〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

まどいせん

 坂元裕二・脚本/水田伸生・演出のドラマ「Woman」(第1回)を日テレオンデマンド(無料放送)で見た。
 以下、印象に残ったシーン。

--小春(満島ひかり)が二十年ぶりに自分を捨てた母・紗千(田中裕子)と会い、そうめんを前に語り出す。

小春「何がですか? さっきなんか『大変』って。『大変』とかいろいろあるでしょうね、とか、何がですか?」
紗千「何かおかしいかしら? 母子家庭でしょ? 大変でしょ?」
小春「別に、あの、母親として当然のことしてるだけで、大変とか、いろいろ、とかいうの別にないです」
紗千「そう」
小春「母親だから、お母さんだから、子ども大事だから、負担とか思ったこととかありません」
紗千「そう」
小春「子どもを育てるのって、ほんとは難しいことじゃなくって、じゃないんだけど、難しいのは、それをひとりですることで、お風呂もご飯も電車もみんなひとりでやったら急に難しくなりますし、ただ、ご飯つくったり、ただ、電車で三つ先の駅に行くのが、ただ、難しくなります。子ども育てるのって、ほんとは大変なことでもないのに、ひとりだとどうしてか…」

(雨が降ってくる)

小春「子どもを連れて町に出て、一番耳にするのが、舌打ちと咳払い。毎日聞いてると、だんだんなんか、子どもを連れてるのが悪いことに思えてくる。子どもってジャマなんだな、子どもって迷惑なんだな、わかんないですけど。
 お金なくなって、わたし、昔っから、お寿司はいなり寿司が好きで、パンはぶどうパンが好きで、なんでだかわからないんですけど、安上がりだなぁって、思ってたんですけど、今は子どもにそれすら食べさせられない。満足に。お腹空いたって、言わせてる。何より、あぁーって、思うのは、子どもを残して出かけることです。仕事してる間、想像して、私がいない間、何かに巻き込まれていたらどうしようって、こわいこと、こわいこと、想像して、帰って寝顔みてもまだ全然安心とかできなくて。
 お金がない、って、人に言うと『母の愛があれば大丈夫』って、言われます。そうか、そうかなぁ、お金で買えない幸せがあるっていうけど、そういうこと言う人、お金持ってて、私はまず、お金で買える幸せがほしい。お金じゃ幸せ買えないかもしれないけど、お金あったら不幸になることないしって。
 そういう、そういうふうに思ってること、彼に聞こえてるかな、聞こえてたら怒ってるだろうな、だって、言ってたし。『父親の仕事は、子どもに希望を伝えることだと思う』、『母親の仕事は、子どもに愛を伝えることだと思う』って。だけど私、母親から愛情なんかもらってなかったから。
 男の人は母性っていうけど、そんなの無理。だって、母性、そんなのほんとに欲しがってるの、女の方だもん。お母さんの愛が欲しくて欲しくてたまらないのは女の方だもん。そういう、そういうのを、『大変』、とか、『いろいろ』、とか、それちょっと違うんじゃないかなって」
紗千「わたしにそういうこと言われても」
小春「ほんとは、信さんは死にました。三年前、駅で、線路に、電車で。転がった梨拾おうとして線路に落ちたんです。今も信さんに愛されてるって、思ってます。愛してるだけじゃない、愛されてるって思います。今も。だけど同じだけ思います。いてくれたらなぁ、信さん、いてくれたらなぁ。なんで梨なんか、なんで拾おうとしたんだろう、なんで、ってずっと思ってて、けど、さっきやっとわかって、そうだったんですか? なんなんだろうな」

(そうめんを食べる紗千)
(雨が降り続く)
(そうめんをすする音)

http://instagram.com/p/bWILTVPXrA/

 「遠き山に日は落ちて」(ドヴォルザーク・作曲/堀内敬三・作詞)が、このドラマのテーマソングのようなものになる予感。
 一番の歌詞。

遠き山に日は落ちて

星は空を 散りばめぬ

今日のわざを なし終えて

心かろく やすらえば

風はすずし この夕べ

いざや 楽しき まどいせん

 この「まどいせん」って、ぼくは、勝手に「惑いせん」(惑わない)だと思ってたけど、そうじゃなくて、「円居(団居)せん」だったと初めて知った。
 「円居(団居)」とは、

一、まるく居並ぶこと。車座になること。
二、親しい人たちが集まり、語り合ったりして楽しい時間を過ごすこと。団欒(だんらん)。

 という意。