〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

「気分が良くて何が悪い?」 What is so bad about feeling good ? ~ デザインによってエンパワーメントすること

 きょう参加した「山崎亮さんを囲む会」@上本町変電所ホール(主催:隆祥館書店)の私的メモ。

 『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)という本に出会ったのは、一年前の八月、前職を辞める前に、職場の後輩だったKくんが貸してくれた。
 より詳しくいえば、一昨年秋の職員旅行で城崎温泉に行ったとき、呑み疲れてみんながバタバタと眠り始めた朝方、そのとき、もう家の都合で退職が決まっていたKくんと、そのとき、すでに翌年の春(結局、いろいろな都合から、退職は夏になってしまったのだけど)に退職を決意していたぼくが、真っ暗な旅館の部屋で、お互いの「これから」みたいな話をしていたときに、ぼくの話の内容を聞いたKくんが、「それなら、ぼく、最近読んだ本で、○○さんがやりたいことのヒントになるような本、ありますから、今度、貸しますね」と言ってくれ、すぐに貸してくれ、そのままずっと(ほとんど読まずに)借りていることになるから、『コミュニティデザイン』は、もう約二年ぐらい、ぼくの手元にあることになる。
 そして、先日(七月十九日)、夏葉社の『本屋図鑑』刊行イベント(『本屋図鑑』ができるまで)で訪れた隆祥館書店で、きょうの「山崎亮さんを囲む会」のイベントが開催されることを知り、その場で直接申し込んだ。
 最近、こうしたイベントに参加するために、夜に外出することが多くなって、C(妻)はもちろんのこと、五部林(息子)にも、迷惑をかけているので、外出を控えつつあるのだけど、きょうの山崎さんのお話だけは、ぼくの「これから」のためにどうしても聞いておきたくて、Cに頼んで、五部林をCの職場に連れて行き、バトンタッチして参加させてもらった。
 上記にも書いたように、まだぼくは山崎さんの著作を一冊も読んでいないし、数々出演されているらしいテレビも見たことがなかったので、山崎さんが具体的にどんな人で、どんな考えを持っている人なのか、まったく知らないも同然だったのだけど、『コミュニティデザイン 人とつながるしくみをつくる』、もうこの題名だけで、なんとなく「この人は、ぼくに示唆を与えてくれる」と確信していたのだけど、やはりその直感は、きょう、実際にお話を聞かせてもらって、当たっていたことが証明された。

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

  • 作者:山崎 亮
  • 発売日: 2011/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
本屋図鑑

本屋図鑑

 「コミュニティデザイン」とは何か? 山崎亮という人が、どのような仕事をされている[きた]のか、ということは、数々の著作や、彼が代表を務める「studio-L」のページを見てもらえればわかると思うので、ここでは紹介はしない。きょう、実際にぼくが山崎さんの話を聞いて、感じたこと、思ったことを、じぶん用のメモ程度に書き残しておこうと思う。

 まず、山崎さんの風貌。
 お世辞にも「デザイナー」っぽくない。カタカナ職っぽくない。写真は、ケンドーコバヤシ似なので、ぼくは、てっきりもっと声の低い、いわゆる男っぽい人かと思っていた。でも、山崎さんの声、そして話の内容を聞いていると、写真で見ていた印象とは違い、ものすごく柔和な人、そして、何より「親切な人」、「誰かが求めたことにきちんと向き合って応じる人」だということがわかった。
 次に、講演の演出。
 山崎さんは、裸足で会場入りし(きょうは、そういう会場だった。聴衆者もスリッパか裸足だった)、登壇されて第一声、「ふつうの講演会では、一時間半、ぼくが話して、その後、質疑応答みたいな流れなのだけど、ここはコミュニティデザイナーっぽく、ワークショップ形式で始めたいと思います。まず、六~七名のグループになってください。そこで、まず簡単な自己紹介、それからグループごとで質問をまとめていただき、それにぼくが答える、というかたちで進めたいと思います」と言われ、その演出は、さすがコミュニティデザイナーだと思った。
 ぼくと同じグループになったのは、地域活動を実践されているお若い郵便局長、尼崎・武庫之荘で最近、建築設計事務所を開かれた方、プロのノンフィクション作家、地元の市民病院の建て替え工事のプロジェクトに携わっている方、さらには、母親に参加して来たらと勧められ、実際に参加しているのがすごい中学生(!)、そして、ぼくの六名だった。
 自己紹介を終えると、ぼくらのグループもそうだったけれど、その参加者の方、それぞれに興味が移ってしまい、どのグループも質問を考えるのを忘れて、話が盛り上がっており、十数分後、山崎さんが「いつもそうなんですけど、こういうやり方をすると、みなさんどうしでの話がおもしろくて、もうぼくの話なんて聞きたくないと思ってるでしょうけど…」と言われると、会場がドッと笑い、もうそこからは、講演を聴く、講演者←→聴衆者というよりは、会場には何とも言えない一体感ができて、実際、山崎さんはそれから一時間半ぐらい話されていたのだけど、時間を感じさせず、まるでそれぞれが山崎さんと会話ができているような、そんな時間だった。
 そして、とてもすごい技術だと思ったのは、グループ毎に出てきた質問に答えるようなかたちで、同時に、それが、山崎さんのこれまでの仕事、考えていることなどを、的確に伝えていたことで、これは、山崎さんの持ち味であり、コミュニティデザイナーにとって重要な役割でもある「人の話を聞くこと・聞く力」が底辺にあって、そのうえで、じぶんの伝えたいことを伝えるというスキルが、山崎さんには、もう習慣というか、生き方のように身についていることを感じさせてくれた。

 山崎さんが、仕事として依頼を受け、ある負の側面のある(何か困っている)コミュニティ(地域・場)をデザインするときに、心がけていることは、ともかく「人の話を聞く」ということなのだそうだ。
 ともかく地域・場には、「じぶんの話を聞いてもらいたがってる人がたくさんいる」と。そこに「じぶんの話を聞いてくれ」という態度で臨んでも、誰も聞いてはくれるはずがない。その人たちの場(自宅や職場)に、こちらが出向いて話を聞く。そこでは「はぁ」、「なるほど!」、「すごいっスね!」、そして首を縦に振る、そのことさえできれば、誰もが立派なコミュニティデザイナーだと山崎さんは言う。そして、話を聞いた最後に、相手に「この地域で、あなたがすごい、おもしろいと思う人を三人紹介してください」とお願いするのだそうだ。そうすると、その地域のコアな人物がだんだんと浮かび上がってくる、と。次に、そのコアな人物を中心にして、いざそのコミュニティに対し、イベント・プロジェクトを仕掛けたとき、じぶんの話を一生懸命聞いてくれた奴が始めたその行為を、その各自それぞれが「じぶんのことだ」「じぶんに関係あることだ」と思ってくれ、そういう関係性が出来上がっていて、初めて積極的に参加し始めてくれる、と。
 ぼくらのグループは「どうすれば十代~三十代の若い人が地域のイベントに参加してくれるようになるか? また、どのようにすればそれが単発のイベントではなく継続的に続けていけるか?」というようなことを山崎さんに質問したのだけど、それに対して以下のような答え方をされた。

  • 若くておもしろい人の話をとにかく聞きに行く
  • 若い人たちが参加したくなるような「デザイン」にする
  • 若い人にそこに参加することがじぶんにとってメリットがあると感じさせる
  • コミュニティ活動が「恥ずかしいことではない」「ダサい場所ではない」と思えるような活動にする

 とくに二十代、三十代の人を対象にした、あるいはさまざまな世代を対象にした人に集まってほしいときは、ただでさえ二十代、三十代の人は、仕事や家庭で忙しくて、そんな地域活動みたいなものに参加している時間も手間もないのだから、イベントの資料(チラシ)も、「よく行政施設のラックに挟んであるような、色紙に『ワードアート』で作成し、輪転機で刷った一色刷りのペラペラのチラシではなく」、「紙厚はせめてラックに挟んでも折れてこないようなものにし、ラックに挟むと上の三分の一ぐらいしか目に留まらないので、その下に何が描かれているのか気を引いて、誰もが持って帰りたくなるような」チラシにして、まず目を留めてもらうこと、そして、実際のイベント時も、資料はカッコよく、簡潔で、統一感のあるものにし、よくあるワークショップのように、参加している側が恥ずかしくなり、お互いが照れ笑いしてしまうような、無理につくった笑顔を絶えず浮かべ、語りかけてくるファシリテーターを立てるのではなく、「カッコよい」「この場にいて心地良い」と参加者に思わす進行方法を考えなくてはならない、ということだった。

 「ぼくらがやっているのは、『まちづくりコンサルタント』ではなく(コンサルタントのような知識や経験もない)、『デザインによってエンパワーメントすること』なんです。実際にモノをつくらないデザインが、コミュニティデザインなんです」と、山崎さんは言っていて、さらにプロジェクトに大切なのは、

  • 楽しいか?
  • できるか?
  • (誰かに)求められているか?

 ということだと簡潔に言い切っていたことが、ぼくには、とても心地良く受け止められた。

 ぼくも、ともすれば、「じぶん語り」ばかりする傾向があることは自覚しているけれど、でも、「じぶん語り」を避けたところで、儲け話でもないコミュニティ活動の話をするときは、「○○は必要だと思いませんか?」とか「××することは、ぼくらにとってとても大切だと思うんですよね」とか、○○や××に入るのは「正論」で、正論では人は動かないし、正論だけではおもしろくない。相手に「とくに必要と思っていない」「とくに大事だと思っていない」と思われれば、それで話は進まなくなってしまうから、山崎さんの指摘するように、ともかく「人の話を聞く」ということが重要だということ、さらには、「じぶんがやりたいこと」が先に立つのではなく、「誰かに求められていること」(もちろん何を求められているかは、人に話を聞かなければわからない)を「代わりにする」という前提は、心に留めなければならないと思ったし、「『カッコいいこと』をしたい、『カッコわるいこと』はしたくない」という姿勢は、それは善悪とか損得とか平等・公平とか、そんなことよりももっと難しい「センス」(美醜とも少し違うと思う)が問われることだけど、ぼくも、日本人の生き方、価値観自体が、善悪や「~のため」ではなく「センス(の善し悪し)」でかたちづくられている今、コミュニティ活動においても、それが活動の判断基準になることは当然だと思うし、すぐに直接的に我が身に返って来ないと思われがちなそういう活動について、より多くの人の関心を惹くには、それが、とても重要なコンセプトになると思った。

* * *

 きょう、ものすごく濃密な話をしてくださった山崎亮さんはもちろん、先日の夏葉社の『本屋図鑑』刊行イベントに続き、きょうのイベントを主催してくださった隆祥館書店のスタッフの方々、さらには、同じグループで、話をしてくれた方々、何より、山崎亮という人の名前を知るきっかけをつくってくれたKくんに、心より感謝したい。
 最後に、コミュニティデザイナーの資質は? という質問に、山崎さんは「いろいろありますが、しいてひとつあげるなら、その人がいると、少しその場が明るくなるような人であること」と言われて、とても恐縮で、恥ずかしいけれど、ぼくには、それぐらい(?)の資質は、少しあるように自負し、その後、山崎さんと握手して、写真も撮ってもらいました。何か、こう、とても、「これから」の糧になりそうな予感。山崎さん、ありがとうございます。
 とりあえず、山崎さんの著作、読みます。