〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

3歳児神話

 昨夜(ゆうべ)は、日手紙書いて、3時前就寝。

 今朝、8時すぎ、Cに「五部林のごはん食べさせて」と起こされる。
 「なんで(俺が)?」と思ったけど、なんとか起きて、「どうしたん? なんかすることあんの?」とCに訊くと「もうちょっと寝たいから」と言い(「俺だって寝たいやい!」と言いたりそうになったがガマンして)、和室の布団に入ったので、朝食の支度も何もできていなかったら、仕方なく、パンとヨーグルトを食べさせようとしていたら、五部林は大声で泣き、グズグズ駄々をこねていると、Cがまた起き出してきて、「私が食べさせる」というので、ぼくはとうとう少し怒り口調で「いいから、寝ときぃや!」と言った。ぼくが食べさせる気になったのだから、五部林が泣こうがわめこうが、任せてもらわないと困る、と。
 五部林は、昨夜も何度か寝たり起きたりを繰り返しながらも、熱は下がっていて、36.6度。
 それから、しばらく険悪な空気が流れていながらも、8:30にふさおかこどもクリニックに診察予約の電話を入れて、支度をして、「眠たいんやったら、俺が連れていくから、ゆっくりしとき」とぼくが言うと、Cは「わたしも行く」というので、また何か言い返しそうになったけど、これまたガマンして、もう雨が降っていたので、車で出かけることにした。

 9時すぎに病院着→、しばらく待って診察。五部林は、また待合室のおもちゃで遊ぶ。きょうは、たくさんの子どもたちが来院していて、その年上の子どもたちと五部林とのかかわりを見ていると、いろいろとおもしろかった。五部林も、それなりに彼らと「どうかかわろうか」ということを考えながら、察しながら、遊ぼうとしている。
 先生に、前回診察時*1(4/3)からの経過を報告し、「今は熱が下がっていますが、毎日夕方になると上がる傾向にあって、あとは、鼻水がよく出ています」とも言って、聴診器、触診などで状態を診てもらう。
 診断後、先生からは「喉はまだ少し赤いですが、胸の音も正常です。このまま丸一日様子を見て、熱が上がらなければ解熱傾向にあると思ってかまいません。前回とは少し違う抗生剤3日分と、鼻水と痰をを切る薬(シロップ)を出しておきますので、抗生剤は熱が下がったままでも飲みきってください、シロップは、鼻水が止まれば途中で止めてもらってもかまいません」と言われる。
 処方された薬は、抗生剤(「ワイドシリン細粒200 200g」)と、鼻水用の「ムコダインシロップ5%ペリアクチンシロップ0.04%」。
 帰りにマックスバリュ(太子橋店)で、食料品と紙オムツを買って、11時すぎに帰宅。

ネピアGENKI! ごきげんフィットパンツ Lサイズ 42枚

ネピアGENKI! ごきげんフィットパンツ Lサイズ 42枚

 帰宅後、すぐに昼食をつくる。鶏肉とにんじんとエノキダケとかぼちゃの牛乳スープ(シチューの素入れて)。そして、眠り出した五部林の横で、眠り出したCに、「お昼ご飯、つくっといたから、五部林が起きたら、いっしょに食べな。俺、ちょっと、向こうで寝てくるから」と別室に。
 別室に行って「Hulu」で「LOST」(シーズン4)の10・11(途中)話を見てたら、14時頃、やっぱりぼくも空腹になってきたので、リビングに行くと、まだふたりは寝ていたので、「先に、俺だけ食べるわ」とCに声かけて、ひとりで昼食。

LOST シーズン4 COMPLETE BOX [DVD]

LOST シーズン4 COMPLETE BOX [DVD]

 んで、また、別室に戻って、15時すぎから、眠る。
 何時頃だったかわからないが、Cから「ごはんできたで、食べよ」と、何度か起こされたけど、「わかった」と返事はしたことは覚えているだけで、そのままずっと眠ってしまっており、目覚めたのは0時前。びっくりした。
 リビングに行くと、Cと五部林はまた和室で眠っており、和室を覗くと、Cが目覚めたので「五部林、その後、調子はどうやったん?」と訊いたら、「すごく元気にしてたよ。昼は、シチュー、完食やったけど、夜は、もうごはんで遊ぶのに夢中で、全部混ぜ合わせたり、ひっくり返したり、怒りまくりやったわ」と。その後は、熱も上がってないようで、何より。このまま、回復してくれるといいのだけど。

 昨日、定期購読している福音館書店の月刊誌(2冊)が届いて、今月は、どちらもとても良かった。
 田島征三こやぎが むしゃむしゃ』(こどものとも0.1.2. 2013年5月号)。
 田島さんのいつもの、とってもおおらかな絵が、「食べる」という行為のシンプルさ、そして大胆さを表現しており、よかった。ともかく、食べる、食べられる、ということは、大事なことだと。五部林に、読みながら「むしゃむしゃー!」って食べるフリをしてやると、キャッキャと喜んだ。
 ねぎしたかこ・文/小池アミイゴ・絵『ちいさいトラック』(こどものとも年少版 2013年5月号)。
 小池アミイゴさんの絵が、少し福音館っぽくなくて意外だった。トラック好きな五部林が、もっと喜ぶかと思ったけど、少しデフォルメしすぎてあるため、五部林のなかではあのトラックを別物だと認識しているのかもしれない。でも、ぼくは好きな絵だな、とくに、重たい荷物を載せたときの、「ぷぅー」って言いながらつぶれている感じ。

f:id:subekaraku:20130407023004j:plainf:id:subekaraku:20130407023016j:plain

 最近、少し、また「3歳児神話」について考えることがしばしば。
 「「男性の貧困化」と「3歳児神話」が元凶!? なぜ母親たちは実の子を虐待してしまうのか|人口減少 ニッポンの未来|ダイヤモンド・オンライン 「男性の貧困化」と「3歳児神話」が元凶!? なぜ母親たちは実の子を虐待してしまうのか|人口減少 ニッポンの未来|ダイヤモンド・オンライン」を読んだことがきっかけ。
 この記事のなかでは、上野加代子さんによる、虐待とからめて「3歳児神話」を解説されているのだけど、「3歳児神話」という考え方が、「もともと日本にあったものじゃない。英国の精神科医の研究」が「(日本の)高度経済成長期に取り入れられ広がった」ものとされていて、イデオロギー色の強いものと解説。
 そして、また「「 3歳児神話を検証する2」|第1回学術集会|日本赤ちゃん学会」では、母親ひとりが子育ての責務を担う日本社会の母性観を『母性愛神話』として指摘している、大日向雅美さんによる、「3歳児神話」の解説。
 彼女曰く「(3歳児神話が)果たして神話か否かということですが、答えはイエスでもあり、ノーでもあ」り、「私たちの子育てはいくつかの変数を構築して一つのドラマとして出来上がるようなものではなく、もっと地道で複雑なもの」と。

 ぼくは、「3歳児神話」の熱心な信奉者ではないし、やはり、それは、イデオロギッシュなものだとうと思うけれど、ただ、単純に、子どもが幼いときには(3才までに限らず幼少期)、母親でも父親でもほかの誰かでも、「熱心にじぶんだけを見つめてくれている人がそばにいる」と子どもが思える環境づくりは大切だと思っていて、だからこそ、ぼくは、Cが仕事復帰するにあたり、ぼくが仕事を辞め、五部林のそばにいるため、主夫になった*2。それだけのこと。
 そして、いや、でも、ぼくは、結局、その思いを、何が原因なのか、ぼくの思い込みや生きる仕方に密接に関わるところで、子育て自体、家事自体をいやになってしまったわけではなく、自身の生きる仕方の問題として、その主夫生活を放棄してしまいたくなって、「うつ」になり、結局、五部林を保育所に預けるということになってしまい、その保育所ライフ3日目にして、五部林は、ダウン。そんなこともあって、やはり、ぼくは、「3歳児神話」と個人的な経緯がゴチャゴチャになったなかで、罪責感を拭えずにいる。

大日向さんは、次のように述べている。

 3歳児神話を論じる際に留意したい第3点ですが、子育ては決してドラマチックなものではないということです。心理学者の氏家達夫氏は、妊娠中から出産後2年以上にわたって、56人の女性を追跡調査していますが、その結果、次のようなことを言っておられます。「いままでの研究成果に照らして、問題が起こってもおかしくないような条件をそなえたケースでも、またそのようなむずかしさの条件をほとんど持たないケースでも、たいていの場合、これといった問題が起こらず、現実的な行動=思考=感情システムを再構成できた」ということです。私も子育ての大半はそのようなものではないかと思います。非行や虐待が起こると、私たちはそれをもたらしたと想像される要因(変数)をつなぎあわせて想像しているだけではないかとも思うのです。その要因のつなぎあわせ方が、巧妙に行われると、あたかもそれを真実だと思ってしまうようなものかもしれないわけです。しかし、私たちの子育てはいくつかの変数を構築して一つのドラマとして出来上がるようなものではなく、もっと地道で複雑なものだと思います。だからこそ、単純な因果関係論の下で結論を急ぐべきではないと私は思います。

 ぼくは、この意見に賛同。
 主夫、というか、子育てを主にするようになって初めて、「子育ては決してドラマチックなものではない」ということが実感できたのは確か。
 ぼくは、もっと子育ては、ある個人(子ども)の「物語」のそばに寄り添っていくようなものだと思っていたけど(とくに子どもが幼少期の頃は)、実際には、ものすごく地道というか、単純というか、子どもの寝て、遊んで、食べて、排泄して、且つ、欲望(エロス)を求める、それと、どう付き合っていくか、ということの繰り返しで、何かこう、感動とかというものとは、かけ離れている仕事だった。
 もちろん、そのなかで、ふつうに子どもといっしょにいることで楽しかったり、面白かったり、驚いたりすることはあるんだけど、100のうち98ぐらいは、地道すぎるほどの地道。

 そして、また、ぼくが「子どもが幼いときには(3才までに限らず幼少期)、母親でも父親でもほかの誰かでも、『熱心にじぶんだけを見つめてくれている人がそばにいる』と子どもが思える環境づくりは大切だ」と思っているのも、あまり意識していないけれど、それは、将来、子どもが「非行」や「問題行動」を起こさないための「準備」というか「予防接種」のようなものだと考えていたことは確かで、でも、ほんとうのところは、たとえ、そのような環境を整えていたとしても、将来の子どもがどうなるかなんていうのはまったくわからないし、「非行」や「問題行動」に走った子どもの家庭が、必ずしもそういう環境が整えられていなかった家庭だということは、たぶんない。むしろ、逆のケースの方が多いようにも思える。
 その意味でいうと、子育ては複雑。「単純な因果関係論の下で」は語ることは、きっとできないだろうと思う。

 また、別の話として、「http://anond.hatelabo.jp/20130404203258」で語られていることは、子育て=親の「生きる意味」を得る唯一無二のチャンス、だと言っていて、もちろん、そう考えたくないけれど、そういう側面があることは無視できないかもしれず、ぼくが主夫になった経緯(「外部評価」を得るためかも)も思うと、身につまされる。
 要は、子どもは「親の自己実現のための道具ではなく、単に、個として生きていくもの」であり、彼や彼女が「生きるためのサポートをするのが、親の仕事」だということは、頭ではわかっているものの、前にも少し言及した「子育てとは犠牲だ」というように、ものすごく時間と労力とお金を裂かなければならない子育てという作業をするには、やはりその作業に対する「対価」を求めてしまいがちであるし、ぼくは「対価」を求めること自体は当然であるとは思うんだけど、その「対価」の質が、親が求めているものと、子どもが与えてくれているものが、いつも同一とは限らないのが、難しいところだと思う。

 でも、正直、こういう話でいつも言われるのは、「子育てを母親任せにするのではなく、父親、祖父母、地域、みんなで関わるようにしよう」という「キャンペーン」的言説で、もちろん、言ってることは正しいとぼくは思うし、そうなればいい、そうしよう、と思って、ぼく自身も、コツコツと動いたりするのだけど、それって、「障害者(高齢者、など、福祉の対象である立場の人全体)をもっと地域に」とか、いろんなところで言われる「キャンペーン」言説的同様、その当事者(親、支援者、介護者)にとっては、そんな「キャンペーン」に関わっている余裕はむしろなくて、その日、その場が修羅場なんだと思うな。
 「キャンペーン」と修羅場をどう結びつけていけるかが、大切なんだと思う。

 あと、ぼくが数ヶ月主夫してて思ったのは、子どもは「親の自己実現のための道具ではなく、単に、個として生きていくもの」で、「子どもは親の所有物ではない」ということは、わかってるつもりなんだけど、子育てイベントなどに参加すると、周囲から、子どもが親の「成果物」として見られる傾向が強いな、と思ったことがよくあって、子どもの言動=良くも悪くも親のかかわりの仕方や育て方の結果、としてジャッジ(審判)されてるように思えて、少しこわいな、と思うことがあった。そういうジャッジに、ふだん晒されているのは、おもに母親で、だからこそ逆に所有物化して、「もっと、こうなって」「あなたはできる子よ」とか言っちゃう傾向になるんだと思うし、ほんとに修羅場にいる人は、そういうイベントに行ったり、地域に出たりすると、すぐにジャッジされてしまう=じぶんが否定されてしまうことがわかるから、出て行けなくなる。

 きょうは、予防では、ものすごい嵐になると伝えられていたけど、午後、ほとんど眠っていたせいか、あまりその実感はなかった。
 下島公園の桜まつり、芦間高校の花見会、どうなったのかな。

*1:http://sube.hateblo.jp/entries/2013/04/03

*2:もちろん、そんな美談めいた理由ばかりではない。ぼく自身の「外部評価」を得るためでもあったと思ってる。詳細は→ http://sube.hateblo.jp/entry/2013/02/15/144811