〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

あなたが好きなのは、自分だけ

●濱崎家リビング

結夏「わたしはもっと…、もっとっていうか、あなたはバカにするけど、わたしはただ、わたしはただ、…別にふつうの家族になりたかっただけで…」
光生「ふつうの家族ってなんだよ…」
結夏「いちばん最初に思い出す人だよ。いちばん最初に思い出す人たちが集まってるのが家族だよ!(キッチンに行き布巾を手にリビングに戻り、さっき自分が床に投げつけたロールキャベツを片付けながら)…一応さ、わかんないけど、わかんないけどさ、この人のこと好きだな、と思って結婚したんだし、あんまり言ったことなかったけどさ、わたしあんまり人のこと好きにならないし。だいたいあの頃そういう感じずっとだったし。仲の良い派遣の子と、おいしいランチ見つけることとか、年一で海外行くこととか、そういうことばっかり考えてたし、だから、濱崎さん、(振り返って、光生を見て)あなたのことだけど、濱崎光生さんと地震のとき知り合って、そういう感じのことになって、はじめ、最初のうちは、勘違いなのかな、って、不安だからいっしょにいるだけなのかな、って思ってたけど、アレー?、アレアレー? って、最近、濱崎光生さんのこと思い出しちゃうな、って思って。いちばん仲の良い子と飲んでるときも、なんか、何もないのに落ち着かなくなったり、料理作ってうまくできて、ひとりで食べるの、もったいなくなったり、夜中にテレビ見て笑ったときとか、そういうの全部セットでくっついてきちゃって、濱崎光生さんの顔思い出しちゃって、いっしょだったらもっと良かったのになって。で、会ったら会ったで会わなかった時間のそういうの全部くっついてくるから、あ、わたし、今、テンション高すぎ、気持ち悪いーって思って、…間違いないわ、思いだす量ハンパないわ、わたし、好きになっちゃったんじゃん、好きになるってこういう感じだったんじゃん、って。…でも、恋とか愛とかとは違うから、勘違いしちゃいけないよ、って自分に言い聞かせて。恋とかなんて、人生の脇道だし、あんまり外れちゃいけないよ、って言い聞かせて。だいたいもって、性格全然合わないのわかってたし、いちいち腹立つことあったし、ナイ、ナイ、ナイ、ナイ、ナイわーって思ってたけど。…あれ、この人おもしろい人だな、ただ真面目なんだな、うそがない人だなって、だいたいなんか、人生とセットで考えるようになっちゃって、…いつかそのうち、夫婦っぽくなれるもんだと思ってた。…ま、なれなかったじゃん」
光生「…それはまだ」
結夏「(ロールキャベツを片付け終え、棚の方に歩き、光生を背にするようにして)子どもができたら変わるのかなって思って。…で、あなたに言ったら、子どもなんていらない! って(棚にあった、光生の大切にしていた盆栽を床に落とす、それから、棚にある盆栽、盆栽の育て方の本、壁にかかっているコートなど、いくつもいくつも落とし続けながら、)…わかってた、わかってたよ。あ、この人は、ひとりが好きなんだ、じぶんの自由を邪魔されたくないんだ。あ、そう、だったら、いつだ?、いつになったら、この人、家族つくる気になるんだろう、いつになったら、この人、家族を思いやれる人になるんだろう、って。結婚して2年足らず、やっぱりずっと思い浮かべてた。山手線で事故があったって聞いたら、うちの人、大丈夫かな、って、うちのお客さんが病気で入院したって聞いたら、人間ドック連れて行かなきゃ、って。こたつがあったらいっしょに入るとこ想像したし、小さな子ども見たら、うちにも子どもがいたら、どんなだったかな、って想像したし。それは今でも変わんないだよね! …なんか、なんか楽しいことあると、濱崎光生さんのこと思い浮かべちゃうんだよね! だから、だから最近よそん家行ったときもさ…、」
光生「(後ろから結夏の肩をつかんで、止めようとしながら)わかった!、わかったよ」
結夏「何が?!」
光生「子どもつくろ。…どうしてもいやだったわけじゃないんだよ。タイミング的なこととかあったし、ついそういうこと言ったけど、今からでも遅くないし」
結夏「…わたしたち離婚したんだよ」
光生「もう一回結婚すればいいよ。ばあちゃんも喜ぶし。もう一回結婚し直して、なんだったら結婚式もしてさ、子どもつくって、…で、家族になろうよ。あったかい家族を」
結夏「(言い捨てるように)バカじゃないの!? (振り返って光生の方に向き直して)なにそれ? どういうつもりで言ってんの?」
光生「(戸惑いながら)どういうって?」
結夏「(少し笑って)あ、あれか、営業んときの感じ? あったかいコーヒー入れましょうか的な、家族つくりましょうって?」
光生「何言ってんだよ、俺は…」
結夏「俺は何よ?、俺は何考えてそういうこと言ってんの?!、自分の都合でしょ?」
光生「…ち、違う。結夏が言うから…」
結夏「『結夏が言うから』っていうのも自分の都合なの! いい加減認めたら? わたしはずーっと前から気づいてるよ。あなたは、わたしのことなんか好きじゃないの。あなたが好きなのは、自分だけなの!」

  家を出る結夏。残され、呆然と立つ光生。床に散乱したアロエ。

 ドラマ「最高の離婚」#4 2013年1月31日放送 <あなたが好きなのは自分だけ>より

 昨日(14日)は、別室で日手紙を書き終えてから、リビングに行き、また、ずっとプレステ三昧。17時頃から、「プロ野球スピリッツ2010」の「スターダム」モードで、ぼくの本名と同じ選手を育て上げてた。結局、速球派で、緩急をつけて投げるかなりの右腕の選手を育て上げて、テレビ画面のエンドロールを見たのは、3時AM。コーヒー飲んでただけで、ほとんど何も食べずに。
 何、やってんだろ、じぶん、とは、もちろん思ったけど。ゲームって、ぼくに、今できる、唯一の「能動的」な行為なんじゃなかろうか? プログラムによってその範囲は決められているものの、じぶんで行った結果がすぐ見える、責任をもてる、そんな行為じゃなかろうか? とか、適当に理屈はつけたりもしながら。

 さすがに眠くなって、リビングの電気を消して、布団に入って、うつ伏せになって、眠ろう、と、しばらく目を閉じていたけど、やっぱり眠れず、一昨日録画していた第3話を見て気になっていた、ドラマ「最高の離婚」(第4話)を見ようと、DVDプレイヤーの電源を入れた。
 そして、釘付けになったのが、↑の結夏(尾野真千子)の台詞。
 思わず、見た直後、この台詞を書き起こそうと思ったぐらい興奮していたけれど、もうすでに5時前になっていたので、眠ることにして、そして、きょう、10時前に、生協(おおさかパルコープ*1)の配達の人が何度も何度も呼鈴を鳴らすので、目覚めて、起きて、仕方なく玄関に出たら、「今週はこの『ごぼうサラダ』がおすすめですから、お願いします」って、寝起き丸分かりだろうぼくに言うので、思わず笑って頷いた後、さっそく、DVDプレイヤーの電源を入れて、リビングにある、すごく処理速度の遅いノートPC(母が使っていたVista)で、書き起こしした。

 ここで結夏が言っていることは、まったくもって、ぼく自身のことだと思った。
 この台詞を聞いた、世の何百人か、何千人かわからないけど、その人たちもそう思ったかもしれないけど、ほんとに、まったくもって、まっすぐ今のぼくのことを指摘していると思った。
 「あなたが好きなのは、自分だけだ」という言い回しは、言い古されたものであるし、ぼくは現実にこれまで何人かの女性に(男性にも)言われたことがあるけれど、今のぼくには、すごくふさわしく、グッサリときた。

 書き起こす前に、iPhoneに届いたメールをチェックしてたら、Cから「昨日は大変でした」という文章から始まる、2時間かけて帰る仕事帰りに、電車のなかで気分が悪くなって、途中の西明石駅で電車を下り、しばらく休んでたというメールが届いてて、そんな無理をさせてるのは、ぼくだから、どう返事をして良いのかわからなかったけど、きっと彼女も、結夏のように「いつだ?、いつになったら、この人、家族つくる気になるんだろう、いつになったら、この人、家族を思いやれる人になるんだろう?」とぼくに対して思ってるんだろうな、と思いつつ、書き起こし始めた。

 ぼくたちの場合は、過去にそんなやりとりはなく、ただ、Cが妊娠して、五部林が生まれたけど、ぼくだってきっと、Cから「子どもがほしい、子どもをつくろう」と言われたら、申し訳ないけど、「子どもなんていらない」と答えただろう。そして、Cも「子どもができたら変わるのかなって思って」いたかもしれず、でも、ぼくは今こうして、「うつ」になってまでして、相変わらず「ひとりが好きなんだ、じぶんの自由を邪魔されたくないんだ」という思いを改めて固守しようとしている。

 ぼくは、Cのことも、もちろん、五部林のことも大好きだ。
 でも、どうしても、(今は)「家族」だとは思えない。
 それぞれが、大好きな存在、大切な存在、かけがえのない人、ではあるけれど、それが「家族」というイメージと結びつかない。

 もちろん、傍から見れば、ぼくたちは「家族」なんだろうと思う。ぼくは、Cの夫であり、五部林の父であるんだろうと思う。でも、ぼく自身は、この3人の暮らしが、生活が「家族」なんだろうか? とずっと思ってる。まだCとふたりだけの頃は、「『家族』って、こんなものかな」ぐらいにはなんとか思えてきてたけど、五部林が加わったことによって、その結婚して3年かけて積み上げた微かな手応えのようなものが、どこかに吹き飛んでしまって、ぼくは「家族」という、「父」という、目に見えないぼんやりと重いイメージに押し潰されている。
 「家族」というものが、結夏が言うように、「いちばん最初に思い出す人たち」という定義なら、ぼくは、もちろん、Cや五部林のことを思い出す。先日までDVDで見ていた「家政婦のミタ」でも、「家族」のあり方に戸惑う父と子どもたちに、三田灯は「それはあなたたちが決めることです」と言った。
 ぼくは、父親像にしても、家族像にしても、実際に幼い頃から父親がいなかったし、実際の家族は「ふつう」ではなかったように思っているし、だから、それを肯定し、「じぶんの育った家族のような家族をつくりたい」とも、反面教師にし、「じぶんの育った家族はうまくいってなかったから、別の家族のあり方を見つけよう」と、否定することもできない。だから、何か、こう、固まった具体的なイメージがなく、それを求めて、ずっとずっとこれまできた。子どものときから、何か、じぶんたちの家は、他の家族とは「あり方」が違うらしい、って、気づいてから、父親っていうのは、いや、男っていうのは、どういうものなんだろう? と、テレビや映画や、小説やマンガというフィクションのなかに求めてもきた。
 でも、そこには、一見、傍から見れば妙な父親(男)であったり、家族であったりするのかもしれないけど、その人たちが(意識的にではなくとも)自ら「決めた」父親のあり方、家族のあり方があり、それをぼくが真似しようとしても、もちろんできないし、ぼくは、ぼくの父親(男)のあり方や家族のあり方をCと五部林といっしょに「決める」ことが必要なんだと思ってはいる。
 ただ、そのことは、わかっていても、どうしても「じぶんの自由」が邪魔されるのが我慢できないようで、そんな「じぶんの自由」なんて言っても、とくに何があるわけでもなく、ただ、本読んだり、映画行ったり、テレビ見たり、マンガ喫茶行ったり、AV見たり、プレステ3して、架空の、自分と同じ名前の速球派で、緩急をつけて投げるかなりの右腕の選手を育て上げたり、こうして思っていることを書き連ねていたりするだけで、大したものじゃない、何か才能とか技術とか結果とか、そういうものも何もない。
 でも、今はこうなんだ、としか、今は言いようがなくて、じゃあ、こうして、「うつ」になって、Cが与えてくれているような「ひとりの時間」を、これからも持てるようにCと話し合って、「土曜日の13時~17時は好きなことしてていいよ」とか「年に2度は1週間ぐらい好きにしてていいよ」とか、そういう目に見える対策をしてくれたとしても(もちろん、それはそれで、大変うれしいのだけど)、実はそういうことではないようにも思える。要は、「父親のあり方」「家族のあり方」、もっといえば、こうして仕事を辞めて、主夫になることを決めた、今後、主夫を続けてもいいし、また何か仕事を見つけて働くでもいいし、自分で何かやってみるでもいいし、「(これからの)ぼく自身のあり方」にぼくが、ぼく自身の仕方で向き合え、今すぐじゃなくても、この時間が、仕方が、「ぼく自身の納得(あり方を決めること)」に向かって進んでいるような、手応え、自覚、感触がないと、そうした「自由時間」を何時間、何週間、何ヶ月与えてもらったとしても、ぼくは、結局、ずっと迷っているんだと思う。

 今朝、届いていたCからのメールには、「きょうで仕事を辞めて半年だね」と書いてあった。

 メールには「半年経つけど、雇用保険の失業給付の延長手続きは、大丈夫なのか」ともあって、ぼくは、育児を理由に基本手当の受給期間の満了日を延長したので、本来の受給期間(1年)に職業に就くことができない状態の日数(最大3年間*2)を延長させることができるので、「まだ大丈夫」と答えたけれど、仕事を辞めて、もう半年になるなんていうことは、ほとんど意識していなかったので、それをCが覚えている、そして、雇用保険のことも心配しているなんて、驚いた。お金、日々の生活費のことを心配いるのかな(もちろん、ぼくだって、心配しているけど)。
 正式には、ぼくは、去年、2011年7月31日で、常勤職員としては退職し、後任者への引継ぎやら、いろいろとまだやることが残ってたので、8月1日から15日までは非常勤で雇用契約を結んで、8月15日に辞めた。
 だから、きょうで、ほんとに半年だ。

 この半年、ほんとに最初の3ヶ月(11月まで)ぐらいは、家事はそれほどでもなかったけど、一日中、五部林と過ごすことで、これまでほとんど蜜に接したことがなかったから、何がなんだかわからないし、「ひとりの時間」(じぶんの自由)なんて、仕事していたとき以上になかったし、1才前半の、歩き始め、いろんなことができるようになって、動きたい盛りの五部林といると、(大人からみると)いたずらばかりする彼を制することが、ほんとに毎日大変でイライラもし、ひとりでいると気が狂いそうになるから、子育て支援関連のイベントに毎日のように参加し、実際の家事や育児(五部林と正面から向き合って遊ぶ)よりも、そのイベントに行く、イベントを「こなす」ことが、ぼくの役目であり、仕事のように思え、そこでは「お父さんなのに、大変」「主夫だなんてすごい」というような、そういう「外部評価」みたいなものもあって、それが日々の支えになっていたように思う。
 でも、そういう「外部評価」が落ち着いて、4ヶ月目(12月)ぐらいになると、だんだんじぶんが何をやっているのかわからなくなってきてた。そして、疲れも溜まっていた。それで、12月のクリスマス前に、Cがぼくに良かれと思って与えてくれた3泊4日のトーキョー旅行という「自由時間」、そこで数年ぶりに再会した、日々の仕事や生活にとりあえず満足しているように見えた古い友人たちと話をしたことがきっかけになって、満たされていないと思っていた何かが崩れ始め、といより、大きく芽を出して、何もしたくなくなり、何もできなくなった。

 こうして思い出すと、ぼくは、結局、五部林の、息子の育児のために、息子といっしょにいたくて、息子の成長をいちばんそばで感じていたくて、仕事を辞めたわけではなくて、そろそろ飽きてきた前の仕事を辞める格好の理由、対外的にもウケる理由、つまり、息子をダシにして(利用して)、「主夫」という「外部評価」も得られるかもしれない、そしてその「外部評価」から、新しいじぶんの仕事の何かを生み出せたらラッキーかも、程度にしか思っていなかったんじゃないか。ほんとに、ぼくは、この半年、いや、五部林が生まれてからずっと、彼と正面から向き合う、向き合って遊ぶ、なんて、ほとんどしてこなかったんじゃないかと思えてきた。
 このことに、書きながら、気づいてしまった。いや、ずっと気づいていたけど、こうして、目に見えたことばにして、やっと自覚した。
 そして、この半年間、五部林は、とてもさみしかっただろうな、と思うと、涙が出てくる。
 「あなたが好きなのは、自分だけ」。まさに。
 ごめんね、五部林。ほんと、ごめん。Cも、ごめん。

 「最高の離婚」は、とてもいい作品だと思う。
 先週(2/7)の第5話も録画しているし、昨日放送された第6話も録画しているので、また見てみようと思う。
 フジテレビの公式サイトを見ると、第1話から第5話までの「前半ダイジェスト」がYoutubeで配信されていることを知った。


【公式】木曜劇場「最高の離婚」前半ダイジェスト(1)

 このドラマがいいのは、坂元裕二*3の脚本なのか、(脚本家の山田太一を父にもつ*4!)宮本理江子、並木道子、加藤裕将たちの演出陣の力なのか、俳優たちの力なのか、その他もろもろなのか。もちろん、それがすべて合わさっているからいいんだろうけど、第4話でいうと、結夏役の尾野真千子の演技は、素晴らしかった。
 今までほとんど知らなかった女優さんだけど、河瀬直美監督の『萌の朱雀 [DVD]』や『殯の森 [DVD]』に出てたらしい*5

 この第4話を見て、ぼくが指摘された(と思った、思えた)ことは良かった。そして、そのことで気づいたことは、かなしく、申し訳なく、まだどうしていいのかわからないことばかりだけど、気づけたことだけでも、良かったんじゃないか、今はそれだけ。

 きょうは、雨。

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*1:ぼくが、主夫を始めて、数ヶ月経って、五部林と買い物に行くのが大変で、高いんだろうと思っていた価格も、実際に説明を受けると、スーパーとそんなに変わらないことがわかったので、10月ぐらいから加入した。でも、去年の年末ぐらいから、一切注文していない。でも、毎週、カタログだけは届く。Cは利用しない

*2:育児の場合は、子どもが3才になる誕生日の前々日まで。ぼくの場合は、2014年7月9日まで

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%85%83%E8%A3%95%E4%BA%8C

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E7%90%86%E6%B1%9F%E5%AD%90

*5:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E9%87%8E%E7%9C%9F%E5%8D%83%E5%AD%90