〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

成熟する場所としての子ども

 昨夜(ゆうべ)は、「Hulu」で「LOST」(シーズン4)の13(最終話)と、シーズン5の1話(途中まで)を見ながら、就寝。いつ寝たか覚えていない。

LOST シーズン5 COMPLETE BOX [DVD]

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  • 発売日: 2010/01/20
  • メディア: DVD

 今朝、5:33、強い揺れとiPhoneのけたたましい緊急速報音(ビーヨン、ビーヨン)で目が覚める。
 別室で寝ていたぼくは、まだ揺れが収まっていなかったけれど、すぐにCと五部林が眠る和室に向って、ふたりの安否を確かめる。
 淡路島を震源とした、M6.3の地震
 五部林は、一瞬起きたようだったけど、すぐにまた眠り始める。iPhoneNHKラジオを聞き始める。Cは、すぐに兵庫・太子町の実家に電話をかけてお義父さん、お義母さんの安否確認、2、3度目に電話がつながり「大丈夫」とのこと。良かった。その後、テレビを点けて(NHK)を見ながら、我が家の防災対策が、ほとんど何にもできていないことをCと反省。携帯の「災害用伝言板」などを確認。facebookTwittermixi、LINEに「我が家は3人無事です」と投稿。

 6時すぎ、五部林が目覚め、そのまま朝食。朝食後、きょうは古紙回収日だったので、たまりにたまった新聞紙と段ボールの束を持って、階下へ。エレベーターで出会った人とは、もちろん地震の話題。「けっこう揺れましたねー」「そうですねー」。家に戻ってきて、また眠る。9時すぎに起きたら、関西以外に住む友人数人から、安否確認のメールが届いているのに気づいて返信。
 それから、ネットで被害状況などを見たり。死者は出ていないようだったが、淡路島では大きな被害が出ているようだった。福井県にある原発のことが気になるも、あまりニュースにはなっておらず、イライラ。肝心の関西電力のHPにいたっては地震の話題すら掲載されていない。値上げ情報が相変わらずトップ。やっと見つけたのは、以下の記事2つ。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201304/2013041300106&g=soc(7:57配信)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130413-OYT1T00233.htm(8:53配信)

 その後、昼過ぎに再度、関電のHP見てみると、やっと「平成25年4月13日(土)5時33分頃に兵庫県淡路島で発生した地震により、当社管内で供給支障は発生しておりません。また、当社供給設備の被害はありません。以上」とあり、なんか、素っ気ない感じと他人事のような文章にイライラ。

 昼食後、ふだん、保育所でなら、午睡(お昼寝)の時間のはずなので、五部林が寝るかと思っていたのだけど、まったく寝る気配がないので、散歩と食料品の買い出しを兼ねて、ベビーカーで外出。
 早朝の地震がまるでなかったかのような、小春日和の休日っぽい風景。淀川河川敷。バーベキューをする家族、少年野球の子どもたちの声。もちろん、これでいいのだけど。

 河川敷で五部林としばらく遊んだ後、マックスバリュ(太子橋店)へ。
 きょうの夜は、同じマンションの向かいの棟にすむIさん一家と「たこ焼きパーティー」をすることになっていたので、たくさんの食材を買い込む。買い物途中で、五部林は寝てしまう。
 帰宅して、メールボックスを確認すると、Amazonマーケットプレイス)で注文した、山田太一
親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと (新潮文庫)』が届いていた。
 奥付を確認すると、この本の単行本版が出たのは「この作品は平成七年十二月PHP研究所より刊行された」とあり、18年前。当時、この本を見た、当時20才のぼくは、正直、山田太一に失望したことをよく覚えている。「こんな、『ゆるい』タイトルの本出して、山田さん、どうすんの」と。当時のぼくにとって、山田太一は、平穏な日常を対象化し、そして揺るがす作家として存在していた。
 でも、18年後、ぼくは、親となり、親になったじぶんに迷い、山田さんのことばを切望することになる。不思議だと思う。
 大量の食料品を昼寝明けのCに託して、ぼくは、そのまま眠り続けていた五部林の横で、この本をパラパラめくりながら、「はじめに」で書かれていたことばに、まず、驚愕し、共感した。

昔、小林秀雄氏が「女は俺の成熟する場所だった」というようなことを書いていらっしゃって、(中略)子供が生まれて、私はよく小林氏の言葉を思い出しました。夜中に泣く子を寝不足の妻のかわりに抱いて、廊下に出たりしながら、「子供は俺の成熟する場所だよ、まったく」などと、ぼやいたことでした。

また、第1章では、最初のお子さんが生まれたとき(当時、山田さんは28才。木下恵介監督の助監督として、熱海で脚本の口述筆記をしていたときに、電話で知る)のエピソードが紹介されている。

「いよいよ父親か。大変なことになった。妻子を食べさせて行けるかなあ」
 と、重い責任がずしりとかぶさって来たようで、これから自由が相当制限されるだろうという気持が、結婚式の日以上に湧いたりして複雑な気持でした。

 画家のクレーの日記に、初めて子供がうまれたときのことが書かれていて、「わが家に一人の暴君が現れて、我々は振り回されている」というような一行があります。まったくその通りだ、どこでもそうなんだなと思いました。
(中略)
 妻との二人きりのときの静かな時間は、もうほとんどなくなっていました。這うようになったら最後、子供は起きている間じっとしていることがない。歩きだしたら、片時も目をはなせない。そんな厄介な存在と暮らして幸福感があるのが不思議でした。
 もちろん、うんざりして、いなくなってくれないかな、と願ったことも何十回かはありましたが、何十回ぐらいですんだのは、子供の可愛さでした。子供の可愛いのには、何千回も感嘆しました。

 子どもが「いなくなってくれないかな」と願ったのが、「何十回」というのは、とてもリアリティのある回数だと思った。数回ではない、でも、何百回でもない「何十回」。
 そんなことを思いながら、ぼくもいつの間にか、五部林の横で昼寝。

 目覚めたのは、16時半前で、Iさん一家が我が家に来るのは17時だったので、ちょっと驚いて、台所に行くと、Cが準備をしてくれていて、「ごめん、寝過ぎた」と言うと、「うん、大丈夫。洗濯物だけ、入れといてくれる?」と言われたので、大量に干された洗濯物を取り込み、畳む。
 その後、ぼくも食卓の準備や、たこ焼きの生地をつくったり、五部林を起こして(かなり機嫌が悪くなる)オムツを換えたりしていると、Iさん一家(旦那さんのKちゃん、奥さんのFちゃん、来月2才を迎えるYちゃん)が来られ、たこ焼きパーティーの開始。

 ぼくは、今でもよく覚えているけど、去年の8月15日に仕事を辞めたとき、初めて近所の子育てサークル(「ぽれぽれ」)に行ったその帰り、同じ方向に帰るFちゃんに話しかけ、「お家はどこですか?」と訊くと、同じマンションだということがわかり、とても驚いて、別れ際、すごく迷ったけれど、「もし良かったら、ご近所さんとして、これからも仲良くさせていただきたいので、連絡先を教えてもらってもいいですか?」と言って、だから、ぼくにとって、最初のママ友がFちゃんだった。
 その後、FちゃんとYちゃんとは、ぼくは子育てサークルや、ママ友さんたちとの「お茶会」などで何度も会っており、旦那さんのKちゃんとは、以前、S保育所の園庭開放時に一度会ったことがあって(保育所の園庭開放に行って、父親と会ったのは、そのときが最初で最後)、そのとき、それほど話はできなかったけど初対面ではなかった。Cは、FちゃんとYちゃんとは、1月に八雲中しろはと保育園の見学に行ったときに一度会っていたようで、Kちゃんとは初対面だった。
 今年に入って、ぼくが「うつ」になって、ほとんどFちゃんとYちゃんにも会うことはなっかったのだけでど、先日(3/26)、五部林のS保育所の個人面接のとき、ぼくらが外島公園で遊んでいたら偶然、Fちゃんが話しかけてきてくれ*1、ある意味、それが、ぼくにとって、また地域のママ友さんとのかかわりを再スタートさせてくれるきっかけになった出来事でもあり、そう思うと、ぼくにとってFちゃんという存在は、かなりの重要人物でもある。

 その後、21時すぎまで、6人で、楽しいひとときを過ごす。
 難波のホテルでフロントマンとして働いているKちゃんは28才、Fちゃんは、正確な年は知らないのだけど、少し年下だと言っていたので、25~6才か、Kちゃんとぼくとは10才も違うし、Fちゃんとはひと回り以上の年齢差があるけれど、おもしろいことに、子どもを通して知り合った人とは、子どもが同じような月齢だと、子育てについて同じようなことで悩んだりしているので、親の年齢差はほとんど問題にならない。

http://instagram.com/p/YCsJ96PXhJ/

 Iさん一家が帰った後、すぐに五部林と入浴し、Cも含めて、20時頃、3人で眠ってしまう。
 ぼくは、2時すぎに目が覚めて、facebookに今夜撮影した写真をUPしたり、ふたりにお礼のメッセージを送ったり。

 今朝の地震で、我が家の防災対策がほとんど何もできていないことを思い知らされたわけだけど、もちろん、防災・非難グッズを揃えたりすることは必要だと思うが、こうやって、ご近所さんのつながりを持っておくことが、非常時にはより役立つことなのかもしれない、そんなふうに思った夜だった。