〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

お彼岸

 昨夜(ゆうべ)は、日手紙を書いて、TSUTATAで借りてきているDVD「それでも、生きてゆく」の3・4話(途中)まで見て、3時前に就寝。

「それでも、生きてゆく」ディレクターズカット完全版 (初回封入特典終了) [DVD]

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 きょうは、春分の日。
 今朝、いったん、8時すぎに五部林に起こされたけど、眠かったので、Cに任せて、結局、起きたのは10時。雨が降りそうな空。洗濯物を干すべきかどうか迷ったが、とりあえず干して、お墓参りに行く予定をしていたので支度して、Cはきょう、五部林を連れてそのまま実家に帰るのでその支度もしてて、11時すぎに出発。昨日、車検から戻ってきた車を運転。
 少し遠回り、というか、18才まで住んでいた寝屋川の街を見たくなって(隣の市なのに、いつもほとんど通り過ぎるだけなので)、くねくねと点野や葛原、そして春日町から府道18号線で京阪の寝屋川市駅に抜けて、それからお墓のある寝屋に向かう国道170号線との交差点の手前で、もう渋滞が始まっていた。みんな、お墓参りに行く人たちだったのだろうと思う。五部林は、車に乗ってからすぐに寝ていた。
 170号線との交差点の信号待ちで、そういえば、母が車(ダイハツタント)を買ったのは、7年前(2006年)のちょうど3月、今ぐらいの時期で、その交差点近くのダイハツ寝屋川店)で、ぼくといっしょにほぼ衝動的に購入したことを思い出した。そういう「衝動さ」みたいなものは、母のいろんなことを思い出すときのキーワードみたいなもので、ぼくにも確実に遺伝してると思う。
 墓地近くのオークワ(寝屋川店)で、お供え用の花を2束買って、混み合う寝屋川市公園墓地の駐車場に車を停めたときには、パラパラと小雨が降りだしてきていた。

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 この墓地には、偶然、ぼくの祖父方のY家のお墓と、祖母方のK家のお墓がある(祖父と祖母はふたりが若い時分、母と母の姉が小学生・中学生ぐらいだった頃に離婚している)。そして、2009年に亡くなった母も、一昨年(2011年)亡くなった祖母も、この2つのお墓には入っていない。Y家(=母とぼくの姓)のお墓は、祖母と離婚した祖父は、その後新しい家族を持ってその人たちのお墓になっているし、母は入ることができないし(母の遺骨はまだ我が家にそのままある)、いったんK家からY家に嫁いだ祖母はK家のお墓には入れないのか、おばさん(母の姉)が、一心寺に納骨したようだけど、お墓の場所をぼくに教えてくれない。
 だから、ぼくにとっては、その2つのお墓は、何か、直接的な関係のないような位置にあるお墓なのだけど、先祖であることには間違いはなく、いつも訪れている。お墓参りに来るのは、去年の秋のお彼岸は来ていないから、去年のお盆(8/19)以来だった。五部林にとっては、生涯2度目のお墓参りになる。
 まず、Y家のお墓*1から。お墓周りの草を抜いたり、墓石を磨いたり。五部林も掃除用の歯ブラシもって、ゴシゴシやってくれた。歯ブラシ見たら、もちろん、口に持っていきそうになるので、何度も止めた。
 その後、K家のお墓へ。こちらは、いつも豪華なお花がお供えされていたりするのだけど、今年は、まだ誰も参っていないのか、それとも、こちらももう参る人がいなくなったのか、何もお供えされていなかった。誰かがお花をお供えしてあるだろうと、買った花束を2つともY家のお墓にお供えしてきたので、申し訳なかった。
 どちらのお墓でも、母と祖母が「そちらでうまくやってますか? よろしくお願いします」とお願いし、「五部林のことをどうか見守っていてください」とお祈りした。

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 お墓参りの後、近くの「和食さと」(寝屋川太秦店)で昼食。
 13時をまわっていたけど、まだまだ店内は混んでいて、6組ぐらい待っていた。
 わりとすぐに席に通してもらえ、Cは「筍ごはんと梅あさりそば膳」、ぼくは「牛すきうどん鍋定食」を、それから、五部林用にポテトフライを注文。子ども用メニューも配られたので見てみたら、もうすでに五部林がひとりで食べられるぐらいのメニューだったけど、まだ早いような気がして、いつものとおり、ふたりのものを分け合うことにした。
 注文後は、やっぱり混んでいるためか、なかなか食事ができあがらず、子ども用の椅子に座った五部林がだんだん手持ちぶさたになってきていて、相手するのが大変だった。窓から見える京阪バスやトラックが通る度に「バースゥー」「トラック」と叫んでいた。
 それから、バタバタと食事。14時半頃、お店を出た。雨が本降りになっていた。

 帰りは第二京阪道路を走り、中央環状線を北上し、我が家の近くのセブンイレブンに車を停めて、そこで、Cたちと別れた。Cは、お義母さんに「これから帰る」とメールを送っていた。
 ぼくは、セブンイレブンで少し買物をして、15時すぎに帰宅。
 それから、DVD「それでも、生きてゆく」の4(途中~)・5話を見て、そのまま眠ってしまう。いったん、19時頃に目が覚めて、Cから18時前に「今、(実家に)着いた。途中、眠くて、1時間ほどサービスエリアで寝てた」と届いていたメールを読んで、さらにまた眠って、結局、22時すぎまで。

 明日から、日曜(24日)の夜まで、ひとりで過ごすことになる。
 昨日、トーキョー時代の仕事の後輩・Nくんからメールが届いていて「21、22と出張で大阪に行くのですが、会いませんか?」ということだったので、明日の夜、会うことにした。Nくんとは、去年の夏、まだぼくが仕事を辞める前に、10年ぶりぐらいに再会して以来だ。

 4月からは五部林が保育所に通うことになるので、1月半ばから続けてくれていた、週の半分(水~土曜)は、Cの実家で五部林の面倒を見てもらう、というサイクルも、来週で自動的に終わりになる。こうして、ひとりで過ごす日々が持てるのも、今週と来週で最後。来週は、お義父さん、お義母さんに、この2ヶ月のお礼と、「うつ」も少し回復傾向にある、という報告を兼ねて、あいさつに行った方がいいだろうな、と思っている。

*1:祖父の奥さんは、認知症になっておりお墓参りに来られないだろうし、奥さんの連れ子で息子さんがいるみたいだけど、音信不通。祖父とその奥さんの間には子どもはおらず、だから、誰かがこのお墓を守っていかなければならないのだろうけど、適格者は誰もいない。そして、お墓はだんだん荒れてきている