〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

星のブランコ

 昨夜(ゆうべ)も、また「Hulu」で「LOST」(シーズン3)の第17(途中~)~19話まで見て、2時すぎに就寝。

LOST シーズン3 COMPLETE BOX [DVD]

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 今朝、7時半起床。きょうは、ぼくが五部林をみる日。曇り空。
 8時すぎにCを見送ってから、洗いもの、それから洗濯物を干し、五部林を着替えさせて、五部林にかゆみ止めの薬塗ってあげて(アズノール軟膏)、ぼくも薬(「サインバルタ」30mg×2錠+腰痛用の「ロルフェナミン」60mg&「レパミピド」100mg)を飲み、いつもの通り、テレビを点けて、「おかあさんといっしょ」、「パッコロリン」、「いないいないばあ」、それから「えいごであそぼ」の後、「おはなしのくに」を五部林が見ているうちに、先日、処分を決めたiMac*1の「PCリサイクル」を頼むため、Appleリサイクルセンターに電話。
 手数料が3,150円だと思っていたのに、4,200円だと言われた。そして、1週間前後で「払込取扱票」が送られ、それを支払うと、さらにそこから1週間前後で「エコゆうパック伝票」が送られてくるので、集荷を頼むよう指示された。梱包は、購入したときの箱で良いようだったが、「発泡スチロールは処分対象外なので入れないでください」と言われ、「それだと、箱のなかでMacがガタガタすると思うんですけど良いんですか?」と訊いたら、「いいんです」と川平慈英ばりに答えられたので、いいんだろう。箱にはマウス、キーボード、電源ケーブルなども同梱してOKらしい。けっこう時間がかかるみたいだ。
 その後、五部林のお弁当&おむつセット&着替えを用意して、それから、きょうは、いつもなら一眼レフ(Nikon D5000)しか持って行かないのだけど、最近の五部林の語彙というか、おしゃべりというか、音みたいなものを録画(音)しておきたくて、ずっと使っていなかったCanonのビデオカメラ「iVIS HF M41」(我が家のは、ワインレッドみたいな赤色)もデイバックに入れ、ぼくも支度をして、外出。きょうは、久しぶりに車で出かけてみることに。

Nikon デジタル一眼レフカメラ D5000 レンズキット D5000LK

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 きょうの外出は、ぼくの「うつ」の状態が、少し回復してきて、五部林をみる日だった2/25(ちょうど、1ヶ月前だ)*2に訪れた深北緑地に行ってみようと思った。
 もう来週の月曜は、4/1で、五部林の保育所の入所説明会であり、こうして平日にベッタリ出かけられるのも、保育所を休まない限りきょうで最後になるので、何か、記念碑的な場所に行きたいと思って、それなら、深北緑地だと思った。1ヶ月前には、修理をしていた「恐竜の遊具」ももう遊べるようになっているだろうし、五部林も楽しめるだろうと思った。
 公園で遊ぶので、ベビーカーには乗せていかず、駐車場までふたりで歩いたり、五部林を抱いたりして向かい、出発。
 TSUTAYAに、先週借りた『それでも、生きてゆく』を返却した後、カーナビを深北緑地に設定し、運転。途中の、大枝公園の桜もだいぶ咲いてきていて、きょうは少し肌寒かったけれど、見頃はもう少しだと思った。
 運転していると、五部林がチャイルドシートでスヤスヤ寝始めたので、深北緑地にあと、2kmほど手前にあったコンビニ(ファミリーマート大東御領三丁目店)に車を停め、五部林を車のなかに残して、缶コーヒーを買おうと店内に入り、冷蔵庫を覗いたら、「絶対に負けられない戦いが、そこにはあるキャンペーン(参照)」をやっていて、KIRIN商品2本買うとクリアファイルがもらえるというので「伊右衛門」(玄米茶+贅沢冷茶)を買ってしまう。それから、レジの近くに行くと、「iTunesカードキャンペーン(参照)」の広告が見えて、思わず、10,000円分も買ってしまう(iTunesデジタルコード、2,000円分がもらえる)。
 その後、車を発進させ、もう少しで深北緑地に着きそうだったけれど、五部林が起きそうになく、せっかく寝ているのにな、と思って、急に行き先を変え、(大阪府民の森)ほしだ園地に向かうことにした。
 ほしだ園地は、以前、Cと一度行ったことがあり、その大きな「吊り橋」を五部林にも見せてあげたいと思った。

 12時前に、ほしだ園地着。
 ちょうど、五部林も目覚めて、駐車場からふたりで歩いて木道を登っていったのだけど、五部林は、ほとんど前(目的地)に進むという気持ちがなく(目的地がどこなのかわからないのだから、当然だけれど)、同じ道を行ったり来たりしていて、大変だった。
 案内所(ピトンの小屋)に着くまでに、ビデオカメラ片手に相当時間がかかったけれど、そこでトイレを済まし、いざ、「吊り橋」(星のブランコ)へ。「吊り橋」に行くには、「管理道」と呼ばれるなだらかな坂と、「ぼうけんの路」と呼ばれる急な山道があり(Map参照)、前にCと来たときも「ぼうけんの路」を選んだけれど、それほどでもなかった覚えがあったので、そちらに足を進めた。
 ただ、それが大間違いだったことに気づいたのは、山道を登り始めてからすぐで、五部林がまったく登ろうとしなかった。おかげで、ずーっと抱いて登っていたので、腕は疲れるは、腰は痛いは、どんどん後から来た人に追い越されるは、ほんとに大変だった。
 途中、何度か休憩しながら登っていたら、お昼がとっくに過ぎていたので、五部林は「マンマー、マンマー」と言い出すし、転んで落ち葉まみれになったり(↓)するし、おもしろかったけど、ぼくは汗だくになった。

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 その後、なんとか、吊り橋(星のブランコ)に到着。
 でも、予想通りというか、五部林、まったく感動せず。相変わらず「マンマー、マンマー」の連呼。ぼくは、なんとか頂上の「展望デッキ」に着いてから、昼食にしようと思っていたので我慢させ、吊り橋を渡る。吊り橋は、半分ぐらいは、自力で渡ってた五部林だけど、ぼくは相当こわくて、足が震えながら撮影していた。

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 吊り橋を渡り終えても、なかなか「展望デッキ」は遠く、ゆるやかな登り坂が続いていて、これまた五部林をぼくがほとんど抱いて登り、「展望デッキ」まであと数百メートルの「やまびこ広場」で力が尽きて、昼食。14時前だったか。五部林は、満足そうにお弁当を食べて、食べ終わった後も、満足そうに、いつものようになにやら喋りながら歩き回っていた。ぼくは、汗が風にさらされて冷えて、とても寒かった。
 それから、やっぱり「展望デッキ」には行かないと、と思い、また五部林を抱いて登り、そこから見えた風景は、曇り空のせいか、あまりきれいには見渡せなかったけれど、晴れていれば、京都タワーも見えるようで、気持ちよかった。もちろん、五部林はその眺望には興味を示さず。
 でも、同じく歩いてる人には、五部林は誰にでも笑顔でニコニコしており、子どもたちには近寄って行き愛想をふりまいたりしていた。「お父さん、抱っこして登るの大変やね。でも、ぜったいに記念になると思うよ。がんばって」と言われて、ぼくも「きっとそうですよね」とか答えて、ヒー、ヒー、言ってた。

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 帰り(下り)は、Cと来たときは、たしか「さえずりの路」という、これまた急勾配な山道を帰ったと思うのだけど、ぼくは諦めて、「管理道」を下り、帰りは、もう腕が疲れすぎていたので、肩車をして歩いた。そんなに長く肩車をしたことなんてなかったけど、五部林は機嫌良く、ぼくの耳の穴をほじくったり、メガネを上下させたり、あごの下に手をやってくすぐったりしていて、ぼくも、とても楽しかった。
 駐車場に戻ったのは、16時前で、しばらくボーッとした後、出発。五部林は疲れて車のなかで眠るかと思いきや、ずっと起きていて、何かを喋っていた。ときどき「トラックゥー」とか「ブッブーゥ」とか「バースゥー」とか叫んでいた。
 今朝、Cから、「食材がないので、買い物しといて」と言われていたので、これも、予定では、自宅近くのマックスバリュ(太子橋店)に寄ろうと思ってたのだけど、国道163号線を走っていたら、急に、久しぶりにダイエー(古川橋店)に寄ってみたくなり、右折した。
 ダイエー(古川橋店)というと、ぼくが幼い頃、母とよく自転車で買い物に来ていたスーパーで、片道1時間ぐらいかかっていたと思い、もちろんもっと近くにスーパーも、まだ市場みたいな場所もあったのに、当時、新しくできたダイエーに行くのが、サイクリングがてらの休日の習慣になっていたりした。母のママチャリ後を、ぼくは、小さな子ども用の自転車で懸命に漕いでいたことを思い出す。
 ダイエーの駐車場に車を停めて、1階の食料品売場でカートに五部林を乗せて売場を回っていると、五部林がどんどん知らないうちに食料品を手に持っているので、それを制したりするのにひと苦労だった。
 そんなに買うつもりでもなかったのに、2袋分の食料品を買い、我が家の駐車場から我が家までも「目的地」に向かって五部林は歩かないので、でも、もう、ぼくには彼を抱く力もなかったので、両手に袋を持ちながら、車に気をつけたりはしつつ、しばらく五部林の好きなように我が家の近くを行ったり来たりして、帰宅したのは17時すぎだった。

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 それから、18時すぎに夕食をふたりで食べて、「きょうは遅くなる」とCは言っていたので、いっしょにお風呂にも入り、20時すぎ、昼寝していなかったせいか、五部林は和室ですぐに寝て、泣いたら気づくように、リビングと廊下の扉を開けて、ぼくは別室に行き、きょう録ったビデオ映像をパソコンに取り込み、Canonのビデオカメラに同封されていた「VideoBrowser」というソフトを使って、編集していたら、22時前にC帰宅。
 ぼくは、いつもCyberLinkの「PowerDirector11 Ultra」(ぼくは持っているのは「v7」)という映像編集ソフトを使っていたのだけど、前にPioneerの 内蔵光学式ドライブを買ったときに同封されていた、アプリケーションディスクにCyberLinkのいろんな編集ソフト(PowerDirector v9も)が入っていたので、それをインストールするためには、「v7」をアンインストールしなければならず、指示通り、アンインストールしたら、何度やっても、「v9」がインストールできなかったので、きょうは「VideoBrowser」を使った。
 以前、一応、映像編集を仕事にしていたことがあるのに(仕事では、AdobePremiere」というソフトを使っていて、きっと今でもいちばん使いやすいと思うけど、なにせ高い)、久しぶりなので、まったく納得のいく編集ができず、でも、きょう、当日中にやってしまいたかった。
 疲れ切っているCに、きょうの五部林の話をしながら、編集したりして、Cも、日曜(24日)の大学時代の先輩とバドミントンやったときの話とか、ぼくも大好きだった、大阪市交通局のフリーペーパー「ノッテオリテ」が今月号で休刊になってしまうこと、それから、明日が、五部林の保育所入所の「個人面接」なので、きょう、市役所に、3/4に「保育所入所承諾書」が届いて以来、申し出をしている「第一希望のN保育所に入所することはできないのか*3」という最終確認の電話をしたら、やっぱり「キャンセルは出ていない」ということで、第二希望のS保育所に通うことが決定となったことなどを話したりしていた。

PowerDirector11 Ultra

PowerDirector11 Ultra

 明日の保育所の「個人面接」は11:15~で、Cも午前中、仕事を休んで、五部林とぼくと3人で行くことにしている。
 N保育所に入所できなかったことは残念だし、ぼくも、その理由にいまいち納得がいかないけれど、仕方がないと思うようにしよう。何より、入所できなかった人もたくさんいるわけだし。
 明日は、3/4に「保育所入所承諾書」が届いたときに同封されていた「誓約書」「生育歴」などの書類を持って行かなければならず、入所に際しての必要物品もその場で購入するらしい(いくらぐらい持って行けば良いのかわからないけれど)。面接は15分ぐらいで、きっとほかにもいろいろと用意しなければならないもの、衣類に名前を書いてほしい、などと言われるのだろうけど、4/1まで1週間もないなかで用意するのは、なかなか難しいだろうなと思う。同じ、守口市内の保育所でも、私立のY保育所では、3/12に説明会のようなものがあったと、この間、Yちゃんが言っていたし、こういうのが公立のなんというか、機転の利かないところなんだろうと思う。
 今夜、Cと話していたのは、「明日、どんな質問しておけばいいのだろう?」ということで、慣らし保育(通常より短い時間預けて、だんだん子ども・先生・親を慣らす)のこととかは訊いておいた方がいいだろう、ということになった。
 Cは「(ぼくが)「うつ」だと言って申し込みしてるのに、明日、いっしょに行っても大丈夫なんかな?」と心配していたけど、「今は調子がいい、と、正直に言えば大丈夫じゃないか」とぼくは言った。

 ぼくは、五部林と日中いっしょに過ごせるのが、あと1週間しかない、いや、水曜からCと五部林は、実家に帰ってしまうから、明日、そして、土曜と日曜の3日間しかないことが、とてもさみしい。
 ぼくが、「うつ」になるほどに、育児と家事をギブアップしてしまったから、「保育所入所」という選択肢が持ち上がり、入所申込の締め切りの1月末では、その方法しかあり得ないと思っていたけれど、ぼくが少し回復した今となると、その選択が、はたしてほんとうのほんとうに、五部林にとっても、ぼくにとっても、Cにとっても、我が家族にとってベストとは言わないまでもベターだったのか、わからなくなってきている。
 ただ、ぼくは、今、五部林と日中ふたりきりで過ごすのが、週1日、ないしは2日だから、なんとか楽しくやってるし、きょうのようにどこかに出かけようとも思えるという現実は自覚する。これが、週5日とか6日だったら、やっぱり、しんどくなってしまうと思う。ただ、だから、逆にいえば、保育所に行くのは、週6日でなくともいい。週3日ぐらいでいい。でも、そういうふうな通い方はできない。困窮している人しか入所できないし、それほど困窮していないのであれば「無認可の家庭保育所や一時保育に預ければいい」という話になってしまうのだけど、それは、費用的に難しい。

 でも、一度、保育所に通い出したからといって、ずっと通わなければいけないというわけではもちろんないし、我が家の、ぼくの状態、環境が変われば、他の方法も選択肢として出てくるかもしれない。いまは、そういうことを願っている。
 それにもちろん、保育所に通い出したからといって、ぼくの、そしてCの五部林に対する愛情は減るわけでも薄れるわけでもないし、それはきっと、五部林にも伝わり続けると思う。だって、そうじゃないと、世の中の他の保育所に子どもを預けている親・保育所に通っている子どもたちがみんな、家だけで母親なり父親なりが育児をしている家庭に比べ「愛していない・愛されていない」ということになってしまうもの。逆に、時間が少ない分、もっと「(愛情が)濃くなる」と言ってくれる人もいた。

 頭ではそういうことは理解しているつもりだ。
 ただ、ぼくは、親として、父として、じぶん自身が不甲斐ないだけだ。
 「親として」、「父として」なんて、書いてみて、じぶんでも驚いたけど、そして、そんな実感はまだ伴っていないけれど、そう、(うそでも)言えるようになっただけでも、ずいぶん、ぼくは、なにかを自覚しつつあるのかもしれない。でも、そう言えるのって、ほんとに、ぼくが、五部林が愛おしくて仕方なくなったから。きょうだって、抱いていたとき(とても、腕も腰も疲れたけど、それが疲れなければ)、ずっと抱いていたいと思った。ほっぺたをスリスリしたり、チューしたり、手を握ったり(なぜか、五部林は手をつないで歩くことをとても嫌うけれど)、ずっとそうしていたいと思った。
 「うつ」以前は、もちろん五部林のことを愛おしくはあったけど、それは、なんというか、「義務の愛おしさ」というか、「我が子なんだから、息子なんだから」という前置きが愛おしさの前にあった。でも、今は違う、と思う。思いたい。
 この日手紙で、ずっと「父親になるのがこわい」「家族がどんなものかわからない」と書き続けてきたことで、ぼくのなかで変化が生まれ、それは、決して「父親とは何か」「家族とは何か」という答えが見つかったわけではないし、これからも「これだ」というものは見つからないと思うけど、「そういうものだ」ということが、少しずつ実感できてきているのかもしれない。
 じぶんでも、とても面倒な人間だと思うけれど、ぼくはやはり「わからないものはわからない」と声を出し、発することによってしか、じぶんの生きる仕方を納得できない性質(たち)なのかもしれない。
 その意味では、まだ「回復」とまではいっていないけれど、この数ヶ月間の「うつ」経験は、ぼくにとってはもちろん、ふたりにはかなり犠牲を強いてしまっているけれど、五部林にとっても、Cにとっても、少しはこの家族がより深く、愉しくあるために、ぼくが五部林の父であり、Cの夫であることを望んでもらえるのなら、必要な時間なのかもしれない。

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*1:http://sube.hateblo.jp/entry/2013/03/23/233000

*2:http://sube.hateblo.jp/entry/2013/02/25/213859

*3:http://sube.hateblo.jp/entry/2013/03/05/215934