〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

解毒

 昨日から、五部林が、保育所を休んでいる。
 一昨日の夜から発熱、昨日は、朝方に三十九度を超える熱、心配になってFクリニックを受診したところ「手足口病」との診断。その後も、一日中グッタリしていて、ほんとうに心配だった。
 けれど、今朝、一転して、すこぶる元気。足を中心に水疱や赤いブツブツはできているものの熱も上がらず、ピンピンしていた。
 そんな彼が、昼寝している間に、「母の友」(二〇一三年七月号)読了。

 今月号の特集は①「選挙で社会は変わりますか? 民主主義のいま」、そして②「子どもと自然をつなぐ絵本」。
 「母の友」は、創刊六〇周年を迎える今年度からリニューアルしており、特集のテーマも、ぼくがとても読みたくなる内容ばかり。先月号(六月号)の特集は「脱『イクメン』宣言」だった(そのときの感想は→http://sube.hateblo.jp/entry/2013/05/08/140708)。

 特集①は『社会を変えるには』(というより、ぼくにとっては『1968』)の著者でもある小熊英二さんへのインタビューで、いまの日本の民主主義について考える、という内容。
 去年(二〇一二年)の衆院選に<ぼくら>が「がっかりした」ことを例に挙げ、<ぼくら>は「議席配置(数)=政治」、「社会=マスメディア」だと思っていて、且つ、その政治と社会が<ぼくら>の民主主義だと思い込まされている、と小熊さんは述べる。
 前者の議席配置(数)でいうと、ぼくらは、二〇〇五年の自民、二〇〇九年の民主という、勝利政党は約三〇〇議席をとるという経験をしたけれど、だからといって、政策の選択肢はほとんど変わっていない。「やったほうがいい政策」というのは、どの政党が勝利しても、財政の問題もあり、選択肢は限られている。
 後者のマスメディアということでいうと、ぼくがまったく知らなかったのは、日本の「読売新聞」の約一千万部、「朝日新聞」の八百万部弱の購読部数が、世界第一位と二位という事実(ちなみに、歴史上この二つを抜いたのは八十年代末、ソ連共産党機関紙「プラウダ」の二千万部のみらしい)であり、明らかに、日本の「世論」は、世界的にみても異質な状況でつくられている。
 だだし、そのうえで、小熊さんは「日本の民主主義は変わってきている」という。例に挙がっていたのは、反原発デモ、「保育園ふやし隊@杉並」にみる待機児童解消への運動など、孤立しがちな現代人の肉体性を回復する作用ももつ、デモンストレーション(実演説明)の動きだった。
 つまり、すでに、もう「数」が問題ではなく、「たった一人でも、『この人はわれわれを代表している』と思われば、社会が動くこともある」ということ。
 そのうえで、小熊さんは、こう締めくくる。

 もう選挙だけではだめで、古代のように直接に対話を重ねられる場を作るしかない。つまり町内会とか会社に代わる、新しい「われわれ」を作るわけです。そのためには多くの人が参加できる場を設け、対話を促していくことです。運動もそういう場の一つですね。
 選挙という制度を続けるなら、できるだけ分権して、身近なレベルで直接合意ができるようなシステムを作っていくしかないと思いますね。(略)
 結局、一人ひとりが納得し、自分で参加し、動くようになることでしか、根底から社会を変えていくことはできない。まずは自分自身の一歩からですね。

 新しい「われわれ」。
 いや、<ぼくら>であり<わたしら>でいいと思う。
 ぼくは、ここに、先日の小平の住民投票への動きを思う。
 この多様化した現代日本に、多くのあらゆる声を「代表」できる組織や集団を再起動させるのは、もう無理で、ひとつひとつの出来事に対し、「身近なレベルで直接合意ができるようなシステム」で対応していくしかないと思う。そして、それは「反対」ではなく「対話」であり「提案」を吸い上げるものの方がいい。
 そう思うと、もし、選挙という制度を続けるなら(ぼくは、はっきり言って「多数決」が物事を決める今の民主主義の制度には納得がいっていない)、小選挙区制→二大政党制→反対(か賛成)の構図は、やはり、見直した方がいいのかもしれない。

* * *

 それから特集②「子どもと自然をつなぐ絵本」。
 これは、先に読んだC(妻)から、「こんなことが書いてあった」と、教えてもらい、大きく頷いたのだけど、今年3月まで観心寺保育園(大阪府河内長野市)の園長だった渡辺範子さんのことばがとても印象に残っている。少し長いけれど、引用。

 今、世の中は人工的なものにあふれ、子どもは生き物としての自然性から遠のいています。本来の「動きたい」「自分でしたい」という欲求が満たされず、いらいらしているように見えます。(略)
 保育園でも、休み明けの月曜日にいらいらしている子どもが多いというのが、現場の保育士の声です。大人は日曜日の子どもサービスのつもりでテーマパークへ出かけたり、あるいは映画館やゲームセンターといった人工的な遊び場に連れていきます。でも、五歳以下の子どもには強すぎる刺激です。それが月曜まで尾を引いて子どもをいらいらさせます。“愛してほしい”子どもの思いと大人の子どものサービスが、残念ながら行き違っているのです。
 休日に満たされなかった思いを子どもは保育士にぶつけます。寂しい気持ちの表現として、ひたすらだっこを求めたり、おもちゃを投げつけたり、椅子を投げたりもする。ぼくだけを見て、私だけを見てほしいという訴えです。荒れるのは自分を取り戻したい子どもの表現なんです。
 今、子どもたちは様々な“テクニック”によって育てられているように感じます。しつけの必要があるから知育雑誌、体を動かすために体操教室、学校へ行くために英語だ塾だと、子育てが分業になってしまっている。
 大人のほうも忙しく、職場で理不尽な目にもたくさんあっています。母が守られているとは思えない世の中です。
 自然の中で「子ども」を取り戻すと言いますか、人工的な環境で時間に追われている日常から自分を取り戻す。それは、実は生きる本来の喜びを見失っている大人にも必要な解毒かもしれませんね。

 この話を、Cから聞いたとき、ほんとうにぼくは耳が痛かった。
 なるべく「人工的な」場所には五部林を連れて行かないようにしていたつもりだけれど、そんなことよりも、むしろ、保育所が休みの日には「いっしょにいる」ということをいちばん大切にしなければならなかったのだと思う。
 遊具などの「対象」があると、ぼく(親?)は、楽なのだ。遊びの「創造」をしなくても済む。
 ほんとうに子どもと「いっしょにいる」ということは、子どもを見つめ続けるということで、逆に言えば、子どもの視線を真っ正面から受けなければならず、それは、じぶんと向き合うことを余儀なくされ、それは、とても面倒で、できるなら目を逸らし続けていたい。
 そう思うと、五部林が、手足口病になってから、昨日、きょうと、この2日間、ぼくは、彼とふたりで部屋のなかで過ごして、彼は(少なくとも昨日は)しんどそうだったにせよ、ゆっくり「いっしょにいる」ことができた。それは、ほんとうにぼくがしあわせだったと思う。もちろん、とても疲れたけれど。そして、すぐにどこかに遊びに行きたくなったけれど。
 病気のときしか、こんなふうに過ごせないじぶんを情けない親だと思う。

* * *

 あと、ほかにも「母の友」(二〇一三年七月号)には、興味深い記事、連載があったのだけど、もうひとつ。
 「7月の子どもたち」という、深大寺保育園副園長の今井和子さんの連載。
 七月ということで、七夕の短冊に子どもたちが書く「願いごと」についての話題が書かれていて、過去には「大人になったら人の役に立ちたい」と願いを寄せる子どもたちがもっとたくさんいたのではないか、というもの。
 「人の役に立ちたい」という願うことを、今井さんは「それは誰もが生まれながらに持っている『社会的本能』といわれます」と書いており、子どもが育っていくと大人の手伝いをしたがり、それを大人が喜ぶととてもうれしそうにしている、という例を挙げているのだけど、そのことと「誰もが生まれながらに持っている」「本能」だと言えるのかどうかは、ぼくには疑わしく、むしろ、ぼくは「親になること」、「子どもを育てること」が、幼いころに願っていた(らしい)「人の役に立ちたい」という思いを再帰させるきっかけになるんじゃないか、最近、すごくそう思ったりする。