〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

4年ぶりのPlayStation3

 立春も知らないうちに過ぎた。
 昨夜(ゆうべ)、前の日手紙を書き終えて、また眠りすぎるのではないかとどうしようか迷いつつも、薬(「テトラミド」と「セロクエル」のうちどちらかを1錠*1)を飲んで眠ったのは、4時AMすぎだったけれど、今朝は、五部林の声に起こされて、8時前には目が覚め、きょうは職場の近くの保育園の一時保育に五部林を預けることにしたらしいCと五部林を見送ることができた。
 ぼくが家にいるのに、五部林を一時保育に預けることは(費用の面も含め)、罪悪感を感じないわけでもないが、ふたりが出て行って、ホッとするじぶんもいた。

 TSUTAYAで借りたDVDの返却日がきょうだったので、まだ見ていなかった「家政婦のミタ」(vol.1と2)を昨日から見始めている。話題になっていたことは知っていたドラマなのに、放送中は一度も見なかった。去年の年末も再放送されていたようだけど、これまた見なかった。気になりつつも、以前から、ぼくは「世間で話題になっているドラマはタイムリーに見ない(見られない)」というひねくれた感情の持ち主なので、機会を逃していた。
 遊川和彦の脚本は、以前、『女王の教室』がすさまじくストレートに設定も舞台も台詞も「<ほんとう>とは何か?」「善(悪)とは何か?」を表現していたのを覚えていて(このドラマも、またタイムリーには見ず、DVDで見たのだが)、『家政婦のミタ』もおそらくその手法かと思い始めて見始めたけれど、まだ4話までしか見ていないからなんとも言えないところはあるけれど、常識的な存在ではない家政婦・三田灯(松嶋菜々子)の存在を日常に放り込む手法は、「女王の教室」の阿久津真矢(天海祐希)とよく似ている。
 そして、この作品も、また「父-子」の物語だったことは、ぼくを驚かせた。
 「女王の教室」同様、「家政婦・三田灯という存在」と「ある家族」の対峙関係で物語が進むと思っていたのだけれど、「家政婦・三田灯という存在」は、疑念はありつつも、「ある家族」は、4話目にしてすでに受け入れられており、それよりも、父の不倫&母の自殺ということが話の序盤で明らかにされ、家族内部、「父親・恵一(長谷川博己)」と「子どもたち4人の間」に対峙関係が生まれる。
 そして、第3話の終盤、子どもたちに母親の死の理由が知れ、彼らが出て行った後、父親は、こう泣き崩れる。

ほんとは、結婚なんかしたくなかったんです。でも、結ができて、女房に『おろせ、っていうなら死ぬ』とか言って脅されて、父親になれる自信なんか全然なかった。子どもが生まれたら変わるのかなと思ったけど、ダメだった。家に帰って、あいつらといっしょにいると、なんだか自分の正体を見破られてるみたいで、ずーっと息苦しくて、さぁ、これから喋るぞって気合入れないとダメで、心が安らぐのは、トイレにいるときと、車に乗ってるときだけで…。

この叫びのような台詞を聞いたとき、ぼくは、まるで、きょうまでのじぶんの台詞のように思えて、耳を押さえたくなった。
 ぼくの場合は、もちろん「できちゃった婚」でもない。ただ、結婚についてはとても恐れがあったし、Cから妊娠したと聞かされたときには「おろす」という選択肢はもちろんなかったけれど、ほんとうに正直言って頭を少しかすめたのは事実で、「まだ、だめだ、まだ、ぼくには早すぎる」と思った。
 そして、実際、五部林が生まれ、「子どもが生まれたら変わるのかなと思ったけど、ダメだった家に帰って、あいつらといっしょにいると、なんだか自分の正体を見破られてるみたいで、ずーっと息苦しくて、さぁ、これから喋るぞって気合入れないとダメで、心が安らぐのは、トイレにいるときと、車に乗ってるときだけで…」、と、ほとんど同じ気持ちだ(そんな彼が、なぜ4人もの子どもをもつ父親になったかは不思議に思ったが)。
 ほんとうに驚いた。

 そして、第4話では、子どもたちは怒り、父親は投げやりになり、それでも三田の行為もあって、なんとか子どもたちは家に戻ってくる。そして、5才の次女が「お父さんは、キイのこと好き?」と訊いたとき、父親は「…わからないんだ」と応える。

「家政婦のミタ」Blu-ray BOX

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 そこまで見て、原付で守口市駅前のTSUTAYAにその他のDVDとともに返却しに行く途中、子どもを自転車に乗せて走る近所のママ友・Oさんの姿を見た。すぐそばを通り過ぎたのだけど、こちらが原付だったこと、またサングラスをかけていたこともあって、きっと、Oさんは気づかなかっただろうけど、ぼくは、ドキリとした。なにか、ここでも、罪悪感のようなものを感じた。
 TSUTAYAでは、もちろん、第5話以降が気になるので(全作100円キャンペーン中だったこともあって)、『家政婦のミタ』(vol.3~5)を借りた。
 それから、平日の昼間のTSUTAYAは、おじいさん、おばあさんで混んでいた。とても不思議な光景だった。みんな時代劇や韓流ドラマだけではなく、ふつうのハリウッド作品なども借りており、100円キャンペーン中だからかもしれないし、当然といえば当然なのだけど、彼ら世代にとっても、レンタルDVDは日常なのだと思った。
 その後、またきょうも、古本市場に行った。何か、PlayStation3でゲームをやりたくなって、中古品を探して、いろいろ買いそうになったのだけど、やっぱりどうも気が進まずに家に戻った。
 家に戻ってくる途中、原付の後輪タイヤの空気が抜けていることに気づいた。空気が抜けただけならいいが、パンクなら、厄介だなと思った。すぐにバイク屋に行こうかとも考えたけれど、眠かったし、また別の日にしようと思った。
 この原付(リトルカブの中古)を買ったのは、結婚する少し前(2008年春)で、仕事しているときは、ほとんど乗らなかった(休日はひとりで出かけるということがなかった)。そして、仕事を辞めて、主夫になってからもほとんど乗らなかった(いつも五部林といっしょに移動するので、乗れなかった)。でも、「うつ」になって、Cが五部林を連れて車で実家に帰っている日に乗るようになった。原付を買ったバイク屋(MOTORETTA)は、以前住んでいた鶴見区からは近いが、ここからでは少し距離がある。近くにいろいろと相談できるバイク屋さんを見つけないとな。ほとんど乗らないから「処分しよう」、「売ろう」と考えていたけれど、乗る機会はまだあるかもしれない。

 帰宅後は、DVDを別室でひとりで見れるようにしようと、リビングから別室に持ってきたPlayStation3の電源を久しぶりに入れて(セーブデータを見たら、2009年以来だった)、インターネットにつないだり、ネットにつないだら、「ゲームアーカイブスで、懐かしいゲームを見つけて、「塊魂」と「クラッシュ・バンディクー」をダウンロードしてしまった。すごい時代だな、まったく。
 そういえば、先週は、我が家のリビングのテレビ(Cが懸賞で当てたWooo)とDVDレコーダー(DIGA)にもwi-fiを使って無線LAN環境を整えた。以前から、ネット環境は整っていたのだが、2008年に結婚してからずっと、時間も手間をかける気もなくて、なんにも設定していなかった。DIGAが「アクトビラ」に対応してたので、オンデマンド番組なんかを検索してたりしてた。
 やるべきこと(主夫としての役割)もせずに「何をしているんだか」と思うが(これは、昨日知った認知療法でいう「肯定的側面の否認」だな)、これもまた、今しかできないと思うようにしよう(これは、認知療法で「他の考え方もある」と実践したことになるかな)。

 もうすぐ19時。Cと五部林が帰ってくる。
 今夜から、また雨だという予報だった。もう暗いけれど、洗濯物を入れておこう。

 ↑を書いて、それから、すぐにCと五部林は帰ってきて、Cが昨夜(ゆうべ)だか今朝だかにつくっておいた「ロールキャベツ」(Cがつくったロールキャベツは初めて食べた、と思う)を3人で食べた。
 なぜか、きょうは、明るい気分で夕食の時間を過ごすことができた。
 以前、ぼくの「うつ」状態がひどくなったときに、Cから「食事はどうする? 別々で食べる?」と訊かれたときに、「じゃあ、夕食だけはいっしょに食べる」、とは言ったものの、ほとんど何を食べてるかわからないままに口を動かしているときもあったのに、久しぶりに明るい気分になっていた。

 きょうは、初めて五部林を預けたCの職場の保育園*2のこと、五部林の送り・お迎え時の様子、そして、近所の、ブックトピア(去年末で閉店した書店。こここそ、ぼくのひとりになれるオアシスだった)が、近くのダイワサイクル(自転車屋)が移ってきてること、そして、テレビドラマのこと、などなど。
 以前から、大人の食べてるものを欲しがる仕草はしていたものの、最近は、イスに立ち上がってまで本気で取りに来ようとし、渡さなければ泣くことまでする、そういう最中、そんな話をした。
 その後、Cが食器を洗ってる間も、五部林とおもちゃで遊んだり、ダンボール箱のなかに入る五部林を部屋中押して走り回ったりすることもできた(…でも、やっぱり、当然だけど、ぼくよりもCを求める)。

 こんな夜は久しぶりだった。

*1:前回の診察時(1/25)にあまりにも眠くなりすぎることを医師に伝えたら「どちらも半錠ずつか、どちらか1錠でも良い」と言われた

*2:http://www.himawari24.jp/