〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

自明的な禁句

 昨夜(ゆうべ)も、日手紙書き終えて、リビングでメロンパン食べながら、Cと話して、1時前に、和室へ行って、五部林と寝る。
 Cは、日記をつけていた。

 今朝、少し寝坊して、7時すぎ起床。先にCと五部林は朝食を食べていたので、ぼくは朝食を食べ終えた五部林を着替えさせたり、支度したり。
 8時前、Cと五部林が出発。保育所に預け終わったCから「五部林、保育所で別れ際に『行ってくるね、バイバイ』って言ったら、悲しい声を出しながら、バイバイと手を振って見送ってくれた。わかってるんやね。成長してるね。泣きそうだったわ」とメール。ぼくもそのメール読んで泣きそうで、すぐに保育所に行って、五部林を抱きしめたくなった。

 それから、家事を済ませ、10時前、支度して、外出。
 きょうは、去年の秋(9~11月)に参加した「ノーバディーズ・パーフェクト*1講座」@クレオ大阪東で友だちになったWとHと、天満橋でランチをする約束をしていた。
 電車で行こうかとも思ったが、せっかくの良い天気なので、愛車・リトルカブで行くことに。30分弱で天満橋着。11時の待ち合わせ時間には少し余裕があったので、大川沿いの葉桜道を少し歩く。

 原付の駐輪場を探すのに時間がかかって(結局、OMMビルの向こうまで行かなければならなかった)、結局、京阪シティモール7Fにある待ち合わせ場所のジュンク堂書店天満橋店)に着いたのは、ギリギリ11時前。
 まず、ベビーカーに1才5ヶ月のTくんを乗せたHと会った、それからほどなく、1才7ヶ月のRくんを連れたWとも会い、ランチのお店をどこにしようか迷ったけど、子連れなので、上部階にあるレストランはやめて、同じ階にある喫茶店で食事。
 大川が見渡せる窓際の席で、子連れの食事がバタバタと繰り広げられながら、情報交換。Tくんとは、去年の11月以来、Rくんとは去年の12月以来会っていないから、とても大きくなったように思った。情報交換、といっても、前置きとかなく、どんどん本題(子育ての話)になっていけるから、楽しかった。
 その後、外に出て、大川沿いを散歩。大川沿いには、東日本大震災の復興イベントとして、すでに鯉のぼりが掲げられており、葉桜になったとはいえ、まだ花も残っている桜と鯉のぼりが同居する風景はなかなか絶妙だった。

 HとWとともに、ぼくも子どもたちを追いかけたり、抱き上げたり、階段を上り下りしたり、ふたりが抱っこしてる間、ベビーカーを両手に持って押したり、と、なかなかハードではあったけど、そんなことをしながら、また近況報告や、今後の展望などを話す。同い年のWは、この春から、子どもを対象とした英語教室の講師を週1でやってみるようで、他の講座の人たちも、4月からパートに出たり、職場復帰したり、また2人目が生まれたり、と、それぞれ忙しくも充実した日々を送っているよだった。
 14時前に、「じゃあ、次回は、5月、鶴見緑地へピクニックに行こう」と3人で言って別れて、「そのときは、(保育所休ませて)五部林も連れてくるよ」とぼくは言った。やはり、こういうとき、五部林がいないと、さみしかった。
 帰りに、もう少しゆっくりしたくて、OMMビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。隣で年配の、東京から出張に来てる風のサラリーマンが、ずっと「レーシック手術」の体験談を話していて、「未だにメガネかけてる人の気が知れないよ」と、メガネをかけているぼくのすぐ隣で標準語で言われたので、外そうかと思った。
 その後、また原付で気持ちよく走って、15時前、帰宅。

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 帰宅して、夕食の支度(牛肉とアスパラともやしの炒め物、レンコンと小松菜のスープ、枝豆など)をして、16時すぎ、S保育所へ。
 教室を覗くと、五部林は、洗面所付近でウロウロと手ふき用タオルと格闘しており、「五部林くん、お父さん、迎えに来たよ」と先生に言われるまで、しばらく、ぼくの姿を認識していなかったようだった。
 それから、またベタリとぼくの傍らに体をすり寄せてきて、何かぼくには聞き取れないことばでいろいろと報告してくれているようで、ぼくは「うん、うん」とうなずきながら、着替えやオムツなどを回収。
 それから、いつものように、ぼくが抱き上げて帰ろうとすると、それを嫌がって、結局、五部林は、ひとりで教室から出て、ひとりで階段を下り、ひとりで靴箱から靴を出した。朝のCから聞いたエピソードと言い、五部林は、この数日間のうちでも、すごく成長したな、と思った。

 保育所を出て、きょうは、近くのURのなかの公園に遊びに行った。
 その公園の遊具では、すでに小学生らしき兄妹が遊んでおり、ぼくが「こんにちは」と声をかけると、「赤ちゃん、何才?」と兄の方が訊いてきたので「1才やで」と答えると、「1才! ヒエー、小さ!」となかなか良い反応を示し、そこから、その兄妹といっしょに遊んだ。
 兄の方は、Tくんといい、小学校2年生、妹の方は、Yちゃんといい、幼稚園の年中さんで、妹のYちゃんが、ふつうのすべり台ではなく、トンネル型になってるすべり台をこわがってすべろうとしない五部林を抱いて、何度も何度もすべってくれて、五部林はその度キャッキャと奇声を上げて大喜びだった。
 そのうち、どんどん子どもたちが集まってきて、月曜*2に外島公園でもいっしょに遊んだIくん(4才)には、車を押してもらったり、Iくんの妹・Sちゃん(2才)とは、仲良く砂遊びをしたり。そのほかにも、【だ】が名前を聞きそびれた子どもたち6~7人が、五部林と遊んでくれ、ぼくも子どもたちと遊んで、走り回って、ヘトヘトになった。
 18時前、帰宅。
 また、五部林が帰ってくるなり、「マンマ-、マンマー!」と大声で叫ぶので、すぐに夕食。

 夕食の片付けをし、洗濯物を取り入れ、畳んでいる間、きょうも五部林は、三宮麻由子・ぶん/みねおみつ・え『でんしゃはうたう』を手に、ぼくに、読め、読めとせがむ。結局、3回ほど読んだ。
 それから、明日の着替え、オムツを用意。きょうの保育所からの「れんらく帳」を確認すると、昨日の「おかずを2回おかわりしました」に続き、「ピラフおかわりしました」とあった。それから、きょうは、「戸板登り(斜面登り)」をして遊んだようだった。五部林は、立って登れていたらしい。

でんしゃは うたう (幼児絵本ふしぎなたねシリーズ)

でんしゃは うたう (幼児絵本ふしぎなたねシリーズ)

 19時半すぎ、Cが帰宅。すぐにふたりは入浴。入浴後、また五部林は、すこし体がかゆそうなので、アズノール軟膏とオイラックスクリーム10%を塗る。それから、部屋を暗くしたら、あっという間に寝た。
 その後、五部林を挟んで、またCときょうの報告などをしていたのだけど、相変わらず鼻づまりが激しい五部林のいびきのせいで、お互いの声が聞こえないぐらい。
 明日は、保育所の初めての「クラス懇談」が夕方にあり、Cも仕事を早退して参加する予定なのだけど、「夫婦ふたりで参加するのはうちぐらいやろな」「もし、親の自己紹介をすることになったら、ちゃんと病気療養中って、言うんやで」とCが言うので、ちょっとイライラして、「そんなこと言うんやったら、俺、ひとりで行くからええよ」と言ったら「それはいやや」とC。

 きょうは、昼から夕方にかけて、ずっと、子どもたちと格闘して過ごしたので、大変疲れた。
 はやく寝よう。

 いつも、子ども(障害児)、福祉、など、いろんなことについて、ぼくに示唆を与えてくれるid:lessorさんの「「愛されないから愛せない」と悩む母たちへのマンガ - 泣きやむまで 泣くといい」を読んだ。
 この投稿は、山口かこ・文/にしかわたく・絵のマンガ(コミックエッセイ)『母親やめてもいいですか』についての感想を通じて、「親子関係において自明視されている『愛着形成』の難しさ」について、id:lessorさんが書いていることで、この作品に登場する子どもは、いわゆる「障害児」(自閉症)なのだが、障害があろうとなかろうと、「愛着形成」(の難しさ、その過程)については、ぼくも、いろいろと疑問があるし、何より、親子関係においては、その他「自明視」されていることが多すぎて、ぼくは戸惑ってしまう。
 これまで、ぼくは、「家族(というものが何か)がわからない」「父親(というものが何か)がわからない」と書いてきたけれど、逆に、「わかっている」とも言え、うまくいえないけれど、「自明視」されているそれらがどんなものなのかはだいたいわかっているが、ぼくがそこにいたい「家族」、ぼくがなりたい「父親」というものがどんなものなのかわからない、ということだと、この投稿を読んで、改めてわかった気がする。

 そして、id:lessorさんは、

(前略)自分はつい先日、家族との死別を淡々と受け止めているように見える子どもの様子に複雑な気持ちを抱く親から話を聴いていた。その子はもう青年期だ。著者だって、先のことはわからない。子どもは変化するから、ずっと信じ続けるのは簡単でない。

 信じられなくなったとき、さらには信じられない自分を許せなくなったときに、「実は私にも以前そんなことがあってね…」と語ってくれる人が必要である。しかし、なかなか表立って語る人は現れない。子を信じない親に世間の風当たりが強いことを、親たちは知っているのだから。たくさんの「禁句」を飲み込みながら、絶望を深めていくとしたら、どうか。

 とも書いていて、ぼくは、ここでも気になったのは、「禁句」ということばだ。
 ぼくが、この数ヶ月間、主夫というものをやって、他の親(おもに母親)と関わるなかで思ったのは、いろいろとじぶんの子どもについて相談する風な体裁は整ったとしても、それでも親たちの間での「禁句」*3というのは、ある。
 その「禁句」を取っ払って、いろいろと話せたのが、きょう、会ったHとWもいた「ノーバディーズ・パーフェクト(完璧な親なんていない)講座」であり、だからこそ、何かこう、断酒会ではないけれど、同じような立場で同じような悩みを持つものどうしで「禁句」はナシにして話をしよう、という前提があった集まりだったので多くのことを語ることができたけれども(そして、最後の回は、みんな涙、涙の時間だった)、でも、ふだんの子育てサークルの場や、子育て支援イベントの場では、決して語られることのない、というか、「自明」的な「禁句」、ルールというものがあって、それを探ることに、ぼくは最初苦労した。

 前に、ぼくは、以下のようなことを少し書いたけれど、

(前略)こういう話でいつも言われるのは、「子育てを母親任せにするのではなく、父親、祖父母、地域、みんなで関わるようにしよう」という「キャンペーン」的言説で、もちろん、言ってることは正しいとぼくは思うし、そうなればいい、そうしよう、と思って、ぼく自身も、コツコツと動いたりするのだけど、それって、「障害者(高齢者、など、福祉の対象である立場の人全体)をもっと地域に」とか、いろんなところで言われる「キャンペーン」言説的同様、その当事者(親、支援者、介護者)にとっては、そんな「キャンペーン」に関わっている余裕はむしろなくて、その日、その場が修羅場なんだと思うな。
 「キャンペーン」と修羅場をどう結びつけていけるかが、大切なんだと思う。
3歳児神話

 少しでも、親の負担、ストレスを軽減するために、行政なり、地域の人が、子育てサークルの場や、子育て支援イベントを企画したとしても、この「自明」的な「禁句」、ルールを、主催者側も改めて認識したうえで、さらに、親たちも、じぶんたちのそれらを自覚する技術的な進行をしないと、「ほんとうに困っている」親たちはそこで語ることはできない。
 ぼく自身、子育てに最高潮に疲れて悩んでいるときは、それらに参加する気持ちになれなかったのは、そういう場に来ている親というのは、ある意味、「エリート」なのだという気がしたからで、そこにいられる親たちに、子育てに対する日常的な悩みや「不穏さ」はあっても、「自明」的な「禁句」を一度自覚してしまうと、こわくて、「自分を許せなく」て、そんな「エリート」たちのなかに入り込む資格など、ぼくにはない、と思ってしまったのだった。

 子育てエッセイマンガというのは、今、とてもたくさん出版されていて、ぼくも何冊も読むけれど、たいていは「たのしく、おかしい」、(少しヌケていたり、ドジだったりする親の)自明の、あるべき子育ての日々が描かれているもので、ぼくはそれを手にできないときがあった。
 そして、「自明」的な「禁句」を恐れないで書かれているものは、虐待ケースなどの、ものすごく重い内容(たいていマンガではない)だったりして、その振り幅が大きすぎるように思う。
 まだ、ぼくは、『母親やめてもいいですか』を読んでいないけれど、同じ投稿で、id:lessorさんが「最近自分が読んだ作品の中で、子どもと関わる者にお奨めしたいもの」として挙げていた、野原広子『娘が学校に行きません 親子で迷った198日間』と井上きみどり『マンガでわかる コドモの医学 (愛蔵版コミックス)』とともに、読んでみたい。

 久しぶりに、id:lessorさんの文章を読んで、じぶんで気づいたのは、以前は、障害児にかかわる仕事をしていたから、仕事目線で彼の文章を読んでいたように思うのに、今は、障害がある/なしに関わらず、「子ども」に関わる者、親として、読んでいることだった。
 

母親やめてもいいですか

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  • 作者:山口 かこ
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
娘が学校に行きません 親子で迷った198日間

娘が学校に行きません 親子で迷った198日間

  • 作者:野原広子
  • 発売日: 2013/01/18
  • メディア: 単行本

 きょう、五部林を肩車して、歩いて帰宅途中、スズランがきれいに咲いているのを見つけた。

http://instagram.com/p/X6v2bHvXt5/

*1:http://homepage3.nifty.com/NP-Japan/

*2:http://sube.hateblo.jp/entry/2013/04/08/235607

*3:ものすごく、単純化するなら、例えば「子どもを殺したいと思った」とか「子どもを愛していない」とか