〒カワチ日手紙〒- 外 -

「あえて」以降の、生きる仕方の試みの記録。「父」像、「家族」像への試み。文中に出てくるCは妻で、五部林は息子です。

理由なき反抗

 最近、息子(五部林)の「イヤイヤ度」、「意志の表明度」がすごい。
 いや、すごいのかどうか、わからない。他の子のそれをあまり目にしたことがない。
 でも、その状態がけっこう続いている。そして、「イヤイヤ」も日々、進化しているように思う。
 「魔の2歳児(イヤイヤ期)」現象というのは、こんなものなのだろう、とは思う。まだまだ(3歳ぐらいまで?)続くのだろうとは覚悟している。
 要は「第一次反抗期」のことである。「テリブル・ツー(terrible two)」とも言われる。自我が芽生え、じぶんの「意志」が出てくる時期。
 その「イヤイヤ」を「こんなものだろう」なんて、言っていられるのは、まさに、五部林が「イヤイヤ」してるときには無理で、こうして、彼が眠っているときや、彼と離れているときぐらいなのだけど。

 育児日記を読み返してみると、

・5月13日(1才10ヶ月)

帰り、【だ】が抱いて帰ろうとすると、嫌がって自分で歩く、という素振り。
「イヤ」という発語も聞き取れたような。(いよいよ、イヤイヤ期か?!)

・6月8日(1才11ヶ月)

最近、五部林は、物を投げたり、ぼくやC(妻)が「だめ」と言ったことを、
わかってて、わざとやったり、それがどんどんエスカレートして、
じぶんでもやめられなくなっているように見えることが多い。

・6月12日(1才11ヶ月)

五部林の、なんでもかんでも「イヤイヤ」期、だんだん本格的に。
ただ、親も少しずつ、それに対する対処を覚えてくる。

・7月7日(1才12ヶ月 2才の誕生日4日前)

午後、お昼寝から目覚め、14:30頃に昼食。
きょうの五部林は、いつもにも増して「イヤイヤ」が激しく、手を焼いた。
食事中は、食べ物を投げたり、「あまーい」と言ってはき出したり。

Cも「イライラ」が最高潮。

 と書かれており、5月からだんだんその予兆があったことが窺える。それから、現在、約4ヶ月。
 6月に「親も少しずつ、それに対する対処を覚えてくる」と書いているように、もちろん、ぼくとCも、ただ手をこまねいているわけではなく、五部林の「イヤイヤ」を「やり過ごす」手伝いをしてやろうと、いろいろな試みをやってみる。

 「イヤイヤ」は、こちらが「○○しよう(例:手を洗おう・絵本を読もう・公園へ散歩しよう)」という【誘い】の場面→「○○しなさい(例:手を洗いなさい・野菜も食べなさい・靴を脱ぎなさい)」という【命令】の場面→「○○はダメ(例:スプーンは投げたらアカン・友だちのものを勝手に取ったらダメ)」という【叱責・叱咤】の場面で生じることが多い。
 ただ、そのときの五部林の「イヤイヤ」は、たぶん2種類あって、こちらが誘ったことや命令したことをするのがほんとうに「イヤ」なときと、とりあえず、なんでもかんでも「イヤ」と言っていると思われるときがある。

 前者の場合は、代替案を提示してあげると、彼の気持ちをうまく落ち着かせることができることが多い。
 例えば、「服を着替えよう」と言ったとき、1枚の服ではなく、2枚以上の複数の選択肢を与えてあげる。そうすると、親が与えた1つの選択肢に従うのではなく、あくまでもじぶんが主体となって(選択権をもって)行動できるということになるからか、納得して着替えることができたりする。
 後者の場合、それを証拠に、とりあえず五部林は、「イヤ」と言った後に、こちらが誘ったことや命令したことに対し、「イヤ」と言ったことを忘れたように、そそくさとやり始めるときがあり、そういうとき、五部林は「イヤ」と言ってみる(声に出すことが大事なんだろうな、と思う)ことで、他人からいろいろなことを決められる、やらされる理不尽さ(ほんとは、その行為を「したい」、または逆に「しなければならない」と思っていたにしても)に、とりあえず「イヤ」と「抗ってみる」ことによって、「じぶんの(選んだ)行為」として整理しているように思える。勉強しようと思っていたときに、親から「勉強しなさい」と言われ、「うるさい!」と言ってしまう例のアレと同じかもしれない。そういうときは、親の側も何事もなかったかのように、もう一度、楽しげに声をかけてみる。

 ただ、この後者の場合も、親の側からすると、(論理的に)理解できない場面も多々ある。【命令】も【叱責・叱咤】もしておらず、単に【誘い】(楽しげに「五部林、○○しようー!」)を持ちかけただけなのに、「かんしゃく(玉)」というのがぴったりくる、いきなりの爆発。こうなると手がつけられない。ぼくは、そういうとき、ともかく、五部林を抱いて「あー、そうやったんや、イヤやったんやなー、ごめん」と言う(ようにしている)。
 これが、家のなかだけで行われるのであれば楽なのだけど、外出先(とくに人の多い場所)などで「かんしゃく玉」がはじけると、ゆっくりなだめている余裕などはなく、ともかく、抱き上げて、大声を出して泣いていても許されるだろう場所に連れて行き、彼が落ち着くのを待つしかない。
 でも、ぼくは、この「かんしゃく玉爆発」の瞬間を、とても大事にしてあげたいと、(普段は)思っている。
 「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」(と、勝手にぼくが思っているだけで、本人にはれっきとした理由があるのかもしれない)が思いっきりできるのは、五部林の人生において、きっと今だけなのだ。爆発したいだけ、すればいい、と。
 ただ、爆発させてあげたはいいものの、それを「鎮火」させる方法が五部林自身も、親もわかっていないのが正直なところ。「爆発原因」がわからないので、何をどうすれば良いのかわからず、ただ時間が経つのを待つしかないときがある。全然関係のない(と思われる)きっかけ(例えば、飛行機が飛んできたのを見つけたり)で、涙で顔中ベタベタにしながら、鎮火するときが多い。

 ただ、最近、2才と1ヶ月になり、五部林に芽生えてきたのは、「イヤイヤ」から少しレベルアップした、「意志の主張」のようなものも見られてきた。
 それは、親として、とても頼もしい成長であるとともに、どちらかというと、単なる「イヤイヤ」よりも、こちらの方が厄介だとすぐに知る。たぶん、五部林自身も、自らのなかからムクムクと沸き上がってくる「意志」というか「欲望」のようなものに、戸惑っているようにも見えて仕方がない。

 これは、もっと以前からなのだが、五部林が歩き始めるようになって、彼は、親と「手をつなぐ」(手をつないで歩く)ことを良しとしなかった。理由はよくわからない。
 手をつないで歩いてくれると、外を散歩していても、親としては危険を回避できるし、とても楽なのだけど、とにかく手をつなごうとすると、その手を振り払って、じぶんひとりで歩こうとする。そして、ぼくは、彼をつねに見守って、前やら横やら後ろやらから、前もって危険を察知して、それをなるべく強行手段(抱き上げるとか、引っ張るとか)をとる前に、「こっち行こー」とか「わ、あっちに○○があるで!」とか、言ってみたりしている。
 保育所の階段の上り下りも、五部林は、手を貸してもらうのを嫌がって、ずっとじぶんで上り下りしている。ぼくとしては、手をつないだ方が安全だし、早いと思うので、急いでいるときなどはイライラするけれど、なるべくひとりで上り下りさせるようにはしている。
 そんなふうに、以前から、五部林は「手をつなぐ(つながない)」ことに関しては、「イヤ」ではなく、「意志(ひとりで歩きたい)」という思いを強くもっていたように思う。
 (でも、興味深いことに、他の部分では「意志の主張」が見えてきてるのに、最近の五部林は、「おててー」とか言って、少し手をつないでくれるようになったりもしている)

 その彼が、今、いちばん意志を示すのは、「(電車の)DVD(「ものしり鉄道図鑑 近畿 1 MTD-258 [DVD]」)を見たい」、「(眠るときなどに)(電車の)絵本(今はこれ→『はしる! 新幹線「のぞみ」 (PHPにこにこえほん)』)を読んでほしい」という行為についてだ。以前はアニメ「アンパンマン」の録画だったりした。最近は、NHK「NHKDVD いないいないばあっ! わ~お!(ワンワン)」のDVDだったりすることもある。
 外で遊んでいるときに「でんしゃ、見たいー」、「ワンワン、見たいー」と言うことはほとんどなく、家のなかにいるときに限られているので、ぼくは、五部林は、たぶん「DVDを見たい」という欲望もたしかに強くあり、この間までは、熱心に画面に向き合っていたけれど、最近は、こちらが根負けして、再生ボタンを押したのに、すぐに見なくなって、別のおもちゃ(これまた電車なのだけど)で遊んでいることも多い。
 また、DVDを見ながら眠ってしまって、それから目が覚めたときに、DVDが流れていないことで、大泣きしたこともあったし、最近は、夜中、目を覚まして、「でんしゃー、でんしゃー」と泣き叫んで、絵本を読んでほしいと訴えることが多い。
 この五部林の行為というか、意志(欲望)の表明は、もちろん、それらを見たいという強い気持ちは彼のなかにあるのだろうけど、それよりもむしろ家のなかで「手持ちぶさた」なのではないか? 「電車(というメディア・存在)」と関わっていることが、彼にとって、今、家のなかで安心できる状況になっているのではないか? そんなふうに思うようになってきた。

ものしり鉄道図鑑 近畿 1 MTD-258 [DVD]

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はしる! 新幹線「のぞみ」 (PHPにこにこえほん)

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NHKDVD いないいないばあっ! わ~お!

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 家のなかでは、ぼくはそれほどでもないけど、C(妻)は、熱心に関わって五部林と遊んでいる。
 電車でいっしょに遊んだり、最近では簡単な「パズル」をいっしょにするようになったり、絵本を読んだり。ぼくは、スキンシップ派というか、五部林とゴロゴロしたり、五部林をこそばせて遊んだり、いっしょに踊ったりしている。
 でも、よくよく考えてみると、Cはどうかわからないけど、ぼくは家のなかで五部林と、どうやって遊んだら良いのか、何をすれば五部林が(ぼくも)楽しいのか、よくわからなくなってきているのも事実だ。
 おもちゃは山ほどある。絵本も山ほどある。でも、それらのメディアを使って、どんなふうに遊べば良いのか、五部林がもっと幼いときの遊び方のままで、彼の成長にぼく(ら)が付いていっておらず、そのせいで、五部林が「手持ちぶさた」になっており、短絡的に「DVDを見たい」という意志(欲望)の表明になっているのかもしれない。
 もちろん、「DVD(テレビ)を見る」ことが、悪いことだとは、ぼくは全く思っていなくって、電車でもなんでも興味のあるもの、好きなものができることは素晴らしいと思っているし、NHKの番組にしたって、そこで流れてくる音楽といっしょに、歌ったり、踊ったりしていることは、とても楽しい。
 でも、五部林と関わっていることがしんどくて(あるいは他に家事をしなければならなかったり、じぶんのしたいことを優先することもあって)、「DVD(テレビ)」に子守りをさせがちなところ、「DVD(テレビ)」=楽しいものと思い込ませるような発言を、これまでしてきたことも確かだ。

 今、五部林の「意志(欲望)の表明」のムクムク期と、家のなかでの「手持ちぶさた」感からくる「DVDを見たい」気持ちとがない交ぜとなって五部林のなかに混乱を来しているように思える。
 夜中、何度も起きることがあるのは、原因がよくわからない(暑いのか?、喉が渇くのか?、眠りが浅いのか?)けど、もしかすると、その「混乱」も影響しているのかもしれない。

 まず、ぼく(ら)が見つけないといけないのは、今の五部林に合った「(家のなかの)遊び」だ。
 そして、そのうえできちんと「意志(欲望)の表明」を受け止めてあげること。できることは叶えてあげたいし、できないこと(するべきではないこと)は、しんどいけどきっぱりと理由を説明して(今はわかってもらえなくても)拒否することが大事だと思う。

 この間、育児も、「『あぁ、こういうことだったのか』のために」しているかもしれないと書いた(http://sube.hateblo.jp/entries/2013/08/26)けど、大切なのは、五部林にとっての理不尽(これは、ぼくにとっての理不尽でもある)を、できれば押さえつけるようなものではなく、理不尽としてそのままにきちんと伝えること、伝える努力をすることだと思う。
 それが、彼にとって、最初であり、最大の理不尽の存在且つ最大の理解者としての、親である、ぼくの仕事だと思う。

「魔の二歳児(テリブル・ツー)」の処方箋 ~親の都合と自我の芽生えの相克~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 右のコラムでは、

「記録しておく」のが良いと思う。振り返った時、絶対にイイコチャンだった我が子の記録よりも、ダダッコチャンだった記録(泣き顔の写真も、泣き声の動画も)のほうが思い出深いから。その時に自分がどう思い、対応したかも思いだし、自分の幼さと成長に気付くこともできるから。

 と、書かれてあったため、とりあえず書き始めたけれど、あー、やっぱり、考えていることを文字にしてよかった。なんとなく、今のモヤモヤが整理できた。

「MUSH UP(マッシュアップ)」という生きる仕方

 昨日、「平成サブカルお母さん考~わかるヤツだけわかればいい~」(「MAMApicks」・筆者/ワシノミカ)というコラムを読んで、「サブカル世代が親になる経験」またはその「処方箋」について、少し書いた。
 さっそくそのコラムで触れられている、渋谷直角カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』を手に入れて、読んだ。

平成サブカルお母さん考 ~わかるヤツだけわかればいい~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 奥付を見て驚いたけど、すでに3刷。江森丈晃の装丁もいい。扶桑社から出たとは思えない(失礼…)ほどの良本(太田出版とか、イーストプレスっぽい)。
 表題作のほか、『ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園』、『空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋』、『口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画(MUSH UP)』、『テレビブロスを読む女の25年』などの作品が収録。
 この題名見ただけで、「サブカルクソ野郎」に対する作者のすばらしい批評眼、というか、「意地悪さ」が滲み出ている。
 表題作『カフェでよくかかっている~』では、(サブカル分野で評価が高い)有名になることを夢見る三十五才のカーミィーこと、藤島美津華の日々が描かれるが、夢破れた後の後日談がすごい「意地悪」。マガジンハウス刊の「ku:nel(クウネル)」をパロディした雑誌(「kuinol(クイノル)」)記事をほんとに「ku:nel(クウネル)」によくある体裁で、「ミトン(鍋つかみ)」(!)専門店を開いているシングルマザー・藤島美津華のインタビュー記事として描く。そのインタビュー内で、彼女は、原発問題についても語っちゃう(ほんとに、こういう人、トーキョーの西の端とか、カナガワの海沿いとかにいそう)。

ku:nel (クウネル) 2013年 09月号 [雑誌]

ku:nel (クウネル) 2013年 09月号 [雑誌]

 ぼくは、ここに描かれている人・こと・会話が、びっくりするぐらい、ぼく自身のなかにまだある「何か」に引っかかっていることに気づく。
 他人事(ひとごと)として、笑えなかった。それは、ぼくが「サブカルクソ野郎」のひとりだった(はたして過去形か?)からに他ならない。
 ちなみに、ぼくが思う「サブカルクソ野郎」というのは、一見じぶんの意見や思いを言ってるように見せかけて、「○○(サブカル有名人や外国人批評家・哲学者など)は、××って言ってるけど、やっぱり、それに対して△△(また別のサブカル有名人や日本人の若手批評家など)は、□□って、批判してるじゃない? ただ、やっぱり、そうはいっても△△は○○の☆☆の部分を理解してないっていうか、読み込めてないっていうか、〓〓主義を逸してないんだよねー」とか「○○(サブカル有名人や外国人批評家・哲学者など)が××(誰も読まないサブカル雑誌)で、□□(誰も見ない映画で、実は言ってる本人も見ていない!)について、☆☆って言ってたけど、それって、■■(さらに誰も見ていない映画、さらにこれまた実は本人も見ていない!)では、すでに語られていることであって、今更ねー」とかいう感じで、ちっともじぶんの意見とかを語らず、目の前に落ちているゴミを拾わずに、反原発とか言っちゃう人のことなのだけど、それでも、作者は「意地悪さ」以外の、「サブカルクソ野郎」に対する「希望」のようなものを、どの作品にも残している。
 とくに『口の上手い売れっ子ライター~』は、他の作品にはない、意地悪さからの救い、絶望から希望への路みたいなもの、そのヒントを。
 「あとがき」において、作者は、この作品を描いたきっかけについて、以下のように述べている。

 MUSH UP(マッシュアップ*1という、音楽のジャンルというか手法があって、(中略)この大雑把なブレンド具合が僕は大好きで、こういうの、漫画でもできないかな、と思ったのです。
 この漫画のかわいらしい感じのキャラクターは、マガジンハウスの雑誌『オリーブ』でよく描かれていた、イラストレーターの仲世朝子さんっぽいテイスト。ポップでオシャレ的な世界観を打ち出しつつ、彼らが現実と向き合えば向き合うほど線が劇画っぽく増えていき、最終的には土田世紀先生の『編集王』とマッシュアップする。オシャレな感じと泥臭い感じがドンドン表裏一体となっていく。ドンドンその境界線が曖昧になっていく。そんなことを思いつき、大好きな仲世朝子さん、土田世紀先生へのオマージュもできるし、こいつはいい! こんなのあんま、ないんじゃないか?! と。

 それで、納得がいった。絶望から希望への路が描かれている理由。
 土田世紀好きだというだけで、土田世紀好きなぼくは、納得がいった。細かな説明は不要だ。
 作者は、「サブカルクソ野郎」になるしかなかった人々のことを愛している。

編集王 1 あしたのジョー (BIG SPIRITS COMICS)

編集王 1 あしたのジョー (BIG SPIRITS COMICS)

 さらに、作者は、この作品の最後で、宮澤賢治の詩を引用している。

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ

云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ

恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

宮澤賢治『春と修羅』第二集「三八四 告別」より)

 もう、土田世紀×宮澤賢治とくれば、ほんとうに、(ぼくには)何も説明は要らない。
 この作品は、世の「サブカルクソ野郎」(だった人)への応援歌だ。

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

 「平成サブカルお母さん考~わかるヤツだけわかればいい~」というコラムのなかで、ワシノミカさんは、90年代にサブカルにかぶれた「サブカル少女」「サブカル少年」が、いま、続々と子をもつ親になってきており、サブカルは「大人になったら卒業しなきゃいけないものだと思っていたのだが」、「サブカルお母さん」(「サブカルお父さん」)が現れてきて、Eテレの番組は、もはや『「サブカルお母さん(お父さん)」ホイホイ』になっていると指摘しており、ぼくも、息子といっしょにEテレの番組を見ていて(いや、ひとりで見るときも多い)、まさにその通りだと納得するのだけど、そんなサブカルお母さん・お父さんは、ずっと“端っこだけを歩いてきた人間”だったため、(結婚し、)親になる「ベタ」な日常生活というか、人間関係に慣れていないため、「こじらす」ことが多い(ぼくも含め)。
 ただ、ぼくが、思うに、(じぶん自身のことでもあるので照れくさいけれど、)当時、サブカルにかぶれた人というのは、簡単に(乱暴に)言うと、「アツい気持ちを持っていながらも、それを表明することが照れくさい・恥ずかしい・プライドがジャマして」「ベタ」なメインカルチャー*2に対して距離を保っていた、保つしかなかったという側面が少なからずある(と思う)。
 けれど、その「メタ」(←→「ベタ」)な嗜好は、年齢を重ねるほどに悪質化していく。「ベタ」に戻れなくなる。何もじぶんの意見を持たなくて良いし、今の時代は、ネットなどが普及して「一億総ツッコミ時代 (星海社新書 24)」(by槙田雄司)となり、じぶんの意見を持たずともツッコんでいるだけで、「じぶんは考えている」と錯覚できる時代だから、「ベタ」(ボケ)でいる方が難しい。
 その悪質さ加減に「意地悪」し、且つ、救いの手を差し伸べているのが、この渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』という作品だと思う。

 ワシノミカさんは、コラムの最後をこう結んでいる。(昨日も引用したけれど)

(90年代から20年経ち、結婚し母になった私は ※引用者註)カルチャーだけで言えば完全にメインストリームの人になっている。
※ちなみに、息子(2歳)の今一番好きなものはEXILEである。
ベタなことをベタに楽しめたほうが人生は楽しいのかもしれない。
わかってはいるけれど、人生のうち“斜に構えた時間”が長すぎて、どうしても「メタ」から「ベタ」におりられない。
いや、無理して取り繕うこともない。
陰と陽を両手に抱え、「メタ」と「ベタ」を自由自在に行き来したらいい。
そして、「サブカルお母さん」たちに大事なことは、「サブカルは40で鬱になる」(吉田豪・談)といわれている40代を無事にやり過ごし、余生を気ままに過ごすことであろう。
世の中に潜伏しているすべての「サブカルお母さん」の未来に光あれ!

 たぶん、渋谷直角がこの作品で言いたかったのは、ワシノさんの言う「陰と陽を両手に抱え、『メタ』と『ベタ』を自由自在に行き来したらいい」、その「フットワーク」(もしくは「MUSH UP(マッシュアップ)」という生きる仕方)につながると思う。
 「メタ」と「ベタ」の自由自在な行き来は、ぼくのような「こじらせ系」の人間には、実は、相当難しい。
 Eテレの番組でも、またネット社会のはびこりでも明らかなように、「サブカルお母さん・お父さん」でも、それなりに生きていける時代になった。
 でも、ひとりの人の配偶者となり、ひとりの子の親となった今、ぼくは、その「フットワーク」「MUSH UP(マッシュアップ)」を身につけたいと思っているし、だからこそ、相当「ベタ」で且つ「メタ」な専業主夫という道を選んだのだと思う。

*1:2つ以上の曲から片方はボーカルトラック、もう片方は伴奏トラックを取り出してそれらをもともとあった曲のようにミックスし重ねて一つにした音楽の手法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97

*2:何が「メイン」なのかは、もうよくわからないけど、当時で言うなら、B'zとか、B'zとかをカラオケで歌っちゃえる人とか、かな。

「メタ」←→「ベタ」

 昨日の日手紙(参照)でも書いた、先週末(二十四日)スタッフとして参加させてもらった、子どもの幸せプロジェクト「お父さんリーダー養成講座」@ひと・まち交流館 京都のイベントでは、京都府内ですでに父親(育児)支援活動をされているグループの方々が参加されていたのだが、ぼくが「ファシリテーター」をさせてもらっていたのは、「ライト参加」と呼ばれる、まだ父親支援についての明確なビジョンや組織をつくっていない、もしくは、組織はつくられたものの、なかなか人(父親)が集まらないグループで、ぼくをそのグループに配置してもらったことは、幸運だった。
 昨日、ぼくは、「ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援とは何か?」ということについて少し書いたけど、もちろん子育て支援同様、父親の育児支援にも、さまざまなバリエーションがあった方が良いに決まってるのだけど、先週末のそのイベントにおいて、「ライト参加」の方々と話すなかで、ぼくの目指す、父親支援とは、「父親の保健室」的活動なのだとじぶんで気づいた。
 「父親の保健室」的活動とは、簡単にいえば、「お父さん、がんばるぞー!」「お父さん、ニコニコするぞー!」に付いていけない・いきたくない、でも何か子どもため、妻(子どもの母)のため、行動はしたいと思っている父親のための居場所、というものだ。教室でも、校庭でも、もちろん放課後の部活でもない、保健室担当。
 先週末のイベントがあまりに楽しい時間だったので、当初、参加するつもりはなかったのだけど、今週末(九月一日)の大阪会場にもスタッフとして参加させてもらうことにした。

平成サブカルお母さん考 ~わかるヤツだけわかればいい~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 昨日、読んだ、右のコラムが、なんだかずっと忘れられない。
 もちろん、「未来に光あれ!」と筆者(ワシノミカさん)に応援されている対象は、「サブカルお母さん」だけじゃなく「サブカルお父さん」も内包されていると思うのだけど、一九七六年生まれの筆者が、自分史を語りながら、「もはや90年代の『あのころ』の象徴とも言える、『今夜はブギー・バック*1」の歌を芯として、渋谷直角カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』、槙田雄司(マキタスポーツ)『一億総ツッコミ時代 (星海社新書)』などにも触れつつ、「サブカル世代が親になる経験」を語る。
 ぼく自身は、じぶんが「サブカル世代」だと意識したことはあまりない。むしろ、『今夜はブギーバック』にさえ、ノれなかった。友人がカラオケでその歌を唄っているのを羨ましく思いながら、当時は、寺山修司に傾倒していた。小沢健二をきちんと聴けたのは、二十五才(一九九九年)だった。リアルタイムで彼の歌を聴いていなかったことを激しく後悔していたけど、それが、ぼくだ。
 だから、ほんとは、このコラムで筆者が書く、サブカル世代が親として生きていくための「処方箋」がきちんとぼく自身に効くのかどうかはわからない。でも、ここで書かれていることは、現在、結婚し、子をもつことになっている七〇年代生まれの誰もに、少しだけ「ある光」を射してくれるように思う。


小沢健二 今夜はブギーバックLIVEバージョン(ラブリーB面) - YouTube


小沢健二 今夜はブギーバック/あの大きな心(アルバム「Electic」Ver.) - YouTube

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

 筆者は、Eテレで放映中の『ムジカ・ピッコリーノ』の放送中、Twitterのタイムラインに「サブカルお母さん」というフレーズを見つける。そして、

サブカル少女」は、大人になったら卒業しなきゃいけないものだと思っていたのだが、その先のキャリアパスとして、「サブカルお母さん」という枠が実は存在していた、という発見。これは、非常に大きい。

 筆者によると、槙田雄司は『一億総ツッコミ時代』のなかで、

俯瞰の視点からの“他人事”なツッコミを「メタ」、結婚や子どもを持つという“自分事”な行為を「ベタ」と定義し、ベタなことはやってみるとしんどいし、大変だけど、面白い……と主張する、「一億総ツッコミ時代」。

槙田氏が提唱していたのは、
<子どもという理不尽な存在に対しては「受け入れる」。大人が「子どもカメラ」を装着して世界をともに見ると非日常が見える。面倒なものも一旦自分の中に取り込んで面白がる>

 と、述べているらしい。これって、ぼくが、三〇代をともに過ごし、それを乗り越えなければならない、そうでなければ、思考停止に陥ると危惧した「『あえて』というツール」(参照)と同意のような気もするけれど、でも、結局、そのことに気づいた年始から、『あえて』何かをすることは少なくなったかといえば、そうとは言えない。ファザーリングジャパン関西(FJK)に入会した*2のだって、七月から通い始めた不登校の子どもたちを支援するボランティアだって、『あえて』といえば『あえて』始めたことだ。そもそも、ぼくは、絶望しているので(最近、樋口毅宏タモリ論 (新潮新書)』読んで、そう再認識した)、『あえて』と思わないと、何も始められないのも事実。思考停止と行動停止、でも、それって、要は、バランスなのかもしれないと、昨日、このコラムを読んで、そう思った。

ベタなことをベタに楽しめたほうが人生は楽しいのかもしれない。

わかってはいるけれど、人生のうち“斜に構えた時間”が長すぎて、どうしても「メタ」から「ベタ」におりられない。

いや、無理して取り繕うこともない。
陰と陽を両手に抱え、「メタ」と「ベタ」を自由自在に行き来したらいい。

 そのバランスとは、「陰と陽を両手に抱え、『メタ』と『ベタ』を自由自在に行き来したらいい」ということだ。
 「ママ友とリアルでどうこうする(ベタ)」を恐れていた筆者に、彼女の友人が言ったことばがすばらしい。

「もし、トークが弾むようなママさんと出会えたら、そのときは『ママ友』じゃなくて『友だち』になればいいのよ」

タモリ論 (新潮新書)

タモリ論 (新潮新書)

 ちなみに、ぼくが好きな小沢くんの歌は「天気読み」と「天使たちのシーン」、フリッパーズギターでは、「Colour Field 青春はいちどだけ」です。


【PV】 小沢健二 天気読み - YouTube

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CAMERA TALK

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 きょうも、息子・五部林は、電車のDVD(ものしり鉄道図鑑 近畿 3)に夢中。
 食事もままらないぐらい。ちょっと「鉄育」しすぎたかもしれない、と反省。

ものしり鉄道図鑑 近畿 3 MTD-260 [DVD]

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*1:「今年、その小沢健二、BOSE両名が同時期にパパになっている

*2:そのときのことは昨日の日手紙参照 http://sube.hateblo.jp/entry/2013/08/27/002148

あぁ、こういうことだったのか

 評論家の宇野常寛は、NHKシリーズ日本新生・仕事と子育て 女のサバイバル 2013」という番組で、

核家族で子どもを育てるなんて無理ゲー。超裏ワザとか使わないと攻略不可能。それを今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた。

と発言し、ぼくは、番組を見ながら、彼の発言にひどく賛同した。
 ちなみに、その番組を見たとき(六月二十七日、『「女医と結婚すること」が夢』という題で、facebookの「ノート」にUPした*1)の感想は以下のとおり。

 録画しておいたままになっていた「シリーズ日本新生・仕事と子育て 女のサバイバル 2013」(二〇一三年四月六日放送)をやっと見た。
 だいたいの内容は、すでに見た人から見聞きしており、宇野(常寛)くんが、いつどのタイミングで「核家族で子育ては『無理ゲー』」と発言するのかを楽しみに見始めたぐらいだったけど、以下、見ながら気付いたこと、思ったことメモ。

  • NHKの女性管理職は全職員の四%(日本の民間企業では七%→二〇一三年版「男女共同参画白書」資料だと十一.一%*2

⇒へー、NHKって公務員なのに、少なくない?

  • 有識者ゲストのうち男性出演者は、宇野くん、デーブ・スペクター、そして志賀俊之日産自動車のCOO)、成澤廣修(文京区長)。

⇒デーブは、どういう立ち位置?ダジャレも番組内では「イクジ(育児)なし」の一回しか使われてなかったし。

  • 一般討論参加者の男性参加者が、おじ(い)さんばかりで偏りがち

⇒お菓子屋さんを経営してる人の「三歳児神話」発言より、ぼくは「できれば子どもを保育所に預けるべきじゃない(社会でみるべき)」と言ってたおじさんの発言の方が、よっぽど気になった。それが、もしかして、政治家や行政のお偉方として在職してる人の一般的な社会通念だとしたら、認可保育所が増えるわけがない。
 ちなみに、ぼくも、「できれば子どもを保育所に預けるべきじゃない(社会でみるべき)」と(息子をこの四月から保育所に預けている)今でもそう思っていて、もちろん、核家族した社会、ご近所づきあいが疎遠になった今の日本社会では、難しいのかもしれないけど、だからといって、「保育所(行政)丸投げ=保育所さえ増やせば、待機児童さえ減らせば子育て支援の解決、という考え」には、とても抵抗がある。核家族した社会、ご近所づきあいが疎遠になった今の日本社会から、どうそれを変えていくか、どうご近所の結びつきを取り戻すか、というもうひとつの方向性がもっと考えられてもいい。

  • 一般討論参加者の女性参加者が、起業(なぜかIT関連企業の人がほとんど)してる女性が多く、専業主婦の人は、ぼくが確認できたのは1人、あとは求職中っていう人もいたけど。

⇒起業できてる女性って、それだけでもう「一般」の女性の声は、なかなか代弁できないと思うんだけど。
 専業主婦願望をもつ女子大学生二人が出演していたのはおもしろかった。その彼女らに向かって「王子様願望はやめましょう」「年収六〇〇万の男性は二十人に一人しかいない」みたいなことを武石恵美子(法政大学教授)が説いていたけど、その「王子様」と結婚できる競争率って、女性が正職員になって育休とって復帰できる(競争)率とたいして変わらないんじゃだろうか。そういう意味でも、別に、専業主婦(夫)という選択肢があっても全然良いと思ったし、加えて、ぼくも、学生んとき「主夫になりたい」って言ってたこと思い出した(→で、現実になってます)。とにかく働きたくなかったから。
 あと、宇野くんも学生んときは「女医と結婚すること」が夢だったことにも賛同。

  • 番組名の通り、女性の「仕事と子育て」をどう両立させるかというテーマになっており「(女性が正職員として)仕事を(しながら子育て)すること=○」、それを現実化させない「制度・社会=×」という前提で番組が進行していた。

⇒唯一、宇野くんとデーブが、「もう正職員という働き方が良い、っていう風潮やめませんか。みんな非正規で良いし、それでも食べていける、それでも子どもを育てていける社会をつくることにシフトしていけば」と発言していたのが救い。

  • 最終的には「男性がもっと育児支援・家庭支援を」という(ありきたりでつまらない)結論。

⇒宇野くんが「『~しなければならない』(=男性ももっと育児しなければならない)では、人は動かない。そこに『楽しみ』や『歓び』があることをもっと広めないと」と言っていたことには賛同。


 そんなことを思った番組だった。
 やはり、出演者の選出(とくに一般女性)にちょっと難があったように思う。ただ、子どもナシ、育児経験ナシの宇野常寛を入れたことは、評価したい。
 彼は番組中(たぶん、編集前の段階ではもっと)、ずっと「その前提(質問)では、発言内容がループする」とか、そういうことばかり発言していて、だから、まだ少しはマシな番組にはなっていたように思う。

* * *

 個人的には、結婚すること、結婚生活を続けることすら「無理ゲー」だと思ってる(妻が気に入らない、とか、そういうことではなく、構造上、システム上のこととして。いや、ほんとは、ぼくは、「生きる」「生き続ける」ことすら「無理ゲー」だと思っているけれど)。
 でも、とりあえず、今のぼくは、両方(+生きること)とも続けている。
 そして、今日(八月二十六日)は、妻・Cとの入籍(二〇〇八年八月二十六日)から、五年が経った、入籍記念日だった*3
 どうして、ぼくは、そのいろんな「無理ゲー」を続けていられるのだろう? と、思った。

 さらに、先週末(二十四日)、子どもの幸せプロジェクト「お父さんリーダー養成講座」@ひと・まち交流館 京都に僭越ながら、スタッフとして参加して、そこに参加していた、父親の育児支援に携わるお父さんたちの話を聞きながら、「じぶん自身の家庭内だけでも『無理ゲー』な育児なのに、どうして、この人たちは、こんなにまじめで一生懸命に、誰かの支援をしようとするんだろう?」と、心底、思った。
 結婚しない人もいる、子どもを持たない(父にならない)選択もある、なおさら、父親の支援なんて、してる人の方が圧倒的に少ないのに。

* * *

 この疑問について、この間(八月十六日)、Tさんと話していて、ぼくが、(ほぼ無意識に)彼に話していたことを思い出した。以下、酔っ払いの記憶のなかの抜粋。

 核家族で育児って『無理ゲー』だとぼくも思うし、そもそも育児って、うまくいってるのかどうかもわからないし、誰もその方法を教えてくれるわけじゃないし、正解もないだろうし、ぼくは、息子といっしょにいて、もちろん、歓びもたくさんあるけど、むしろへこたれることが多い。
 でも、なんでやってるか? って、最近、それは、たぶん、じぶんの親がぼくに思っていた気持ちを理解するためなんじゃないかと思う。
 息子はまだ二才で、ぼくもその当時のことを覚えているわけじゃない。でも、要は、子どもにしたら、親は、というか、社会全体は、理不尽なことだらけで、納得いかないことだらけなわけで、子どもの頃は、その親(社会)を憎んだりする。
 でも、親になると、じぶんが理不尽だと思っていたことを忘れたかのように(ほんとはまったくもって忘れてないんだけど)、親から言われ、相手(子ども)も納得してないだろうな、と思いながらも、言ってるしやってることにぼくは気づいて、そのとき、『あぁ、こういうことだったのか』と思う。
 ぼくは、その『あぁ、こういうことだったのか。おかあさん(社会)、やっとわかったよ』のために、その『無理ゲー』をやってる気がする。

 それから結婚も、ぼくにとっては『無理ゲー』だと思ってるんだけど、そりゃ、もちろん、妻のことを好きだし、ずっといっしょにいたいと思って結婚したわけで、今も少なからずそう思ってるんだけど、でも、他人と暮らすことは、これもまた理不尽なことばっかりなわけで、それは、子どもが親(社会)に対して思う気持ちとそんなに変わらない。
 でも、なんで続けてる、続けられているかっていうと、やっぱり、『あぁ、こういうことだったのか』と思えることが多いからだと思うんよね。
 たとえば、ぼくの場合、親が離婚して、母親と祖母に育てられたんだけど、父親と母親は好きで結婚したはずなのに、ぼくが今の息子ぐらいの年齢で離婚したし、母と祖母も、いろいろと『大人の事情』はあったにせよ、好きでいっしょに住んでいるのに、ずっとケンカばかりしていた。
 父と母の離婚も、母と祖母のケンカも、子どもの頃、ぼくには、その理由がわからなかったけど、今、妻と結婚して、もうすぐ五年。まだ彼女のすること、言うことに慣れないし、いちいち腹が立ったりするし、それは、きっとお互い様だろうし、ケンカもする。でも、ほんとにたまに『あぁ、こういうことだったのか』と思うことがある。
 ぼくは、その『あぁ、こういうことだったのか。おかあさん、おとうさん、おばあちゃん(社会)、やっとわかったよ』をひとつの理由として、続けている気がする。

* * *

 「あぁ、こういうことだったのか」。

 前世代に対して感じていた理不尽を、理不尽のままでは終わらせないシステム、それが、家族?
 父親であることが、理不尽だ(もしくはどうも居心地が良くない)と感じ続けて子育てをするのではなく、少し先に父親になった人たちが、父親になったばかりの人たちに理不尽のままでは終わらせないお手伝い(お節介、とも言う)、または、父親になった人たちが、理不尽をいっしょになって模索する、それが、父親支援?(もちろん、この文章から「父」を抜くと、そのまま「親支援」「子育て支援」として通じるかもしれない)

 ぼくは、理不尽を受け入れる、っていうことが、オトナになるって、ことだとずっと思ってきたけど、もちろん、理不尽を解決しよう、納得しようとしたっていいわけで。

* * *

 実は、先週末(二十四日)参加させてもらった、子どもの幸せプロジェクト「お父さんリーダー養成講座」というのは、NPO化に合わせて、ぼくが六月に入会した、父親支援事業を全国的に行っている「ファザーリングジャパン」の支部組織、「ファザーリングジャパン関西(FJK)」関連で参加させてもらったイベントで、そのときこのイベントの担当者が、事務局長(当時)のIさんだった。
 Iさんは、まだ三十代前半という若さで、この八月上旬、亡くなった。

 ちなみに、ぼくが、「ファザーリングジャパン関西(FJK)」に入会したとき、そのメーリングリストの最初の自己紹介で、ぼくは、以下のようなこと書いた。

 ぼくは、ファザーリングジャパン、ファザーリングジャパン関西(FJK)の理念(笑てるパパがええやん)には大賛同しているものの、ぼくのせまい視野に入るFJKの活動には、三十%ぐらいしか賛同できない者です。(初投稿なのに、ほんとうにごめんなさい)
 というのも、見学者として、参加させてもらった先日の理事会でも感じたのですが、FJK(の活動)が、「笑てるパパ」を増やしてるというよりは、行政の求める父親の育児支援PR活動にうまいように利用されて、ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援という主旨が、少し疎かになっているように思えたからです。
 もちろん、これまでの皆さんのご苦労や実績を知らないわけでもなく(いや、きっと知らないのですけど)、ただ、ほんとうに生意気ながら、言わせてもらえば、これまでのぼくの父親としての育児に、FJKの活動を外部から見させてもらうと、支援してもらってるというよりは、むしろプレッシャーでした。
 みなさんのような「笑てる」父親に、ぼくがなれないと思うからです(乱暴な言い方をすれば「なりたくない」から、とも言えます。いろんな「笑い方」があっていいと思いますので)。
 ただ、唯一、ほんとうに救いだったのは、代表で、同じ主夫のWさんとの出会いで、彼とお話してるなかでは、FJKという集まりは、とても賛同できるものだと思えています。
 けれど、Wさんとお話してるなかで見えるFJKと、それ以外のイベント開催案内で見えるFJKと、その差異というか、乖離は何から生まれてくるのでしょうか? でも、おそらく、みなさんそれぞれにその回答はお持ちだと思います。
 初めての投稿で、このような内容を提示するなんて、疎ましく思われても仕方ありませんが、ぼくがこの度正式に会員となってみなさんとお話しし、ご相談し、見極めたいのは、まさにこの点です。
 「ふつうの父親」に届く支援、活動こそ大切で、育児・子育てエリートの父親にとっては、ファザーリングジャパン(関西)の活動、支援は必要ない(と、ぼくは思う)のです。ちなみに、ぼくは、「ふつうの父親」以下だと思っているので、みなさんのご助言が必要です。ですので、場違いかと思いつつ、入会させていただきました。
 こんな、ぼくですが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 また、こんなことも書いた。

 バルーンも、マジックも、絵本の読み聞かせも、料理も、それは、本来、いちばん前に出てくるものではなく、手段な(だとぼくは思う)のです。
 FJKは、<父親雑技団>という側面だけではないと思うのです。
 でも、組織が、団体が、活動を開始し、維持しようとし始めると、本来の理念というよりは、わかりやすい、見えやすいものが前面に押し出されて、それをやり続けていると「われわれは『活動』している」、逆にやり続けていないと「『活動』していない」と思ってしまいがちなのではないでしょうか。

 その後、このような不躾なぼくの「ぶっこみ投稿」に対して、会員の方々からは、多くの意見をいただいた。そのなかで、多くの方が、ぼくの書いた「ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援」とは? という質問をされていたので、それに答えるつもりで、以下のようなことも書いた。

 ぼくの指す「ほんとうに必要な父親の育児支援、父親支援」とは何か? という点にだけ、今のぼくの思うところを書かせていただきます。
 父親という存在が千差万別のように、支援のあり方も父親の数だけある、というのがぼくの思う基本的なスタンスです。
 そのうえで、ぼくは、父親が自身で「支援」の必要性を感じられるケースは、とても稀だと思っています。
 たとえ、育児、夫婦関係、家族の問題で悩んでいたとしても、それが自分が「支援の対象」だというふうには、なかなか考えられないし、多くの場合は、(FJKのような?)支援機関にもなかなかたどり着くことができません。男性は、多くの場合、それを「自分の問題」で「自分で解決」しよう、しなければならない、そう思う傾向が強いのではないでしょうか。

 ひとりで悶々としているか、家庭ではなく仕事に力を注ぐか、別のなにかで発散するか。
 そして、ときに、それが少し負のエネルギーになってしまい、家族に暴力、ギャンブル、アルコール…などなどの方向に向かい、それが明るみに出て、初めて「支援機関」に出会う、ということがほとんどなのではないか、そんなふうに思います。

 「育児・子育てエリート」と、ぼくが書いた意味もそこにあります。
 つまり、エリートというのは、侮蔑的な意味だけでは決してなく、「恵まれた、優れた人」という、本来の意味です。
 「父親の子育て」について積極的な意味でとらえる→FJKに参加する・興味をもつ、ということができているFJKのみなさんは、(おそらく多くの場合)自らの意志で参加されておられると思うのですが、そういうことに「自ら」気づける力、「自ら仲間を求める」力をもっている、というだけで、それはもはや「ふつう」ではなく「特別」なこと=エリートだと思うのです。

 余談になりますが、ぼくは、二〇一二年八月に仕事をやめて主夫となり、当初は、守口市で開催されている子育て支援イベントには、ほとんど参加するような勢いで、息子(二〇一一年七月生)を毎日連れ回していました。
 もちろん、イベント先は、女性(母親)のみ。たくさんのママ友もできました。
 そして、当然ですが(笑)、年末近くになり、そういう毎日に疲れ、逆に、家で息子と「ひきこもる」という日々を過ごしていました。
 その「ひきこもり」の日々で考えていたことは、「自分はダメな(父)親だ」、「自分は主夫なのに家事もできない」…云々。妻にも相談できないまま、どんどんマイナス思考に陥ってしまいました。
 本来であれば、そんなときに、そんな状態になる前にこそ「子育て支援イベント」に出かけて、「今、すんごくしんどいんねん、ほんまに何もでけへん…」と、ママ友や、イベントスタッフの方に、悩みを打ち明けられればよかったんですけど、(これは、個人的な性格の問題もありますが)
「こんな状態の自分を見られてはいけない、自分が恥ずかしいし、こんな父親だと周りに知れたら息子がかわいそうだ」と思ってしまっていたんです。

 ぼくは、それまで約十年ほど、児童福祉施設に勤めていたので、子育て支援機関や、子ども相談の場所などを、どんなふうなときに、どんなふうに利用できるか、気軽に「ヘルプ」を言えることを知っていたのにもかかわらずです(知っていたからこそでしょうか?)。
 そこで、ぼくが思ったのは、「子育て支援イベントに顔を出せる、それだけで、もう『育児エリート』なのかもしれない」と。だから、これは、父親に限らず、母親についても、そう思えたのです。
ほんとうに支援を必要としている人は、外に出て自分の思いを表出することも難しいのだ、と。
 さらに、子育て支援イベントに参加したときにぼくがつねづね感じていたのは、そこに参加していると「子どもを通して、親(自分)の評価をされているようだ」と思わずにはいられなかったということです。

 乳児期のイベントは、対象が「未就学児全体」とされているものもありますが、多くの場合は、親どうしの結びつきを深めるためにも、「〇才対象」「一才対象」など、年齢ごと、月齢ごとに区切られていたりします。(ぼくの住む自治体の場合)
 そうなると、たいてい同じような月齢の子ども&親が集まります。そして、その〇~二才という時期は、子どもによって成長・発達の様子はバラバラです。もちろん、親(ぼく)は、息子がずっと寝返りができていなかったり、発語が遅かったり、左利きだったり(これは関係ないですけど!笑)することは、気にする必要はない、と、頭ではわかっているのですけど、やはり他の子どもたちと比べてしまいます。

 何より、成長・発達というわかりやすいものだとまだしも、「しつけ」のようなものの話(例えば、ごはんはきちんと座って食べられる、歯を磨かせてくれるなど)になると、もう、それは、子どもの問題、というよりは、親の意識の問題になり、その方面について、ぼくは、ほとんど気にしなかったですけど、なかには自分の子どもより小さな子どもが「歯磨きができている」と知った母親が、
焦ったように驚いて「きょうから、私もがんばってみる!」というようなことを見聞きするような場面も、何度もありました。
 そんなとき、ぼくは、その母親に「えー、まだそんなんでけへんでいいんちゃうん? うちの息子なんて、歯磨きどころか、まだスプーンでさえ食べられへんで、ずっと手づかみやで」とか、言っていましたが。(ま、これは偏見になりますが、そういう場合でも、女性は、<その場>と<本心>のバランスをうまく保つことができる「生物」のようなので、あまり気にはなりませんでしたが…)

 話が長くなりました。
 ですから、ぼくも、どのようなものが「ほんとうに必要な(父親の)育児支援、(父)親支援」なのか、具体的にはわかりません(そして、具体的にわかりだしてきたら、それをぼくは仕事としたいと思っています!)。
 ただ、主に母親を対象とした現在の(行政の)子育て支援環境ですら、もしかすると、ほんとうに必要な人が参加しづらいものとなっているのだとすれば、父親支援というのは、もっとハードルが高く、趣向を凝らさないと、母親向けのイベントに、少し工夫をしただけのものでは、到底、多くの、そして必要としている父親に届くものにはならないのでは、と、ぼくは、そう思っています。

 このような意見を書いてしまったが、FJKのみなさんには、とりあえず受け入れていただけたように思った。だから、ぼくも、まだ会員でいるし、先日のイベントにも参加した。
 ただ、残念だったのは、そのメーリングリストのスレッドで、Iさんの意見を伺うことはできなかった。
 ぼくは、ほとんどお話したことのなかったIさんと、そのイベントで会えることをとても楽しみにしていたので、彼の訃報に接したときには、とても残念でならなかった。
 彼の突然の訃報が流れたときから、FJKのメーリングリストでも、facebookのタイムラインでも、当然、彼の死を悼む投稿がずっと長い間続いた。

 その間、ぼくは、Iさん本人と直接関わりのなかった身としては、あえて発言を控えていたけれど、七月一日に、Iさんからのイベントの誘いに対し、僭越ながら、挙手させてもらったこと、初めてのイベント参加で、Iさんと会えることを楽しみにしていたこと、そういえば、FJKのNPO化後すぐに、事務局長であるIさんのご自宅宛に入会申込書を郵送したこと、その後、会のメーリングリストの招待が届いてすぐに、右の「ぶっこみ発言」をして、結局、Iさんとは、そのことについて、詳細をお伝えすることができなかったこと、長い間、活動をともにされてきたFJKの会員の方々からすると、とても些細なことだけれど、先週末のイベントは、ぼくにとって、そういうことを思い返しながらの参加だった。

 今も、そのメーリングリストには、Iさんの発言が残っている。そして、一目でその流れが見えてしまうので、適切な言い方かどうかわからないのだが、その本人が、イベント当日、不在だったことは、ほんとうに「ふしぎ」としか言いようがなかった。
 代表のWさんからの、突然の訃報を目にして以来、Iさん本人を偲ぶ、というよりは(ぼくは、Iさんとほとんど話をしたことがないから)「もし、今、じぶんがいなくなったら、二才の息子と妻を遺して、どれだけ(じぶん自身が)悔しいだろう、やりきれないだろう」など、「もし、今、じぶんがいなくなったら」ということばかり考えてた。
 ここで、今、妻と、息子といっしょにいること。その偶有性、みたいなことを考えずにはいられなかった。

 でも、ぼくは、またこうも思った。
 人は、というか、ぼくは、じしんの身に起こった・起こる・起こりうる以外の出来事が、行動するうえでの「強い動機」とすること、動機として継続させることができない、と。ただ、なにかを諦めそうになったり、へこたれそうになったとき、そういうものは、「いちばん最後に引っかかるもの」として、残すことができるように思う、と。
 パチンコの玉が、どんどん下に落ちて行ったときの、最後の釘のような感じ。
 ピンボールの玉が、どんどん下に落ちて行ったときの、最後の「バー」みたいな。

 中学のときの部活の先輩が、高校に入学してすぐ、白血病で亡くなった。
 そのとき、部活の顧問の先生だか誰かが「彼女の代わりに、彼女がこれからやりたかった多くのこと、これから経験しただろうことを思いながら、彼女の分も君たちは生きてください」というようなことを話されていたことを思い出す。そういう言い方は、若くして死が訪れた人の周囲に対して、よく遣われる常套句だ。
 当時、ぼくは、ほんとうにかなしかったので(実はぼくは先輩のことを少し好きだった)、そのことばに、いったん納得した後、すぐにその欺瞞に不信感を抱いた覚えがある。
 「先輩の代わりになんて、生きれるはずがないじゃないか」「先輩の『分』ってなんなんだよ」と。
 でも、先輩が死んで、二十年以上経った今も、何かしんどいことがある度に、その先輩のことを思い出すのは、どうしてだろう。
 それは、決して、ぼくが生き続け(られ)ていることが、「彼女がやりたくてもできなかったことだから」でもなく、「彼女が、若くして病気で死んでいくことがどれだけ悔しかっただろう」と想像するからでも、逆説的に生きることに積極的になれるわけだからではなくて、もっと、利己的で、ドロっとしていて、汚い感情であることはたしかだ。
 でも、ひとつ、ぼくはもう少し長く生きて、結婚や子育て同様、生きることに対しても、「あぁ、こういうことだったのか、先輩(Iさん、その他、多くの理不尽な死に出会った知人・友人たち*4)」と、言いたいだけなのかもしれない。

* * *

 今夜は、夕食後、ジャンルプランというお店の「白いひまわり」というチーズケーキ(昼間、京阪百貨店で買ってきた)で、五回目のぼくとCの入籍記念日を祝った。
 五部林がろうそくをケーキに立てて(めりこませて)、火を吹き消してくれた。彼の息の強さでは、なかなか火が消えなくて、垂れてきた蝋が、まるで「5」の「オシッコ」のようなかたちになった…。
 ま、こんな感じのダラダラ夫婦だ。五年間、ありがとう、C。
 その後、三人でケーキを食べながら、「もし、五部林がいなかったら、どんな五年目を迎えていたかな(迎えていられたかな)」、「五部林が生まれる前の生活って、どんなものだったか、もう思い出せないな」、とか、いろいろCと話していた。ありがとう、五部林。

 そして、「とりあえず、今年も(結婚契約)更新で」とCは言った。結婚って、それぐらいでいいのかもしれない。


*1:https://www.facebook.com/notes/%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/%E5%A5%B3%E5%8C%BB%E3%81%A8%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%A2/487819517959326

*2:http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h25/gaiyou/index.html

*3:五年前の出来事は、http://d.hatena.ne.jp/subekaraku/20080828 参照

*4:母も四年前、六十二才という若さで死んでしまったけれど、「母の死」は、またその彼・彼女らとは少し意味合いが違うな