〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

保育所入所承諾書

 昨日、3日(日)は、(生きていれば)母の66才の誕生日だった。
 「生きていれば」で、まだ「66才」ということに、改めて驚いてしまう。母が62才で逝ってしまったそのはやさに。

 一昨日(2日)の夜は、「Hulu」で「LOST」(シーズン2)の第12~14話と、見てはいけない、見ては止まらなくなる、と思いながら、とうとう「24 -TWENTY FOUR-」(シーズン1)の第1話を見てしまって、2時すぎに就寝。
 そして、昨日は9時すぎに起床。リビングに行って、Cと五部林が遅い朝食を食べてるところに「おはよう」と声をかけ、そのまま別室に戻って、ごろごろ。昼前に、Cと五部林は、近くの万代まで買物に。食材と、母に供える花を買ってきてくれた。
 13時頃、久しぶりに3人でいっしょに昼食をとった*1。それから、ぼくはまた別室に戻って、Amazonで注文した3.5インチ用のHDDケースが届いたので、さっそく「EaseUS Todo Backup」(ver5.6)を使って、デスクトップPC(EPSON Endeavor Pro4500)の旧HDDのCドライブのデータのクローンをつくり、新しいSeagate製の内蔵型増設HDD(2.0TB)に移して、その新HDDで、起動させたら問題なくできた*2
 その後、テレビ見ながら、うたた寝。18時頃に、Cから「夕食できたよ」と起こされるまで。Cは、母の好きだった「豆ごはん」を炊いてくれていて、母の遺影の前にもお供えしてくれていた。ありがとう、C。
 その後、WBC(日本×中国)見ながら、またうたた寝。

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 昨夜(ゆうべ)は、うたた寝が、部屋の蛍光灯も点けたまんま「本寝」してしまい、途中、何度か目が覚めたけど、そのまま朝まで。
 きょうは、週に1度課せられた、ぼくが五部林をみる日。
 今朝起きたのは、6時半頃で、久しぶりに入浴。そして、3人で朝食をとり、Cを見送ってから、洗いもの、それから洗濯ものを干し、五部林を着替えさせて、薬(「サインバルタ」30mg×2錠)を飲み、いつもの通り、テレビを点けて、「おかあさんといっしょ」、「パッコロリン」、「いないいないばあ」、と、見せながら、今週も外出のための支度をした。
 先日、五部林が、リビングの京阪電車のカレンダーを見て、3月の写真が、旧3000系特急に変わっていたことをいち早く気づいて「あ、あ、」と、指をさしていたので、五部林とふたりで特急に乗って、京都まで乗ってみよう、と思い立ったのだった。

 9時すぎにベビーカーで家を出て、京阪の守口市駅まで行き、区間急行に乗って、淀屋橋駅まで。そこから、特急に乗り換え(残念ながら、車両は8000系(エレガント・サルーン))だったけれど、せっかくだったので、2階席へ。五部林にとって、初めての京阪特急。ぼくにとっても、2階席は、2、3度目ぐらいだ。
 五部林を窓際に座らせて、発車。喜んでいたのは、むしろぼくの方で、五部林は、地上に出て京橋を発つぐらいから、そろそろ退屈し始めていて、「これは、京都までもたないかもしれない」と思っていたけど、車窓の向こうに電車が通ると、喜んでおり、七条駅で下車。
 七条駅からは、鴨川をわたり、JR京都駅方面に西へ、西へ。
 途中、見えた京都タワーは、展望エレベーター改修工事のため、「ほっかむり」をしていて、なんだかかわいかった。

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 七条駅から3km近く歩いて、梅小路公園に着いたのは11時すぎで、五部林は、京都に来るのも生涯初だったかもしれず、市営交通バス、京阪バス、JRバス、と、普段は見ないバスを見かけては興奮気味に指差して「バースゥー!」と大声を発していて、とても楽しそうだった。
 途中、信号待ちのときに、Cに「京都まで来たよ」と、特急に乗っている五部林の写真をメールしたら、「どうしたん、急に!! ビックリするわ。急に動くと反動でしんどくなるよ。無理せんときや」と返事が届いて、ぼくもその通りだと思ったけど、ぼくは、週に1日だけしか面倒見てない(見れない)のだから、五部林に少しでも楽しんでほしいし、また、ぼく自身の気晴らしにもなる、と思っていた。

 梅小路公園に最近(2012年3月)オープンした京都水族館は、遠足だろうか、小さな子どもたちや、平日にも関わらず、家族連れが多く訪れていたが、きょうは、ぼくはそこを目的とせず(五部林は、少し興味あり気だったけれど)、五部林に蒸気機関車を見せてやろうと、公園の奥にある梅小路蒸気機関車館に向かったら、残念ながら、きょうは、休館日だった…。
 仕方がないので、蒸気機関車館のさらに奥にある「ふれあい広場」まで歩いて、そこの遊具で、ふたりで目一杯遊んだ。ほかにもたくさんの小さな子どもたち*3も遊んでいて、五部林も、お兄さん、お姉さんたちとそれなりに仲良く、また彼らも五部林にとてもやさしくしてくれて楽しそうだった。
 広場からは、すぐそばを通っているJRの各列車(普通列車から、特急、貨物列車、新幹線まで!)が見えたから、それも五部林はとても喜んでいた。
 12時半頃、持ってきたお弁当を広場の丸太の椅子に座って食べた。ぼくは食欲がなく、何も食べなかった。食べ終わった後、鳩がものすごく集まってきて、五部林の食べ散らかした米粒なんかを必死につついており、ぼくは少し怖くなったのだけど、五部林は楽しそうに「ポッポー」と言って走り回っていた。

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 それから、「いのちの森」、「河原の広場」でも少し遊んで、さいごに「梅まつりin梅小路」で、きれいに咲いていた梅を見たり、梅林の近くにあった遊具でも遊んで、五部林がひとりですべり台を滑れるようになっていたので、とても驚いたり、嬉しかったり。五部林も満足気な表情をしていて、ほかの子どもたちと何度も何度も昇ったり滑ったりを繰り返していた。
 ひと通り遊んだ、15時前に公園を発ち、七条駅へ向かうベビーカーのなかで、五部林は、ストン、と眠ってしまった。ぼくは、このスキに、せっかく京都に来たのだから、本屋でも寄ろうかと思ったけれど、京都駅周辺の本屋はあまり知らないし、「無理しちゃいけないな」とも思って、まっすぐ駅に向かい、そして、七条駅のすぐそばのベンチに座って、鴨川を見ながら、少しのんびりした。
 きょうは、とても暖かかった。

 帰りは、七条駅から出町柳駅まで行き、それから、また特急に乗った。行きは2階席だったので、帰りは1階席に乗った。1階席は、ぼくも初めてだったので、興奮した。目線が、ホームの高さといっしょなので、妙な気分だった。五部林は、席に座るなり「まんま、まんま」と言い出し、仕方がないので、持ってきていた「ハイハイン」を食べさせ、その後、珍しくベッタリぼくに抱きついてきて、そのまま、ぼくの胸の上で寝てしまった。
 もう少し時間が早かったら、寝屋川市駅で下車して、そこから京阪バスに乗って帰ろうか、とも考えていたけど、五部林も気持ち良さそうに寝ているし、ぼくもやっぱり疲れていたので、そのまま京橋駅まで乗って、京橋駅からは、各停に乗って、守口市駅まで帰ってきた。

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 帰宅したのは、17時すぎだった。
 帰りにポストをチェックしたら、他の郵便物とともに、市の児童課からの郵便物もあって、「あ、もしかしたら、これ、保育所の件かもしれない」と思った。

 大晦日にCの実家に帰ったときに、ぼくが(少し酔っ払って)Cのお義母さんに「ぼくは、もう(育児が)限界みたいです。保育所に預けようと思ったりもしてるんですよね、ハハハ」みたいなことを話していたことを、翌日、ぼくが自宅に戻るために駅まで送ってくれてた車中のなかでCから「お母さんから聞いたんやけど、五部林を保育所に預けるって?」と言われて、ぼくは、けっこうドキリ、としてしまったのだけど、結局、そこでは「またゆっくり話そう」ということになって、実際に、そのことを話したのは、ぼくが「うつ」であることを自覚し、Cにもきちんと伝え、五部林の面倒は、月曜はぼくが、火曜は一時保育に預けて、水曜~土曜はCが実家に連れて帰って、お義父さん、お義母さんに見てもらう、ということを決めて、K病院への通院も始めた1月半ばを過ぎた頃だったように思う。
 市への保育所入所申込が1月末までだったので、それから急いで、Cは候補の保育所に見学に行ったり、いろいろと書類を揃えたり、ぼくも、確定申告(還付申告)を早めに済ませ税額を決定させたり、通院時に「診断書」をもらったりして、Cが市の指定した申込書*4に、各必要書類を添えて、直接、市の窓口に提出したのは、1/29だったか、30だったか。
 「五部林を保育所に預ける」ということについては、「うつ」ではありながらも、もちろん、ぼくだって迷った。そして、Cは「できるなら、預けたくない」と言っていた。でも、それまでのぼくの状態や、「うつ」が本格的にひどくなってきた頃はもちろん、どう考えても、「うつ」が回復したとしても、またしんどくなるのは目に見えていたし、その頃のように、毎日、外へ遊びに連れてってやることもせず、家でダラダラとテレビを見せ続けているだけの生活が、五部林にとってもよくはないことは明らかだし、その話し合いのときに、ぼくは、もっとCに、これまでここで書いてきたような「父親になりたくない(なる自信がない)」、「家族というものがこわい」ということを話せればよかったのだけれど、当時は、ことばに出すこともできなかったし、そのことをきちんと自覚するのも恐ろしかったし、Cと話をすること自体がなかなかできずにいたから、「とりあえず、このまま五部林と一日中いっしょにいる生活は無理だと思う」ということをCに伝えて、それならば、ということで、申し込んだのだった。

 入所の申し込みの際、結果通知は「3月上旬」だと聞いていたから、もうそろそろだとは思っていた。
 家に着いて、Cに帰宅の報告とともに「市の児童課から郵便物が届いてたよ。たぶん、保育所の件だと思う。封開けずに待ってるよ」とメールして、五部林とふたりで夕食とって、お風呂を沸かして、洗い物して、五部林と遊んでいたら、19時すぎにCが帰ってきた。
 それから、「ドキドキするー」と言いながら、Cが封を開け、Cが声を出して「ほいくしょにゅうしょしょうだくしょ(保育所入所承諾書)…、」と始め、(あ、入れるんだ)と思って、続きを聞いていると「にゅうしょする、ほいくしょのめいしょう(入所する保育所の名称)は…、S保育所!」、ふたりで「えーっ!?」と、なった。
 ぼくらが、第一希望にしていたのは、N保育所だった。S保育所は第二希望で、実際に市役所まで申込書を提出しに行ったCによると、その時点では、第二希望のS保育所は、ほぼ定員枠がいっぱいで、第一希望のN保育所には少し余裕があったようなので、「これは、いけるかも」と思っており、N保育所での五部林の保育園ライフを想像していたぼくらにとっては、衝撃的な決定通知だった。
 S保育所は、我が家からかなり近い。歩いて10分もかからない。少し回り道にはなるが、駅の行き帰りの途中にあるので便利でもある。けれど、ぼくは、園庭開放にN保育所にもS保育所にも何度か参加したり、Cも見学に行って、ふたりで迷わず「N保育所が良い」と決めたのだった。どちらも公立の保育所で、何が違うのか? と言われると、うまく答えることができないのだが、N保育所は「雰囲気」がとてもぼくらに合っている、と思えた。N保育所は、S保育所に比べて、古いし、狭いし、そして地味なのだけど、センスが合っていた。
 だから、とても残念だった。
 Cは、(決まるなら)N保育所だと確信していたようなので、ほんとにかなしそうだった。「なんで? なんで?」と繰り返しており、結局、明日、Cが仕事を少し遅刻させてもらって、市役所に行って、理由を聞いて来る、ということになった。

 ぼくは、もちろん、N保育所ではなく、S保育所になったこともショックだったけれど、そのことも含めて、ぼくの「育児への余裕のなさ」から、五部林の保育所への入所を、むしろぼくが率先して、Cとふたりで話し合って決めたことなのに、いざ、入所できることが決まって、4月からは「五部林と過ごす時間が格段に減る」と思うと、やっぱりすごくさみしかった。泣きそうになった。不甲斐ない父でごめん、と、無邪気に笑っている五部林を見て思った。きょう、いっしょに遊んだ時間、彼の笑顔とか、手のやわらかさとか、声とか、そういうのもザーっと、思い出されてきて、別に今生の別れでもないのに、かなしくなってきた。
 今、週1日だけだからかもしれないが、きょうのように、こうして彼と過ごす楽しみをまた回復できつつあるから、なおさら、そう思ってしまった。毎日いっしょに過ごす、となると、また凹んでしまうのかもしれないけれど。でも、今なら、まだ取り消すこともできるな、とも思ったり。

 きょう届いた「保育所入所承諾書」に同封されていた書類には、保育所の個人面接は3/26(火)で、おそらくその日に面接とともに用意するものなどを言われると思うのだけど、入所説明会(入園式のようなものかな?)が、4/1(月)でけっこうハードなスケジュールだ。
 どこの市もこんなものなのかな、「慣らし保育」みたいなものはないのかな、と、実際に決まってみると、保育所の入所自体に迷っていることと同時に、細かないろんなことが気になってくる。

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 そういえば、昨日あたりから、五部林の「目やに」がひどく出ていたけど、きょうは、もう、寝起きだけじゃなくて、日中もずっと「目やに」が出てきて、かゆいから、五部林は目をさわってしまうし、そうしたら、、目の下が赤くなってきた。結膜炎とか、そういうのじゃないといいけど。

*1:ぼくが「うつ」になってからは、夕食は3人で食べることは約束していたけれど、朝・昼食は「ぼくのことを気にせず、ふたりで食べてほしい」と言っていた

*2:やっぱり、「HDDケース」の有無の問題だったんだろうか、いや、そうじゃないと思う

*3:韓国・朝鮮人系の幼稚園の子どもたちもいて、最初は、ぼくはまったくことばがわからないので、方言か? なんだ? なんだ? と思っていたら、語尾に「~ニダ」と付くのが聞こえて、納得

*4:http://www.city.moriguchi.osaka.jp/contents/index.html