〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

あぁ、こういうことだったのか

 評論家の宇野常寛は、NHKシリーズ日本新生・仕事と子育て 女のサバイバル 2013」という番組で、

核家族で子どもを育てるなんて無理ゲー。超裏ワザとか使わないと攻略不可能。それを今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた。

と発言し、ぼくは、番組を見ながら、彼の発言にひどく賛同した。
 ちなみに、その番組を見たとき(六月二十七日、『「女医と結婚すること」が夢』という題で、facebookの「ノート」にUPした*1)の感想は以下のとおり。

 録画しておいたままになっていた「シリーズ日本新生・仕事と子育て 女のサバイバル 2013」(二〇一三年四月六日放送)をやっと見た。
 だいたいの内容は、すでに見た人から見聞きしており、宇野(常寛)くんが、いつどのタイミングで「核家族で子育ては『無理ゲー』」と発言するのかを楽しみに見始めたぐらいだったけど、以下、見ながら気付いたこと、思ったことメモ。

  • NHKの女性管理職は全職員の四%(日本の民間企業では七%→二〇一三年版「男女共同参画白書」資料だと十一.一%*2

⇒へー、NHKって公務員なのに、少なくない?

  • 有識者ゲストのうち男性出演者は、宇野くん、デーブ・スペクター、そして志賀俊之日産自動車のCOO)、成澤廣修(文京区長)。

⇒デーブは、どういう立ち位置?ダジャレも番組内では「イクジ(育児)なし」の一回しか使われてなかったし。

  • 一般討論参加者の男性参加者が、おじ(い)さんばかりで偏りがち

⇒お菓子屋さんを経営してる人の「三歳児神話」発言より、ぼくは「できれば子どもを保育所に預けるべきじゃない(社会でみるべき)」と言ってたおじさんの発言の方が、よっぽど気になった。それが、もしかして、政治家や行政のお偉方として在職してる人の一般的な社会通念だとしたら、認可保育所が増えるわけがない。
 ちなみに、ぼくも、「できれば子どもを保育所に預けるべきじゃない(社会でみるべき)」と(息子をこの四月から保育所に預けている)今でもそう思っていて、もちろん、核家族した社会、ご近所づきあいが疎遠になった今の日本社会では、難しいのかもしれないけど、だからといって、「保育所(行政)丸投げ=保育所さえ増やせば、待機児童さえ減らせば子育て支援の解決、という考え」には、とても抵抗がある。核家族した社会、ご近所づきあいが疎遠になった今の日本社会から、どうそれを変えていくか、どうご近所の結びつきを取り戻すか、というもうひとつの方向性がもっと考えられてもいい。

  • 一般討論参加者の女性参加者が、起業(なぜかIT関連企業の人がほとんど)してる女性が多く、専業主婦の人は、ぼくが確認できたのは1人、あとは求職中っていう人もいたけど。

⇒起業できてる女性って、それだけでもう「一般」の女性の声は、なかなか代弁できないと思うんだけど。
 専業主婦願望をもつ女子大学生二人が出演していたのはおもしろかった。その彼女らに向かって「王子様願望はやめましょう」「年収六〇〇万の男性は二十人に一人しかいない」みたいなことを武石恵美子(法政大学教授)が説いていたけど、その「王子様」と結婚できる競争率って、女性が正職員になって育休とって復帰できる(競争)率とたいして変わらないんじゃだろうか。そういう意味でも、別に、専業主婦(夫)という選択肢があっても全然良いと思ったし、加えて、ぼくも、学生んとき「主夫になりたい」って言ってたこと思い出した(→で、現実になってます)。とにかく働きたくなかったから。
 あと、宇野くんも学生んときは「女医と結婚すること」が夢だったことにも賛同。

  • 番組名の通り、女性の「仕事と子育て」をどう両立させるかというテーマになっており「(女性が正職員として)仕事を(しながら子育て)すること=○」、それを現実化させない「制度・社会=×」という前提で番組が進行していた。

⇒唯一、宇野くんとデーブが、「もう正職員という働き方が良い、っていう風潮やめませんか。みんな非正規で良いし、それでも食べていける、それでも子どもを育てていける社会をつくることにシフトしていけば」と発言していたのが救い。

  • 最終的には「男性がもっと育児支援・家庭支援を」という(ありきたりでつまらない)結論。

⇒宇野くんが「『~しなければならない』(=男性ももっと育児しなければならない)では、人は動かない。そこに『楽しみ』や『歓び』があることをもっと広めないと」と言っていたことには賛同。


 そんなことを思った番組だった。
 やはり、出演者の選出(とくに一般女性)にちょっと難があったように思う。ただ、子どもナシ、育児経験ナシの宇野常寛を入れたことは、評価したい。
 彼は番組中(たぶん、編集前の段階ではもっと)、ずっと「その前提(質問)では、発言内容がループする」とか、そういうことばかり発言していて、だから、まだ少しはマシな番組にはなっていたように思う。

* * *

 個人的には、結婚すること、結婚生活を続けることすら「無理ゲー」だと思ってる(妻が気に入らない、とか、そういうことではなく、構造上、システム上のこととして。いや、ほんとは、ぼくは、「生きる」「生き続ける」ことすら「無理ゲー」だと思っているけれど)。
 でも、とりあえず、今のぼくは、両方(+生きること)とも続けている。
 そして、今日(八月二十六日)は、妻・Cとの入籍(二〇〇八年八月二十六日)から、五年が経った、入籍記念日だった*3
 どうして、ぼくは、そのいろんな「無理ゲー」を続けていられるのだろう? と、思った。

 さらに、先週末(二十四日)、子どもの幸せプロジェクト「お父さんリーダー養成講座」@ひと・まち交流館 京都に僭越ながら、スタッフとして参加して、そこに参加していた、父親の育児支援に携わるお父さんたちの話を聞きながら、「じぶん自身の家庭内だけでも『無理ゲー』な育児なのに、どうして、この人たちは、こんなにまじめで一生懸命に、誰かの支援をしようとするんだろう?」と、心底、思った。
 結婚しない人もいる、子どもを持たない(父にならない)選択もある、なおさら、父親の支援なんて、してる人の方が圧倒的に少ないのに。

* * *

 この疑問について、この間(八月十六日)、Tさんと話していて、ぼくが、(ほぼ無意識に)彼に話していたことを思い出した。以下、酔っ払いの記憶のなかの抜粋。

 核家族で育児って『無理ゲー』だとぼくも思うし、そもそも育児って、うまくいってるのかどうかもわからないし、誰もその方法を教えてくれるわけじゃないし、正解もないだろうし、ぼくは、息子といっしょにいて、もちろん、歓びもたくさんあるけど、むしろへこたれることが多い。
 でも、なんでやってるか? って、最近、それは、たぶん、じぶんの親がぼくに思っていた気持ちを理解するためなんじゃないかと思う。
 息子はまだ二才で、ぼくもその当時のことを覚えているわけじゃない。でも、要は、子どもにしたら、親は、というか、社会全体は、理不尽なことだらけで、納得いかないことだらけなわけで、子どもの頃は、その親(社会)を憎んだりする。
 でも、親になると、じぶんが理不尽だと思っていたことを忘れたかのように(ほんとはまったくもって忘れてないんだけど)、親から言われ、相手(子ども)も納得してないだろうな、と思いながらも、言ってるしやってることにぼくは気づいて、そのとき、『あぁ、こういうことだったのか』と思う。
 ぼくは、その『あぁ、こういうことだったのか。おかあさん(社会)、やっとわかったよ』のために、その『無理ゲー』をやってる気がする。

 それから結婚も、ぼくにとっては『無理ゲー』だと思ってるんだけど、そりゃ、もちろん、妻のことを好きだし、ずっといっしょにいたいと思って結婚したわけで、今も少なからずそう思ってるんだけど、でも、他人と暮らすことは、これもまた理不尽なことばっかりなわけで、それは、子どもが親(社会)に対して思う気持ちとそんなに変わらない。
 でも、なんで続けてる、続けられているかっていうと、やっぱり、『あぁ、こういうことだったのか』と思えることが多いからだと思うんよね。
 たとえば、ぼくの場合、親が離婚して、母親と祖母に育てられたんだけど、父親と母親は好きで結婚したはずなのに、ぼくが今の息子ぐらいの年齢で離婚したし、母と祖母も、いろいろと『大人の事情』はあったにせよ、好きでいっしょに住んでいるのに、ずっとケンカばかりしていた。
 父と母の離婚も、母と祖母のケンカも、子どもの頃、ぼくには、その理由がわからなかったけど、今、妻と結婚して、もうすぐ五年。まだ彼女のすること、言うことに慣れないし、いちいち腹が立ったりするし、それは、きっとお互い様だろうし、ケンカもする。でも、ほんとにたまに『あぁ、こういうことだったのか』と思うことがある。
 ぼくは、その『あぁ、こういうことだったのか。おかあさん、おとうさん、おばあちゃん(社会)、やっとわかったよ』をひとつの理由として、続けている気がする。

* * *

 「あぁ、こういうことだったのか」。

 前世代に対して感じていた理不尽を、理不尽のままでは終わらせないシステム、それが、家族?
 父親であることが、理不尽だ(もしくはどうも居心地が良くない)と感じ続けて子育てをするのではなく、少し先に父親になった人たちが、父親になったばかりの人たちに理不尽のままでは終わらせないお手伝い(お節介、とも言う)、または、父親になった人たちが、理不尽をいっしょになって模索する、それが、父親支援?(もちろん、この文章から「父」を抜くと、そのまま「親支援」「子育て支援」として通じるかもしれない)

 ぼくは、理不尽を受け入れる、っていうことが、オトナになるって、ことだとずっと思ってきたけど、もちろん、理不尽を解決しよう、納得しようとしたっていいわけで。

* * *

 実は、先週末(二十四日)参加させてもらった、子どもの幸せプロジェクト「お父さんリーダー養成講座」というのは、NPO化に合わせて、ぼくが六月に入会した、父親支援事業を全国的に行っている「ファザーリングジャパン」の支部組織、「ファザーリングジャパン関西(FJK)」関連で参加させてもらったイベントで、そのときこのイベントの担当者が、事務局長(当時)のIさんだった。
 Iさんは、まだ三十代前半という若さで、この八月上旬、亡くなった。

 ちなみに、ぼくが、「ファザーリングジャパン関西(FJK)」に入会したとき、そのメーリングリストの最初の自己紹介で、ぼくは、以下のようなこと書いた。

 ぼくは、ファザーリングジャパン、ファザーリングジャパン関西(FJK)の理念(笑てるパパがええやん)には大賛同しているものの、ぼくのせまい視野に入るFJKの活動には、三十%ぐらいしか賛同できない者です。(初投稿なのに、ほんとうにごめんなさい)
 というのも、見学者として、参加させてもらった先日の理事会でも感じたのですが、FJK(の活動)が、「笑てるパパ」を増やしてるというよりは、行政の求める父親の育児支援PR活動にうまいように利用されて、ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援という主旨が、少し疎かになっているように思えたからです。
 もちろん、これまでの皆さんのご苦労や実績を知らないわけでもなく(いや、きっと知らないのですけど)、ただ、ほんとうに生意気ながら、言わせてもらえば、これまでのぼくの父親としての育児に、FJKの活動を外部から見させてもらうと、支援してもらってるというよりは、むしろプレッシャーでした。
 みなさんのような「笑てる」父親に、ぼくがなれないと思うからです(乱暴な言い方をすれば「なりたくない」から、とも言えます。いろんな「笑い方」があっていいと思いますので)。
 ただ、唯一、ほんとうに救いだったのは、代表で、同じ主夫のWさんとの出会いで、彼とお話してるなかでは、FJKという集まりは、とても賛同できるものだと思えています。
 けれど、Wさんとお話してるなかで見えるFJKと、それ以外のイベント開催案内で見えるFJKと、その差異というか、乖離は何から生まれてくるのでしょうか? でも、おそらく、みなさんそれぞれにその回答はお持ちだと思います。
 初めての投稿で、このような内容を提示するなんて、疎ましく思われても仕方ありませんが、ぼくがこの度正式に会員となってみなさんとお話しし、ご相談し、見極めたいのは、まさにこの点です。
 「ふつうの父親」に届く支援、活動こそ大切で、育児・子育てエリートの父親にとっては、ファザーリングジャパン(関西)の活動、支援は必要ない(と、ぼくは思う)のです。ちなみに、ぼくは、「ふつうの父親」以下だと思っているので、みなさんのご助言が必要です。ですので、場違いかと思いつつ、入会させていただきました。
 こんな、ぼくですが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 また、こんなことも書いた。

 バルーンも、マジックも、絵本の読み聞かせも、料理も、それは、本来、いちばん前に出てくるものではなく、手段な(だとぼくは思う)のです。
 FJKは、<父親雑技団>という側面だけではないと思うのです。
 でも、組織が、団体が、活動を開始し、維持しようとし始めると、本来の理念というよりは、わかりやすい、見えやすいものが前面に押し出されて、それをやり続けていると「われわれは『活動』している」、逆にやり続けていないと「『活動』していない」と思ってしまいがちなのではないでしょうか。

 その後、このような不躾なぼくの「ぶっこみ投稿」に対して、会員の方々からは、多くの意見をいただいた。そのなかで、多くの方が、ぼくの書いた「ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援」とは? という質問をされていたので、それに答えるつもりで、以下のようなことも書いた。

 ぼくの指す「ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援」とは何か? という点にだけ、今のぼくの思うところを書かせていただきます。
 父親という存在が千差万別のように、支援のあり方も父親の数だけある、というのがぼくの思う基本的なスタンスです。
 そのうえで、ぼくは、父親が自身で「支援」の必要性を感じられるケースは、とても稀だと思っています。
 たとえ、育児、夫婦関係、家族の問題で悩んでいたとしても、それが自分が「支援の対象」だというふうには、なかなか考えられないし、多くの場合は、(FJKのような?)支援機関にもなかなかたどり着くことができません。男性は、多くの場合、それを「自分の問題」で「自分で解決」しよう、しなければならない、そう思う傾向が強いのではないでしょうか。

 ひとりで悶々としているか、家庭ではなく仕事に力を注ぐか、別のなにかで発散するか。
 そして、ときに、それが少し負のエネルギーになってしまい、家族に暴力、ギャンブル、アルコール…などなどの方向に向かい、それが明るみに出て、初めて「支援機関」に出会う、ということがほとんどなのではないか、そんなふうに思います。

 「育児・子育てエリート」と、ぼくが書いた意味もそこにあります。
 つまり、エリートというのは、侮蔑的な意味だけでは決してなく、「恵まれた、優れた人」という、本来の意味です。
 「父親の子育て」について積極的な意味でとらえる→FJKに参加する・興味をもつ、ということができているFJKのみなさんは、(おそらく多くの場合)自らの意志で参加されておられると思うのですが、そういうことに「自ら」気づける力、「自ら仲間を求める」力をもっている、というだけで、それはもはや「ふつう」ではなく「特別」なこと=エリートだと思うのです。

 余談になりますが、ぼくは、二〇一二年八月に仕事をやめて主夫となり、当初は、守口市で開催されている子育て支援イベントには、ほとんど参加するような勢いで、息子(二〇一一年七月生)を毎日連れ回していました。
 もちろん、イベント先は、女性(母親)のみ。たくさんのママ友もできました。
 そして、当然ですが(笑)、年末近くになり、そういう毎日に疲れ、逆に、家で息子と「ひきこもる」という日々を過ごしていました。
 その「ひきこもり」の日々で考えていたことは、「自分はダメな(父)親だ」、「自分は主夫なのに家事もできない」…云々。妻にも相談できないまま、どんどんマイナス思考に陥ってしまいました。
 本来であれば、そんなときに、そんな状態になる前にこそ「子育て支援イベント」に出かけて、「今、すんごくしんどいんねん、ほんまに何もでけへん…」と、ママ友や、イベントスタッフの方に、悩みを打ち明けられればよかったんですけど、(これは、個人的な性格の問題もありますが)
「こんな状態の自分を見られてはいけない、自分が恥ずかしいし、こんな父親だと周りに知れたら息子がかわいそうだ」と思ってしまっていたんです。

 ぼくは、それまで約十年ほど、児童福祉施設に勤めていたので、子育て支援機関や、子ども相談の場所などを、どんなふうなときに、どんなふうに利用できるか、気軽に「ヘルプ」を言えることを知っていたのにもかかわらずです(知っていたからこそでしょうか?)。
 そこで、ぼくが思ったのは、「子育て支援イベントに顔を出せる、それだけで、もう『育児エリート』なのかもしれない」と。だから、これは、父親に限らず、母親についても、そう思えたのです。
ほんとうに支援を必要としている人は、外に出て自分の思いを表出することも難しいのだ、と。
 さらに、子育て支援イベントに参加したときにぼくがつねづね感じていたのは、そこに参加していると「子どもを通して、親(自分)の評価をされているようだ」と思わずにはいられなかったということです。

 乳児期のイベントは、対象が「未就学児全体」とされているものもありますが、多くの場合は、親どうしの結びつきを深めるためにも、「〇才対象」「一才対象」など、年齢ごと、月齢ごとに区切られていたりします。(ぼくの住む自治体の場合)
 そうなると、たいてい同じような月齢の子ども&親が集まります。そして、その〇~二才という時期は、子どもによって成長・発達の様子はバラバラです。もちろん、親(ぼく)は、息子がずっと寝返りができていなかったり、発語が遅かったり、左利きだったり(これは関係ないですけど!笑)することは、気にする必要はない、と、頭ではわかっているのですけど、やはり他の子どもたちと比べてしまいます。

 何より、成長・発達というわかりやすいものだとまだしも、「しつけ」のようなものの話(例えば、ごはんはきちんと座って食べられる、歯を磨かせてくれるなど)になると、もう、それは、子どもの問題、というよりは、親の意識の問題になり、その方面について、ぼくは、ほとんど気にしなかったですけど、なかには自分の子どもより小さな子どもが「歯磨きができている」と知った母親が、
焦ったように驚いて「きょうから、私もがんばってみる!」というようなことを見聞きするような場面も、何度もありました。
 そんなとき、ぼくは、その母親に「えー、まだそんなんでけへんでいいんちゃうん? うちの息子なんて、歯磨きどころか、まだスプーンでさえ食べられへんで、ずっと手づかみやで」とか、言っていましたが。(ま、これは偏見になりますが、そういう場合でも、女性は、<その場>と<本心>のバランスをうまく保つことができる「生物」のようなので、あまり気にはなりませんでしたが…)

 話が長くなりました。
 ですから、ぼくも、どのようなものが「ほんとうに必要な(父親の)育児支援、(父)親支援」なのか、具体的にはわかりません(そして、具体的にわかりだしてきたら、それをぼくは仕事としたいと思っています!)。
 ただ、主に母親を対象とした現在の(行政の)子育て支援環境ですら、もしかすると、ほんとうに必要な人が参加しづらいものとなっているのだとすれば、父親支援というのは、もっとハードルが高く、趣向を凝らさないと、母親向けのイベントに、少し工夫をしただけのものでは、到底、多くの、そして必要としている父親に届くものにはならないのでは、と、ぼくは、そう思っています。

 このような意見を書いてしまったが、FJKのみなさんには、とりあえず受け入れていただけたように思った。だから、ぼくも、まだ会員でいるし、先日のイベントにも参加した。
 ただ、残念だったのは、そのメーリングリストのスレッドで、Iさんの意見を伺うことはできなかった。
 ぼくは、ほとんどお話したことのなかったIさんと、そのイベントで会えることをとても楽しみにしていたので、彼の訃報に接したときには、とても残念でならなかった。
 彼の突然の訃報が流れたときから、FJKのメーリングリストでも、facebookのタイムラインでも、当然、彼の死を悼む投稿がずっと長い間続いた。

 その間、ぼくは、Iさん本人と直接関わりのなかった身としては、あえて発言を控えていたけれど、七月一日に、Iさんからのイベントの誘いに対し、僭越ながら、挙手させてもらったこと、初めてのイベント参加で、Iさんと会えることを楽しみにしていたこと、そういえば、FJKのNPO化後すぐに、事務局長であるIさんのご自宅宛に入会申込書を郵送したこと、その後、会のメーリングリストの招待が届いてすぐに、右の「ぶっこみ発言」をして、結局、Iさんとは、そのことについて、詳細をお伝えすることができなかったこと、長い間、活動をともにされてきたFJKの会員の方々からすると、とても些細なことだけれど、先週末のイベントは、ぼくにとって、そういうことを思い返しながらの参加だった。

 今も、そのメーリングリストには、Iさんの発言が残っている。そして、一目でその流れが見えてしまうので、適切な言い方かどうかわからないのだが、その本人が、イベント当日、不在だったことは、ほんとうに「ふしぎ」としか言いようがなかった。
 代表のWさんからの、突然の訃報を目にして以来、Iさん本人を偲ぶ、というよりは(ぼくは、Iさんとほとんど話をしたことがないから)「もし、今、じぶんがいなくなったら、二才の息子と妻を遺して、どれだけ(じぶん自身が)悔しいだろう、やりきれないだろう」など、「もし、今、じぶんがいなくなったら」ということばかり考えてた。
 ここで、今、妻と、息子といっしょにいること。その偶有性、みたいなことを考えずにはいられなかった。

 でも、ぼくは、またこうも思った。
 人は、というか、ぼくは、じしんの身に起こった・起こる・起こりうる以外の出来事が、行動するうえでの「強い動機」とすること、動機として継続させることができない、と。ただ、なにかを諦めそうになったり、へこたれそうになったとき、そういうものは、「いちばん最後に引っかかるもの」として、残すことができるように思う、と。
 パチンコの玉が、どんどん下に落ちて行ったときの、最後の釘のような感じ。
 ピンボールの玉が、どんどん下に落ちて行ったときの、最後の「バー」みたいな。

 中学のときの部活の先輩が、高校に入学してすぐ、白血病で亡くなった。
 そのとき、部活の顧問の先生だか誰かが「彼女の代わりに、彼女がこれからやりたかった多くのこと、これから経験しただろうことを思いながら、彼女の分も君たちは生きてください」というようなことを話されていたことを思い出す。そういう言い方は、若くして死が訪れた人の周囲に対して、よく遣われる常套句だ。
 当時、ぼくは、ほんとうにかなしかったので(実はぼくは先輩のことを少し好きだった)、そのことばに、いったん納得した後、すぐにその欺瞞に不信感を抱いた覚えがある。
 「先輩の代わりになんて、生きれるはずがないじゃないか」「先輩の『分』ってなんなんだよ」と。
 でも、先輩が死んで、二十年以上経った今も、何かしんどいことがある度に、その先輩のことを思い出すのは、どうしてだろう。
 それは、決して、ぼくが生き続け(られ)ていることが、「彼女がやりたくてもできなかったことだから」でもなく、「彼女が、若くして病気で死んでいくことがどれだけ悔しかっただろう」と想像するからでも、逆説的に生きることに積極的になれるわけだからではなくて、もっと、利己的で、ドロっとしていて、汚い感情であることはたしかだ。
 でも、ひとつ、ぼくはもう少し長く生きて、結婚や子育て同様、生きることに対しても、「あぁ、こういうことだったのか、先輩(Iさん、その他、多くの理不尽な死に出会った知人・友人たち*4)」と、言いたいだけなのかもしれない。

* * *

 今夜は、夕食後、ジャンルプランというお店の「白いひまわり」というチーズケーキ(昼間、京阪百貨店で買ってきた)で、五回目のぼくとCの入籍記念日を祝った。
 五部林がろうそくをケーキに立てて(めりこませて)、火を吹き消してくれた。彼の息の強さでは、なかなか火が消えなくて、垂れてきた蝋が、まるで「5」の「オシッコ」のようなかたちになった…。
 ま、こんな感じのダラダラ夫婦だ。五年間、ありがとう、C。
 その後、三人でケーキを食べながら、「もし、五部林がいなかったら、どんな五年目を迎えていたかな(迎えていられたかな)」、「五部林が生まれる前の生活って、どんなものだったか、もう思い出せないな」、とか、いろいろCと話していた。ありがとう、五部林。

 そして、「とりあえず、今年も(結婚契約)更新で」とCは言った。結婚って、それぐらいでいいのかもしれない。


*1:https://www.facebook.com/notes/%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/%E5%A5%B3%E5%8C%BB%E3%81%A8%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%A2/487819517959326

*2:http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h25/gaiyou/index.html

*3:五年前の出来事は、http://d.hatena.ne.jp/subekaraku/20080828 参照

*4:母も四年前、六十二才という若さで死んでしまったけれど、「母の死」は、またその彼・彼女らとは少し意味合いが違うな