〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

裸足の乳児、ガラスの心をもったおっさん

●四月三十日(火)

 午前中、雨。昼から、Oくんと会う。
 「ゆめどの」でランチを食べながら、ゆっくりと話す。
 Oくんと会うのは、去年の九月以来。ぼくが主夫を始めたということを聞いて会いに来てくれた。今回も、Oくんから電話をくれて、会うことになった。彼とも二十年来の付き合いか。といっても、何年も会っていなかったりした時期もあったけど。ぼくが二十才のとき、二十七、八だったのだろうか、そうすると、今、Oくんは四十五才ぐらいか。そして、彼もどんどん転職をする人なのだけど、今、勤めてるビルの管理の仕事で四月から正社員になったという。
 彼と共通の知人で、最近、二十年ぶりぐらいにLINEで再会したIさんのことを話すと、ほとんど覚えていない素振り。そして、「IさんとOくんの話になったので、『相変わらず“ガラスの心を持った少年”だよ』って言っといた」と言うと、少し怒った様子。「ぼくは、現実的だよ」と。
 でも、そこからOくんが話していたことは、ひどく非現実的なことで、それがまったく悪くはないんだけど、それを彼自身が自覚していないということに少し心配になった。四十代半ばになって「アニメーターになりたい」という夢は、悪くはないし、きっと可能なんだろうけど、それと、彼自身のいう「現実」がまったく一致できない、というか、一致させようとしていない、そのズレに彼は悩んでいて、でも、それって、二十年前にも彼から聞いていたような気もして。
 それから、親の介護、という話にもなって、四日市にひとり住んでいる父親のことを考えると、「もうそろそろ実家に帰るべきかもしれない」とOくんが言うので、ちょうど、Iさんのお父さんが亡くなったばかりで、彼女の六年にも及ぶ仕事&介護生活のことを少し話したりして「並大抵の覚悟じゃできない」、むしろ「現実的に」考えれば、「特養などに入ってもらうのがお互いにとっていいのでは?」と提案すると、また少し怒った様子。そして、「ぼくは、家族のことをあんまり人に話さないんだけどね」という前置きで、「家族史」のようなものを話され、「それなら、まだお父さんが元気な今のうちに帰ってあげて、これからのことをいっしょに考えた方がいいかもね、もう今が、最後のお父さんとの『和解』のチャンスかもよ」と言うと、なぜか宮崎駿(彼は宮崎アニメが好きだ)の話になって、「最近、日本映画学会に入会した、これもまだ誰にも言ってないんだけどね」という話にもなって、ま、結論的には「夢を諦めて実家に帰りたくはない」という話だったんだけども、「ぼくの手には負えない。もうなるようになるしかない」とも言っていて、ぼくは「でも、結局、Oくん、何も動いてないやん」と言いそうになったけど、また怒られそうなので止めた。
 Oくんと話すと、ぼくのなかの「ガラスの心を持った少年」を思い出すことができて、とても快適なときと、とても不愉快なときが同居していて、楽しくて苦しくて、いい。

 Oくんと三時間ぐらい話して別れて、帰りに守口市社会福祉協議会に行って、会員手続きをして、夕食の支度して、五部林を迎えに。
 午前中、雨が降っていたせいで、保育所にはお気に入りの長靴を履いていった五部林と、水たまりを探して歩く。五部林、とても楽しそうに水たまりのなかに入って、ビチャビチャと足踏み。そのうち、泥のなかに手を入れて、グチャグチャ。
 下島公園に行くと、なぜか裸足になりたがり、裸足で公園を駆ける五部林。足の裏が痛くないのかな、と思いながらも、そのまま駆けさせておく。