〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

ソシアルなもの

 …とても眠いけれど、ぼくにとって忘れてはならないことが重なった一日(二十六日)であったので、少しメモ。

小平市の住民投票、投票率50%に届かず不成立 | ハフポスト

 このニュースは、ぼくにとって、大変残念な結末ではあったけれど「三五.一七%」という、三人に一人は投票に行ったということを示す、何か、こう、希望のようなものと、三人に一人しか投票に行かなかった、という絶望のようなものを合い混ぜた感情をぼくに抱かせた。

 この住民投票が行われているきょうという一日、ぼくは、まず、朝から、五部林といっしょにNP+(エヌピープラス~去年の秋週一で通っていた「ノーバディーズパーフェクト」講座)の「仲間」達と、半年ぶりの同窓会(交流会)にクレオ大阪東まで出かけていて、「じぶんが今直面している問題」というテーマで、みんなと話していたときに、ぼくはそれについて「『じぶんのしたいこと』になかなか取りかかれない→『じぶんのしたいこと』になかなか気づけない」というふうに答えて、そのなかの説明で、この小平市住民投票について触れた。
 ぼくは、おそらく、去年の夏、リーマンを辞めて「主夫」となり、育児・家事に専念するつもりだったが、専念するだけのつよさがぼくにはなく、結局、この春から、一才の五部林を保育所に預けることになったのだけど、その現実は、少し脇に置いとくとして、ただ、「主夫」となったにしても、ずーっと育児・家事に専念するつもりはなく、いつか五部林の手が少し離れたら、何か「仕事」を始めようとは思っていて、ただ、それは、リーマン、つまり、どこか(誰か)に雇ってもらうかたちではなく、じぶんで何かを始めよう、始めたいと思っていた。
 そして、そのやりたい「何か」というのは、ソシアルなもの(きょう、書店で立ち読みした松浦弥太郎センス入門』に書かれてあった「ソシアルワーク」という言い方に近い。でも、松浦弥太郎のその著書のなかでの語り口は、以前の彼らしくはない高所からのことばのように読めてしまったけど)であることは確かで、ただ、ぼくに、そんなソシアルなものの何ができるのか、何がしたいのかということが、今のぼくにはまだよく自覚できていなくて、でも、やはり、きっかけは「子ども(子育て)(支援)」だというような気がしており、これまでには気づかなかった「子ども(具体的には、息子・五部林)を通してみえたセカイ・社会」を、もう少し風通しのよいもの、生活している人の意見や考えが可能な限り反映されているものにしたい=子どもを育てる環境をより善くしたい、ということであり、そこには、小平市住民投票で、哲学者の國分功一郎さんが主張している、行政(そして、行政だけではなく、善くしたいという思いを滞らせているもの)に向けて「反対ではなく提案・対話」をしていくことが大切だよな、という思いがあって、それは、善悪というよりは、もっと効率主義というか、合理主義のような、ところから来ている思いなのだけど、そちらの手法の方がより、現実に反映されやすいのではないか、とぼくが思うからで、シュプレヒコールやデモ行進にはアレルギーがあって(ぼくもそのアレルギー感染者のひとりだ)、でも、他にじぶんの思いを伝える術を知らなくて、そういうときに、國分さんが、ぼくのツイートに関して返信してくれたことばを借りれば「ドゥルーズ派」なやり方があるのではないかというヒントを与えてくれ、これは、もうほんとに何が正しくて、何が間違っているということではなく、それこそ「センス」の問題だと思うのだけど、単にぼくはそのやり方が「好きだ」というだけのことで、ソシアルなものをやろうとすると、利益、便利、早さだけではい、資本主義的ではなく民主主義的なものが不可欠だから、前置きが長くなったけれど、そういう関連性から、ぼくは、「じぶんのしたいこと」について話すときに、小平市住民投票について触れた。
 そして、あと数ヶ月で四十代にリーチをかける、つまりソシアル的にいえば、団塊ジュニア世代のひとりとしてのぼくが、息子・五部林世代に遺せるものがもしあるとすれば、シュプレヒコールやデモ行進ではなく、「草の根運動」をより秘密結社っぽくなく、風通し良くできる土台のようなものをつくることなのではないかとも考えたりしている。

センス入門

センス入門


 NP+の同窓会(交流会)の後、ぼくは、その仲間達と大阪城公園に行き、いっしょにお弁当を食べ、子どもたちと遊んだりして解散し、途中、Cも合流しながら、ちょうど東京から出張に来ていた、大学時代の友人・Tっちに大阪城公園まで来てもらい、ニュース映像のような噴水広場で裸で遊ぶ子どもたち(五部林を含む)を眺めながら、いろいろと話していたのだけれど、じぶんで何かを始めよう、始めたい、じぶんで何かを通じてソシアルなことをしたいと思ってはいても、それが「好き」なこと(ぼくなら「本」とか「手紙」とか「喫茶店」とか「作文」とか)をそれに巻き込んで良いものかどうかを迷ってるというような話をしていて、その「好き」なことで、事業なりが順調に進んでいるときはいっこうに問題はないものの、うまくいかなくなったとき「好き」を手放すことになる可能性もあって、そう思うと、(生活していくための金銭などを得るという意味での)仕事というのは「好き」とは別のものにしておいた方がいいんじゃないか、とも思って、だからこそ、ぼくは「『じぶんのしたいこと』になかなか取りかかれない」のかもしれないと思った。
 Tっち自身は、粘り強く行動してきた結果、今、彼の念願の夢であった絵本編集者という職業に就いているけれど、やはりそこには夢時代にあった「憧れ」や「きれいごと」だけでは仕事はできず、仕事は「お金を稼ぐためのツール」として割り切らないといけないシーンがある」と彼も言っていて、その通りだろうなとは、これまでもずっと思っていたし、改めてそう思った。

 それから、帰宅して、マンションの管理組合の理事会に出席。
 まさにその理事会というのは、ソシアルなものであるかもしれない。それは、ぼくが今住んでいる、計四棟、九百七十三世帯の住民(約三千人)を代表した意思決定機関であり、ただ、きょう、他の議案が早めに終了したこともあって、マンション住民のなかの高齢者(独居・夫婦二人暮らし)の割合が増えてきていることもあって、危機管理的な互助ができる態勢も含めて、所謂「老人会」的なものを、二年前に発足したけれど、うまく人が集まらない、活動ができていないが、どうすれば良いのか、という、少し余談的な話(というか、むしろ、ぼくは、改修工事にいくらかかるとか、どこを修繕しなきゃいけないとかいう話より楽しいけど)になったときに、理事に就任して一年になるのに恥ずかしい限りだけれど、ぼくは、改めて、というか、初めて、その管理組合の組織としての理事会(理事という立場)と、マンション(約三千人が住む地域)の住民で構成される自治運営委員会(自治会)の位置づけを確認し、そのうえで、自治運営委員会(五十数名の班長・四名の棟長・その他委員希望者で構成)の活動が、もっと活性化しないと何も解決には至らないということもわかって、実は、ぼくが理事に就任して一年、夏祭り、運動会、文化祭、餅つき大会、その他各種行事の準備を手伝っていたのは、それは「理事」としてではなく、「自治運営委員会の委員で動く人がほとんどいないから、理事が委員の不足を補っている」状態に過ぎず、本来の「理事」の業務ではない、ということがわかって、うすうす感づいていたことではあるけれど、納得がいった。
 そして、先日の管理組合の定期総会では、約三千人いるだろう住民のうち、十五人ほどしか出席していなかったし、さらにその十五人ほどのすべてではないけれど、そこで意見を発するのは、所謂「反対派」の人たち、今のマンションの状態(主に目に見える、エレベーターや塗装などの設備)についての不満を持っている人たちで、主に六、七十代のシュプレヒコールやデモ行進をした経験があるかないかはわからないが、「反対ではなく提案・対話」型の人たちはほぼいなかった。
 我がマンションの自治運営委員会は、マンションが建って三年後ぐらいに発足して、数年はとても活発に会を重ねていたらしいのが、いつの間にか、だんだんと参加者も少なくなり、ほんの数人の人にどんどん負担がかかるようになり、まだ解散はしたわけではないけれど、それならば、ということで、理事がその業務というか仕事を補うようになったという経緯があるらしい。我がマンションは、建ってから二十七年経つ。
 今夜も、ぼくは、その二十年来、誰も他になり手がいない無報酬の理事職を続けている、とてもすばらしい人たちのなかで、ほんとに「二年目の新米が何を言ってるんだ」と言われても仕方がないと思いながらも、そして、ぼくの数少ない人生経験のなかでも、組織というものに所属すると「こういうことやったらもっと楽しいのに」、「これを止めたら、もっと風通しがよくなるのに」と思っていても、誰も重い腰を上げず、手を挙げると、その途端、「こういうこと」をやることも、止めることも、その手を挙げた人に負担がどっと押し寄せて、それがうまくいかないと「ほら見たことか」「寝た子を起こすな」と責任を取れだの、そういう流れになって、結局のところ、「じゃあ、何もしないことが良いこと」みたいになってしまうという現実は理解しながらも、おそらく、去年の定期総会で、今年と同じ「反対派」の人たちが今年と同じ意見を言っていたなか、ぼくがほんの少し「反対ではなく提案・対話」型の発言をしたこともあってか、総会後、S理事長が、「理事にならないか?」とぼくを誘ったのは、たぶん、こういうときに何か「別の風」を送ることを期待されてだろうな、と、思ったりもしているから、「自治運営委員会の活動を、まずはぼくたち、理事からでもいいので再発進させること、そして、それを住民のみなさんに公開することが、やっぱり必要ですよね」「ダメもとでいいので、声をかけてみたり、有志が活動を続けていくこと、それを公開することで、他の人たちも『やってみようか』という気にもなりますよね」「具体的に言うと、ぼくは、今、一才の子どもを育てているなかで、このマンションには九百七十三世帯もあるのに、同じ子育て世代の知り合いが三世帯しかいません。小学校などに入ると『子ども会』やPTA活動など、子どもを通じて、親どうし、家族どうしのお付き合いも始まるかもしれませんが、妻やぼくが、その三世帯の方とあったのも、遠くの子育て支援センターのイベントでたまたま仲良くなって、たまたま帰る方向が同じだったので、『家はどちらですか?』と訊いてみると、このマンションに住んでいるということがわかったようなもので、その現実っていうのは、あまりにもさみしい、と思っています」「ただ、ぼくが、そういう就学前の子どもたちをもつ住民の集まりを結成したり、そういうことをすることとは別に、まずは高齢者の人たちの組織づくりをしていくなかで、そのノウハウみたいなものが、今のこのマンションに住んでいる人たち合った活動の仕方みたいなもの手がかりを教えてくれると思うので、それに力を入れることが大切だと思います。そして、それにはまず住民の現状把握、つまり、家族構成を知ることが、やっぱり必要だと思います。その調査を管理組合や管理業務委託会社が行うことが個人情報保護法的に問題なのであれば、やはり自治運営委員会を、別組織としてしっかり立ち上げて、その情報の使用目的をはっきりさせて、それでも答えるのが嫌だという人には無理に答えてもらわなくてもいいですし、ただ、ぼくは、そういう人っていうのは、九百七十三世帯のうち、それほどいないと思います」という「反対ではなく提案・対話」型の意見を言わせてもらった。

 ぼくは、以前の仕事のうえで、行政の人(大阪府、府内自治体)とも話すことが多かったので、なんとなくわかるけれど、行政の人、所謂「お役人」だって、ものすごい典型的な役人体質の人もいないではないが、多くの人は、程度の差はあれ、この大阪府を、そして、そこに住む人たちに対して苦しませてやろう、と思っている人はいなくて、むしろその逆であり、我がマンションの管理組合(理事)だって、定期総会に出てくる「反対」型の人たちが思っているほど、好き勝手にやっているわけではなく、わざわざ休日の夜に集まってまで、ものすごくいろんなことに配慮しながら、物事を決めていってる。ただ、それを府民、市民、住民は知らないし、知らせる(公開する)と一部の「反対」型の人たちが、言いがかりとしか思えないようなこととか、重箱の隅をつつくようなことを、声高に言ってきて、それに対処する人も時間もなくて、必要な業務が進まなくなるから、言われれば知らせるけど、なるべく知らせないようにする体質に傾いていくのだと思う。

 行政の決定に住民がオフィシャルに関われる制度というのは本当に限られていて、住民投票は最後の手段でした。しかも、この住民投票も、首長や議会のリコールの場合とは異なり法的拘束力はないんです。僕らは民主主義の社会に住んでいるなんて言われているけれど、実際に許されているのは数年に一度議会に代議士を送り込むことだけ。つまり立法府に少し関われるだけです。実際に物事を決めているのは行政なのに、行政の決定にはほとんどアクセスできない

また

 これまでの政治理論は、どうやったら議会、すなわち立法府が民意を十分に反映できるかについてずっと考えてきました。その前提には、議会こそが物事を決定する機関であるという考えがあった。でも、実際には行政が物事を決めているのだから、住民が行政の決定プロセスに関われなければ意味がないのです。それなのに、行政は単なる執行機関だという建前があるから、住民が行政の決定プロセスに関われなくても民主主義を標榜できてしまう。

 と、國分さんは「『みんな、民主主義に飢えている』 小平市住民投票に挑む哲学者、國分功一郎さん」(http://www.huffingtonpost.jp/2013/05/05/story_n_3220626.html)で述べているけれど、ほんとうにその通りで、ぼくが以前いた職場でも、理事会が法人の最高決定機関であるにも関わらず、答えはすべて会議前に決まっていて、それをどう役員にこちらのシナリオ通り決めさせるかというところがほんとうの法人事務局の仕事だった。
 で、それを役員さんもみんなわかってる、もちろん、行政なら議員もみんなわかってる(、そして、今、ぼくは、マンションの管理組合の理事(役員)として、管理委託業務会社と理事長と一部の人がつくりあげたシナリオ[悪い意味ではない]どおりのことをほぼ追認している)。で、もちろんのもちろん、それをぼくら住民もわかってる。だから、少し政治について考え、意見をもつ人は、反対型の人にとりあえず投票するしかない。「提案・対話」型の人は(そもそもそういう人が立候補するケースも珍しいと思うけど)、結局のところ、時間的都合やいろんな決まりのせいで、行政のやり方に丸め込まれると知っているし、そういう反対型の人に投票しても「何も変わらない」とわかってくると、投票に行かなくなるか、少しでも義務感の強い人は、じぶんの意見が少しでも通ることを体験したいがために、保守派の立候補者に一票を投じてしまう。んで、いつの間にか、ガチガチの保守派ができあがるという構図。
 本来の、保守主義というのは、決して「事なかれ主義」ではないはずなのに。
 

 住民と一緒に考えて作っていくという経験が行政の側にないので、怖がっているんです。でも、誤解しないでもらいたいのですが、僕たちは反対しているのではない。提案しているんです。今回の住民投票も、都道計画に賛成か反対か、を問うものではなく、住民の意見を聞いて計画を見直すべきか、それとも見直す必要はないか、を問うものなんです。
 住民の自治と参加を考える時には、政治の舞台を議会一つに限定するというこれまでの考えを変えていく必要があります。諮問委員会とかワークショップとか、そしてもちろん住民投票とか、物事が決される場を複数設けていくという発想が必要。また政治家の役割も少し変わってくる。(後略)

 と、國分さんは同記事で述べていて、ぼくは、國分さんのいう「政治の舞台を議会一つに限定するというこれまでの考えを変えていく必要」という意味でも、我がマンションは自治運営委員会の活発化に力を入れたた方がいいし、住民投票同様、多数決のアンケートがすべてを決定してしまうと、それこそ偏った方向にいきかねないので、ある一定の案件とか、マンション住民総数の一定数が集まったら、アンケートを行い、それを住民からの提案として自治運営委員会、あるいは管理組合(理事会)が重く受け止め、アンケート結果の内容と違う決定を下したときには、その理由をきちんと説明する、というようなシステムづくりが必要なんじゃないか、と。
 ぼくら、マンションの管理組合の理事は、立候補して、選挙して選ばれるわけでもなく、定期総会で各年度毎に住民の承認をもらうだけなのだし、それぐらいのことは(とても面倒だけれど)行ってもいいように思う。過去には輪番制のときもあったらしいけど、そうなると方向性が各年度ごとでバラバラになり、決めなければならないことも決まらず苦労したと聞いた。
 國分さんは「みんな、民主主義に飢えている」と言っているけど、その通りで、ソーシャルネットワークの力もあり、「ソシアルなもの」に対して、希望のようなものを、幻想かもしれないが、ぼく(ら)はまだ少し諦めていない。
 ぼくは、「『じぶんのしたいこと』になかなか取りかかれない→『じぶんのしたいこと』になかなか気づけない」という、ぼく自身の直面しているテーマから、そんなことを考えた。三人に一人は希望をもっている、ということが、今回の小平市住民投票では判明した、そう見てもいいんじゃないだろうか。
 大所高所にいる人に提案・対話はなかなかできなし、声も届くのに時間がかかりそうだけど、住んでいる場所ならできるんじゃないかな、個々の案件によって賛否はあったとしても、それができたときの喜びって、きっとすごいもののような気がする。