〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

理由なき反抗

 最近、息子(五部林)の「イヤイヤ度」、「意志の表明度」がすごい。
 いや、すごいのかどうか、わからない。他の子のそれをあまり目にしたことがない。
 でも、その状態がけっこう続いている。そして、「イヤイヤ」も日々、進化しているように思う。
 「魔の2歳児(イヤイヤ期)」現象というのは、こんなものなのだろう、とは思う。まだまだ(3歳ぐらいまで?)続くのだろうとは覚悟している。
 要は「第一次反抗期」のことである。「テリブル・ツー(terrible two)」とも言われる。自我が芽生え、じぶんの「意志」が出てくる時期。
 その「イヤイヤ」を「こんなものだろう」なんて、言っていられるのは、まさに、五部林が「イヤイヤ」してるときには無理で、こうして、彼が眠っているときや、彼と離れているときぐらいなのだけど。

 育児日記を読み返してみると、

・5月13日(1才10ヶ月)

帰り、【だ】が抱いて帰ろうとすると、嫌がって自分で歩く、という素振り。
「イヤ」という発語も聞き取れたような。(いよいよ、イヤイヤ期か?!)

・6月8日(1才11ヶ月)

最近、五部林は、物を投げたり、ぼくやC(妻)が「だめ」と言ったことを、
わかってて、わざとやったり、それがどんどんエスカレートして、
じぶんでもやめられなくなっているように見えることが多い。

・6月12日(1才11ヶ月)

五部林の、なんでもかんでも「イヤイヤ」期、だんだん本格的に。
ただ、親も少しずつ、それに対する対処を覚えてくる。

・7月7日(1才12ヶ月 2才の誕生日4日前)

午後、お昼寝から目覚め、14:30頃に昼食。
きょうの五部林は、いつもにも増して「イヤイヤ」が激しく、手を焼いた。
食事中は、食べ物を投げたり、「あまーい」と言ってはき出したり。

Cも「イライラ」が最高潮。

 と書かれており、5月からだんだんその予兆があったことが窺える。それから、現在、約4ヶ月。
 6月に「親も少しずつ、それに対する対処を覚えてくる」と書いているように、もちろん、ぼくとCも、ただ手をこまねいているわけではなく、五部林の「イヤイヤ」を「やり過ごす」手伝いをしてやろうと、いろいろな試みをやってみる。

 「イヤイヤ」は、こちらが「○○しよう(例:手を洗おう・絵本を読もう・公園へ散歩しよう)」という【誘い】の場面→「○○しなさい(例:手を洗いなさい・野菜も食べなさい・靴を脱ぎなさい)」という【命令】の場面→「○○はダメ(例:スプーンは投げたらアカン・友だちのものを勝手に取ったらダメ)」という【叱責・叱咤】の場面で生じることが多い。
 ただ、そのときの五部林の「イヤイヤ」は、たぶん2種類あって、こちらが誘ったことや命令したことをするのがほんとうに「イヤ」なときと、とりあえず、なんでもかんでも「イヤ」と言っていると思われるときがある。

 前者の場合は、代替案を提示してあげると、彼の気持ちをうまく落ち着かせることができることが多い。
 例えば、「服を着替えよう」と言ったとき、1枚の服ではなく、2枚以上の複数の選択肢を与えてあげる。そうすると、親が与えた1つの選択肢に従うのではなく、あくまでもじぶんが主体となって(選択権をもって)行動できるということになるからか、納得して着替えることができたりする。
 後者の場合、それを証拠に、とりあえず五部林は、「イヤ」と言った後に、こちらが誘ったことや命令したことに対し、「イヤ」と言ったことを忘れたように、そそくさとやり始めるときがあり、そういうとき、五部林は「イヤ」と言ってみる(声に出すことが大事なんだろうな、と思う)ことで、他人からいろいろなことを決められる、やらされる理不尽さ(ほんとは、その行為を「したい」、または逆に「しなければならない」と思っていたにしても)に、とりあえず「イヤ」と「抗ってみる」ことによって、「じぶんの(選んだ)行為」として整理しているように思える。勉強しようと思っていたときに、親から「勉強しなさい」と言われ、「うるさい!」と言ってしまう例のアレと同じかもしれない。そういうときは、親の側も何事もなかったかのように、もう一度、楽しげに声をかけてみる。

 ただ、この後者の場合も、親の側からすると、(論理的に)理解できない場面も多々ある。【命令】も【叱責・叱咤】もしておらず、単に【誘い】(楽しげに「五部林、○○しようー!」)を持ちかけただけなのに、「かんしゃく(玉)」というのがぴったりくる、いきなりの爆発。こうなると手がつけられない。ぼくは、そういうとき、ともかく、五部林を抱いて「あー、そうやったんや、イヤやったんやなー、ごめん」と言う(ようにしている)。
 これが、家のなかだけで行われるのであれば楽なのだけど、外出先(とくに人の多い場所)などで「かんしゃく玉」がはじけると、ゆっくりなだめている余裕などはなく、ともかく、抱き上げて、大声を出して泣いていても許されるだろう場所に連れて行き、彼が落ち着くのを待つしかない。
 でも、ぼくは、この「かんしゃく玉爆発」の瞬間を、とても大事にしてあげたいと、(普段は)思っている。
 「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」(と、勝手にぼくが思っているだけで、本人にはれっきとした理由があるのかもしれない)が思いっきりできるのは、五部林の人生において、きっと今だけなのだ。爆発したいだけ、すればいい、と。
 ただ、爆発させてあげたはいいものの、それを「鎮火」させる方法が五部林自身も、親もわかっていないのが正直なところ。「爆発原因」がわからないので、何をどうすれば良いのかわからず、ただ時間が経つのを待つしかないときがある。全然関係のない(と思われる)きっかけ(例えば、飛行機が飛んできたのを見つけたり)で、涙で顔中ベタベタにしながら、鎮火するときが多い。

 ただ、最近、2才と1ヶ月になり、五部林に芽生えてきたのは、「イヤイヤ」から少しレベルアップした、「意志の主張」のようなものも見られてきた。
 それは、親として、とても頼もしい成長であるとともに、どちらかというと、単なる「イヤイヤ」よりも、こちらの方が厄介だとすぐに知る。たぶん、五部林自身も、自らのなかからムクムクと沸き上がってくる「意志」というか「欲望」のようなものに、戸惑っているようにも見えて仕方がない。

 これは、もっと以前からなのだが、五部林が歩き始めるようになって、彼は、親と「手をつなぐ」(手をつないで歩く)ことを良しとしなかった。理由はよくわからない。
 手をつないで歩いてくれると、外を散歩していても、親としては危険を回避できるし、とても楽なのだけど、とにかく手をつなごうとすると、その手を振り払って、じぶんひとりで歩こうとする。そして、ぼくは、彼をつねに見守って、前やら横やら後ろやらから、前もって危険を察知して、それをなるべく強行手段(抱き上げるとか、引っ張るとか)をとる前に、「こっち行こー」とか「わ、あっちに○○があるで!」とか、言ってみたりしている。
 保育所の階段の上り下りも、五部林は、手を貸してもらうのを嫌がって、ずっとじぶんで上り下りしている。ぼくとしては、手をつないだ方が安全だし、早いと思うので、急いでいるときなどはイライラするけれど、なるべくひとりで上り下りさせるようにはしている。
 そんなふうに、以前から、五部林は「手をつなぐ(つながない)」ことに関しては、「イヤ」ではなく、「意志(ひとりで歩きたい)」という思いを強くもっていたように思う。
 (でも、興味深いことに、他の部分では「意志の主張」が見えてきてるのに、最近の五部林は、「おててー」とか言って、少し手をつないでくれるようになったりもしている)

 その彼が、今、いちばん意志を示すのは、「(電車の)DVD(「ものしり鉄道図鑑 近畿 1 MTD-258 [DVD]」)を見たい」、「(眠るときなどに)(電車の)絵本(今はこれ→『はしる! 新幹線「のぞみ」 (PHPにこにこえほん)』)を読んでほしい」という行為についてだ。以前はアニメ「アンパンマン」の録画だったりした。最近は、NHK「NHKDVD いないいないばあっ! わ~お!(ワンワン)」のDVDだったりすることもある。
 外で遊んでいるときに「でんしゃ、見たいー」、「ワンワン、見たいー」と言うことはほとんどなく、家のなかにいるときに限られているので、ぼくは、五部林は、たぶん「DVDを見たい」という欲望もたしかに強くあり、この間までは、熱心に画面に向き合っていたけれど、最近は、こちらが根負けして、再生ボタンを押したのに、すぐに見なくなって、別のおもちゃ(これまた電車なのだけど)で遊んでいることも多い。
 また、DVDを見ながら眠ってしまって、それから目が覚めたときに、DVDが流れていないことで、大泣きしたこともあったし、最近は、夜中、目を覚まして、「でんしゃー、でんしゃー」と泣き叫んで、絵本を読んでほしいと訴えることが多い。
 この五部林の行為というか、意志(欲望)の表明は、もちろん、それらを見たいという強い気持ちは彼のなかにあるのだろうけど、それよりもむしろ家のなかで「手持ちぶさた」なのではないか? 「電車(というメディア・存在)」と関わっていることが、彼にとって、今、家のなかで安心できる状況になっているのではないか? そんなふうに思うようになってきた。

ものしり鉄道図鑑 近畿 1 MTD-258 [DVD]

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はしる! 新幹線「のぞみ」 (PHPにこにこえほん)

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  • 作者:鎌田 歩
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NHKDVD いないいないばあっ! わ~お!

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  • メディア: DVD

 家のなかでは、ぼくはそれほどでもないけど、C(妻)は、熱心に関わって五部林と遊んでいる。
 電車でいっしょに遊んだり、最近では簡単な「パズル」をいっしょにするようになったり、絵本を読んだり。ぼくは、スキンシップ派というか、五部林とゴロゴロしたり、五部林をこそばせて遊んだり、いっしょに踊ったりしている。
 でも、よくよく考えてみると、Cはどうかわからないけど、ぼくは家のなかで五部林と、どうやって遊んだら良いのか、何をすれば五部林が(ぼくも)楽しいのか、よくわからなくなってきているのも事実だ。
 おもちゃは山ほどある。絵本も山ほどある。でも、それらのメディアを使って、どんなふうに遊べば良いのか、五部林がもっと幼いときの遊び方のままで、彼の成長にぼく(ら)が付いていっておらず、そのせいで、五部林が「手持ちぶさた」になっており、短絡的に「DVDを見たい」という意志(欲望)の表明になっているのかもしれない。
 もちろん、「DVD(テレビ)を見る」ことが、悪いことだとは、ぼくは全く思っていなくって、電車でもなんでも興味のあるもの、好きなものができることは素晴らしいと思っているし、NHKの番組にしたって、そこで流れてくる音楽といっしょに、歌ったり、踊ったりしていることは、とても楽しい。
 でも、五部林と関わっていることがしんどくて(あるいは他に家事をしなければならなかったり、じぶんのしたいことを優先することもあって)、「DVD(テレビ)」に子守りをさせがちなところ、「DVD(テレビ)」=楽しいものと思い込ませるような発言を、これまでしてきたことも確かだ。

 今、五部林の「意志(欲望)の表明」のムクムク期と、家のなかでの「手持ちぶさた」感からくる「DVDを見たい」気持ちとがない交ぜとなって五部林のなかに混乱を来しているように思える。
 夜中、何度も起きることがあるのは、原因がよくわからない(暑いのか?、喉が渇くのか?、眠りが浅いのか?)けど、もしかすると、その「混乱」も影響しているのかもしれない。

 まず、ぼく(ら)が見つけないといけないのは、今の五部林に合った「(家のなかの)遊び」だ。
 そして、そのうえできちんと「意志(欲望)の表明」を受け止めてあげること。できることは叶えてあげたいし、できないこと(するべきではないこと)は、しんどいけどきっぱりと理由を説明して(今はわかってもらえなくても)拒否することが大事だと思う。

 この間、育児も、「『あぁ、こういうことだったのか』のために」しているかもしれないと書いた(http://sube.hateblo.jp/entries/2013/08/26)けど、大切なのは、五部林にとっての理不尽(これは、ぼくにとっての理不尽でもある)を、できれば押さえつけるようなものではなく、理不尽としてそのままにきちんと伝えること、伝える努力をすることだと思う。
 それが、彼にとって、最初であり、最大の理不尽の存在且つ最大の理解者としての、親である、ぼくの仕事だと思う。

「魔の二歳児(テリブル・ツー)」の処方箋 ~親の都合と自我の芽生えの相克~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 右のコラムでは、

「記録しておく」のが良いと思う。振り返った時、絶対にイイコチャンだった我が子の記録よりも、ダダッコチャンだった記録(泣き顔の写真も、泣き声の動画も)のほうが思い出深いから。その時に自分がどう思い、対応したかも思いだし、自分の幼さと成長に気付くこともできるから。

 と、書かれてあったため、とりあえず書き始めたけれど、あー、やっぱり、考えていることを文字にしてよかった。なんとなく、今のモヤモヤが整理できた。