林が病気だったら…、病気になったら」というものではなく、ひどく「生(せい)」の不思議さを感じた。それは「父親として」というものでもないだろう、「わかる」というものでもないだろう、そういうものとは別に、今、彼(五部林)といっしょにいることを大切にしよう、したい、そう思えた詩集だった。
 柔道、相撲の「受け身」で表現している、ふたつの詩がとても印象に残った。
 そして、息子さんが亡くなってひとりになった著者が部屋のCDデッキのスイッチを入れると、息子さんが入れ替えたと思われるサイモン&ガーファンクルのCDが入っていて、その一曲目が「早く家へ帰りたい」だったという。どんな曲だったっけ? と探してみて、聴いてみた。

  質問


年をふるにつれ

少しずつ受け身がうまくなってきた


職場での巴投げや大外刈り

家での妻のあびせ倒し

(おっと、これは相撲のわざか?)


その他

日々の背負い投げ

体落とし、払い腰、足払い、内股、等

どんな投げにも

そのつど我流の受け身で凌いできたが

今回のこの投げだけは強すぎた


いきなり見えない腕が胸倉をつかみ

ぼくを

激しく床に叩きつけ

行ってしまった


ぼくはまだ起き上がれずに

おまえのことばかり考えている

公園で遊んだ日のこと

プールに行った日のこと

スーパーや水族館や動物園や遊園地に行った日のことを

そして

おまえの笑っていた顔を


ぼくはもう四十三年も生きた

おまえはたった三つで逝ってしまった

まだ受け身も知らないままに


その意味を

ぼくはぼくに問う

ぼくは神に問う

なぜ、まだこんなに小さく柔らかなものを

  あなたは召されたのですか

  晴れた朝の神への祈り


休みの朝

まだ寝ているぼくを

こどもが起こしにやってくる

パパ、おっき、おっき

とフトンをはがし

手やパジャマをひっぱってさわぐ

それに根負けした朝は

フトンの上で

そのまま

こどもと相撲をしてあそぶ

相撲に体重別はない

ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ

なんて掛け声をかけながら

エイッ とフトンの上にこどもを投げる

めりこんだフトンの中から体を起こし

こどもは

いかにもうれしそうな顔で

ひとさし指をたて

もう一度とせがむ

何度も 何度も せがむ


こんなことなら

もっとやってやればよかったと思う

そんな朝

いつまでも床からぬけだせず

ひとり

こころの中でくりかえす


ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ

ノコッタ、ノコッタ… ノコラナ カッタ……

この世は

投げ飛ばしたり投げ飛ばされたりの連続で

体重別制でもなければとてもやっていけない世界だけれど

神さま

もし叶うなら

もう一度あの子と相撲をとらせてください

上手投げでもすくい投げでもハンマー投げでも何でもいい

もう一度ぼくに

ゆうすけを投げさせてください

あの日と同じ

このまだぬくもりの残るフトンの上に

早く家へ帰りたい

早く家へ帰りたい


早く家(うち)へ帰りたい

早く家(うち)へ帰りたい


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早くうちへ帰りたいHomeward Bound/Simon & Garfunkel ('66 ...

 詩だって、なんだって、そうだとぼくは思ってるけど、最初から普遍性を目指したものに、ロクなものはない。私的な、恣意的な経験や体験や実感が、それがふとした偶然で、「共有」(このことばもSNSのせいで、ひどく安っぽくなってしまったけれど)できる、できた気がする、できそうな感触、それが大事なんだと思いたい。